俳句が英語になったら、急にポエムぶってきた
Geminiと作った俳句を、ZINEにしてみようかなと思っている。
私は毎日、その日の出来事をGeminiに俳句として詠んでもらっている。
最初は完全にノリだった。
「今日の出来事を十七音にしたら、なんか日記っぽくて面白いんちゃう?」ぐらいの軽い気持ちだったのに、これが思った以上に良かった。
たわいもない一日が、俳句になるだけで急にキラキラし始める。
ただ仕事に行っただけの日。
ただ服を選んだだけの日。
ただ誰かの一言でちょっと心が揺れただけの日。
そういう、放っておいたら記憶の排水溝に流れていきそうな出来事が、十七音にされると急に標本みたいに残る。
なにこれ。
日常の押し花やん。
そんな感じで、気づけばすっかり俳句日記にハマってしまった。
そしてふと思った。
これ、ZINEにしたら面白くねえか?
しかも、英語圏の人にも読めるように英語版にしたらどうだろう。
英語で俳句。
急に意識高い。
急に国際交流を始めようとしている。
そもそも英語圏の人たちは、俳句というものを認識しているのか。
調べてみると、英語では俳句はだいたいこんな感じで説明されているらしい。
Japanese short poem
3 lines
5-7-5 syllables
often about nature or seasons
つまり、
「日本発祥の、三行で、5・7・5っぽくて、自然や季節を扱うことが多い短い詩」
という認識らしい。
なるほど。
だいぶざっくりしている。
日本人からすると、俳句には季語があって、切れ字があって、余白があって、たった十七音の中に情景と感情と人生の湿度を押し込める文化がある。
でも英語圏では、もう少し「短くて美しい日本のポエム」ぐらいの感覚で読まれているのかもしれない。
たとえば、私の句。
朧夜や
酔いの醒めゆく
問い一つ
これを英語にすると、こんな感じになる。
Hazy spring night—
one question sobers
the drunken heart.
直訳すると、
ぼんやり霞んだ春の夜。
たったひとつの問いが、
酔った心をしらふに戻す。
みたいな感じ。
五七五ではない。
もはや俳句というより、普通に短いポエムである。
でも、これはこれで良くないか?
日本語の俳句は、言葉を削って削って、最後に残った骨みたいなものが美しい。
一方で英語にすると、その骨に少し薄い布がかかる感じがする。
意味がほんの少し説明されて、情景がふわっと立ち上がる。
これはこれで、別の作品になっている。
つまり、翻訳というより変身である。
俳句が海外旅行に行って、ちょっとおしゃれな服を着て帰ってきた感じ。
この英語の短いポエムに、私の日記的な解説文を添える。
今日は何があったのか。
なぜこの句になったのか。
どんな気分だったのか。
どこがしょうもなくて、どこが少しだけ美しかったのか。
それを英語で綴る。
……なんか面白そうじゃない?
もちろん、英語力は怪しい。
怪しいどころか、玄関先で靴を左右逆に履いているレベルかもしれない。
でも今は翻訳ツールもあるし、Geminiもいるし、ChatGPTもいる。
AIたちを引き連れて、私は英語圏へ俳句日記を輸出しようとしている。
かなり他力本願な遣唐使である。
でも、ZINEってそれぐらいの軽さでいい気がする。
完璧な作品集じゃなくていい。
ただ、自分が面白いと思ったものを、小さくまとめて、紙にして、誰かに見せる。
「これ、ちょっと良くない?」を形にする。
それがZINEの良さだと思っている。
毎日のどうでもいい出来事が、俳句になる。
俳句が英語になる。
英語になった俳句に、また日記がつく。
それが一冊の小さな本になる。
なんか、日常がだいぶ遠くまで旅している感じがする。
今日はただ、それを思いついて少しワクワクした。
それだけ。
でも、こういう「それだけ」から始まるものが、だいたい一番面白い。
