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霧多布の母ラッコ「Aママ」が残したもの——繁殖成功率3割未満の海で【後編】

本記事は、「霧多布のラッコキーホルダー」発売を記念した特別インタビュー企画の後編です。前編に続き、約40年にわたり霧多布の自然を見つめてきた、NPO法人エトピリカ基金の片岡義廣 理事長@gmF65cxXrQN3jDd)にお話を伺いました。

後編では、霧多布のラッコたちの中心的な存在だった母ラッコ「Aママ」のこと、そして長年この地のラッコを見守ってきた片岡理事長ご自身のことをたどります。

▼記事前編はこちらから
なぜラッコは、霧多布を選んだのか——観察歴40年の片岡理事長が語る「共存」のかたち【前編】

繁殖成功率3割未満。霧多布のラッコたちの現在地

——前編で霧多布はラッコの繁殖地になっていると伺いました。現在は、何頭のラッコが生息しているんですか?

今年生まれた子供を入れて、12頭ぐらいが確認できていますが、観察のタイミングによって数は増減します。最大16頭ほどいたこともありますが、去年はかなりの数のラッコが岬を離れてしまったタイミングもあり、数頭しか見かけないときもありましたね。

——赤ちゃんが生まれたニュースはいろんなメディアで取り上げられていましたね。ラッコの繁殖の時期って決まっているものなんですか?

基本的には1年中繁殖する生きものですが、春から夏に多いと言われています。正常な繁殖だと妊娠6か月、子育て6か月で年1回のペースです。

ところが、子どもがうまく育たないケースがかなり多いので、亡くした場合は次の繁殖が早まって、4月の次に11月にまた産むなど、年に2回出産することもあります。このように、個体によって出産時期がずれていくことがあるんですよね。

2026年春に生まれたラッコ(出典:片岡理事長のX投稿より

——子どもがうまく育たないというのは、何が原因なのでしょうか…?

原因は明確にはわからないんです。アメリカの研究者の方に伺った話だと、餌が足りなくて母親が手放してしまうケースや、子育てに飽きて離れてしまうケース、あとはサメやシャチに食べられてしまうケースなどがあるようです。

アメリカでの研究では、繁殖の成功率は2割5分ほどといわれていて、世界的にみても繁殖が成功する確率は低いんです。霧多布での成功率も3割を切っていますね。

——そんなに少ないんですね…改めてラッコの貴重性を感じました。

霧多布では去年までに約25頭が生まれているのですが、ちゃんと育ったのは7頭だけ。そのうち6頭が「Aママ」の子どもなんです。

愛情は断トツ。子を抱き続けた「Aママ」

——ちなみに「Aママ」とは…?

私は、個体にアルファベットをつけて識別しているんですよ。呼称「Aママ」は2016年から2025年まで霧多布岬にいた母ラッコの愛称です。

Aママは合計8頭産んで、うまく育たなかったのは1頭だけだった。Bというメスは5頭産んで、無事に成長したのは最後の1頭だけでした。Aママの成功率が圧倒的なのがわかりますよね。

——それほど、霧多布では特別な存在だったんですね。

子どもへの愛着はAママが断トツだったと思います。霧多布のビッグママですね(笑)。

1頭目が生まれたときの愛情の注ぎ方は、もうすごかったですよ。まず早朝に沖の岩まで移動して、子どもを浮かばせながら餌をとる。そして昼頃に沿岸に戻ってきてからは、一切餌をとらずに子どもを抱いているか、毛繕いするかで、ずっと面倒をみていました。

本来のラッコの生活リズムは、朝1時間くらい餌をとって、2時間くらい休憩して、グルーミングして、また餌をとりに行って……という繰り返しなんです。それを全部返上して、子どものそばにいた。お母さんのお腹も擦れてテカテカになるくらい、すごく大事にしている様子でした。ずっと抱っこしていた分、他の子どもと比べると成長が少しゆっくりでしたけどね。

その後の子育ては、初産で慣れたのか、だんだんといい加減になってきて(笑)。本来は生まれてから半年はお母さんと一緒にいないといけないんですが、後半に生まれた子たちは5ヶ月で離されていましたね。

それでも生き延びられたのは、やっぱり霧多布の海に餌が豊富だからだと思います。アメリカでも5ヶ月で離された子はいるようですが、ごく稀にしか育たないみたいです。

Aママと子ラッコ(出典:片岡理事長のX投稿より

シャチが岬に現れた日

——Aママは、今は霧多布岬にいないんですか?

昨年の5月頃、シャチに襲われてしまったんです。私は直接目撃していないのですが、たまたま居合わせた宿のお客さんが撮影していました。

私が岬に着く、ちょうど10分ほど前の出来事だったようで。行った時には、もうAママの姿は見えませんでした。

——なんと、10分前ですか……。

目撃した人に話を聞くと、午前中からシャチが目撃されていたようです。昼頃に一度、岬の先端の岩の間を通って西側に回ってきたのですが、その時は何もせず通り過ぎたので「大丈夫だな」と思った人もいたと。

その時、Aママは他のラッコから離れて子どもと2頭で西側にいたんです。子育て中はデリケートなので、他のラッコを嫌がって離れて過ごすことがあるんですよ。それがシャチからすると、狙いやすい状況だったのかもしれません。

2回目にシャチが西側に回ってきた時に、Aママ親子を追いかけ始めた。Aママも子どもを抱えながら必死に逃げていたのですが、途中で落としてしまったみたいで。子どもがいなくなって、Aママだけ少し逃げたけれど、シャチの群れに囲まれてそのまま襲われてしまった。体格差もありますし、逃げられないですよね。本当に、一瞬だったみたいです。

そのあと1時間半ほど待ちましたが、何も浮いてこなかった。親子ともに飲まれてしまったんだろうと思っています。

——これも自然の摂理とはいえ、言葉が出ないですね。最後まで子どもを守ろうとしたAママのことを思うと、胸が痛いです。

映像を見ると、子どものシャチも一緒にいたんですよ。おそらく、親シャチが子どもに狩りを教えていたんじゃないかと思っています。

ラッコは皮下脂肪が少ないので、アザラシほど栄養価が高いわけでもない。アラスカでも、アザラシがいなくなった時にラッコを狙うようになると言われているので、食料というよりも、たまたま訓練の相手にされてしまったのかなと。

お母さんの匂いが、いきなり消えた

——そもそも、シャチって霧多布の海にもよくいるんですか?

私が沿岸で見たのは、これまでで3回ほどですね。沖にはもう少しいて、以前沖合で海鳥調査をしていた時に記録したこともあります。ただ、沿岸に来るのはやっぱり稀だと思います。

——Aママがいなくなった後、霧多布のラッコたちに変化はありましたか?

当時残っていたメスの4頭がAママの娘たちだったのですが、彼女たちからすれば、お母さんの匂いがいきなり消えてしまったわけですから、随分戸惑ったと思います。

そこに、去年のドローンの騒動も重なって、身軽なメスたちが一斉に移動を始めてしまって。残ったのはすでに子どもがいたり、出産間際のラッコだけ。冬の間は多い時でも、メスは1〜2頭しか確認できませんでした。

お母さんの匂いを探しに行ったのかもしれないし、お母さんがいなくなって、ここにいる必要性が薄れたのかもしれません。それだけ、ここではAママが要だったんです。

——そのAママの娘たちは、今は戻ってきているのでしょうか?

嬉しいことに戻ってきています。 今年の3月下旬から姿が見え始めていて、その多くはAママの娘たちです。最近子どもを産んだラッコも、Aママの娘だとわかっています。

ラッコを見分ける手がかりは「顔」にある

——ラッコって、見分けるのが難しそうですが…。何かコツはあるのでしょうか?

まず体格でオスとメスはある程度わかります。オスは自分の縄張りをぐるぐるパトロールするので、体も足も大きくて筋肉質。一方、メスはオスの縄張りをまたいで自由に動き回るので、行動範囲は実はメスの方が広いんですよ。

個体の識別は、やっぱり顔ですね。顔の色や模様、鼻の傷で見分けます。みんな意外と顔が違うんですよ。駐車場の下あたりで休憩しているラッコは真上から写真が撮れて、乾いた状態だと顔の特徴がよく映るんです。

ただ、写真だけ見せられてもわからないことの方が多くて(笑)。過去の写真と比較して、ようやく判別できる形です。

鼻に傷があるラッコ(出典:片岡理事長のX投稿より

——ずっと観察し続けないと、ということですね。

そうなんです。岬を離れてしまうと、その間にどうなったかわからなくなるので、識別が難しくなってしまいます。ただ、メスに関しては出産した時期を全部記録しているので、次にいつ産みそうかが推測できるんです。そのタイミングに合えば「この子だろう」と判断することもできます。

——年齢とともに、見た目も変わってくるんですか?

変わりますね。個体識別呼称「G」というメスは最初、顔全体が黒くて「ガングロ」って愛称で呼んでいたんです(笑)。今は年齢を重ねて白い毛が混じってきて、茶色っぽい顔になってきました。

Aママは一番たくさん撮っているので変化がよくわかるのですが、若い頃から本当に変わりましたね。だんだん白くなって、体型もどんどん大きくなってきて…人間と一緒なんですかね(笑)。

だから、ラッコの識別ってなかなか難しいんですよ。でも毎日岬に通って、撮って、比べていると、「あ、これはこの子だな」って少しずつわかってくる。その積み重ねですね。複数のメスが一緒に固まって寝てくれると、同じ条件で顔を比べられるのでありがたいんですけど(笑)。

研究者でも写真家でもなく、「記録者」として

——毎日見続けることが、識別の精度につながっているんですね。

そうですね。そこがやっぱり、私が自分のことを「記録者」だと言っている理由でもあって。研究者でもなく、写真家でもないんです。

私が知りたいのは、岬に住むこの生きものたちがどう生活していて、親子でどう関わっていて、これからどうなっていくのかといった「生き様」です。それらを記録していくことが、とにかく好きなんですよ。

私は、子どもの頃から「シートン動物記」や「ファーブル昆虫記」を読んで育ってきました。研究者じゃないアマチュアが、生きもののいるところで暮らしながらその生き様を記録していく。ああいうスタイルへの共感がずっとあって。アフリカで何十年も動物と暮らしながら研究している人もいますけど、あれは本当にすごいと思いますね。若かったらやりたかったな、と(笑)。

——そこまで記録したいと思わせる、片岡理事長にとってのラッコの魅力ってなんなんでしょう?

好きになるものに、理由なんてないですよ(笑)。ただ、ふと「この生きものがこれからどうなっていくか見たい」って思う瞬間があるんですよね。

それが私にとってはエトピリカであり、たまたまラッコもそうだった。かつて乱獲によって絶滅寸前までいなくなったのに、また戻ってきて霧多布で繁殖を始めた。その行く末を追っていきたい、という気持ちが自然に湧いてきたんですよね。

こんなにいいフィールドは他にないですよ。岬のすぐそばに宿を構えているので毎日通えますし、これだけに近い距離で観察できる場所はなかなかありませんから。

Aママの一周忌に届ける、霧多布の記録

——現在、Aママを中心にした本を新しく制作されていると伺いました。

これは「終活だ」と言っているんですが(笑)、ここ10年間で記録してきた霧多布のラッコの生態について、360ページほどにまとめた本です。研究書でも写真集でもなくて、霧多布でラッコたちがこういう風に生きてきたということを知ってもらうための本です。

Aママの一周忌の日にあたる5月23日(土)を発行日としていましたが、実際の販売はもう少し遅れそうです。現在X(旧Twitter)で予約を受付けていますが、製本できたらオンラインショップ「BASE」でも販売する予定ですので、ご興味のある方はぜひご覧いただけたら嬉しいです。(※詳細はこちらから

発売予定の本(出典:片岡理事長のXより

——最後に、霧多布に来る方々へ一言をお願いします。

野生のラッコを一般の方が間近で見られる場所として、霧多布は本当に貴重なんですよ。

鑑賞ルールはシンプルです。遊歩道から出ない、大きな声を出さない、ドローンを飛ばさない、餌を与えない、船やカヤックで接近しない。ラッコたちが「ここは安全だ」と感じていられる環境を、みんなで守っていけたらそれで十分なんです。

彼らが嫌になれば、自分でこの場所を離れていく。だから、人間が追い出すような行動だけはしてほしくない。それが一番の願いです。岬の下で、ラッコたちが静かに浮かぶ風景を、この先も変わらず残していけたらと思いますね。(了)

「Aママ」が残したものは、育った子どもたちだけではありません。ラッコが安心して暮らせる海を守ることの大切さ、そしてその日々を記録し続ける意味もまた、霧多布に確かに残されていました。

※本記事内でクレジットを記載している写真の著作権は、撮影者である片岡 義廣氏に帰属しています。無断での転載・転用はお控えください。


NPO法人エトピリカ基金について

NPO法人エトピリカ基金は、北海道・浜中町を拠点に絶滅危惧種エトピリカをはじめ、ラッコ・アザラシなど海の哺乳類まで幅広く調査・保護活動を行う団体です。1995年から繁殖地復活に向けたデコイ設置や海上調査を続け、2010年にNPO法人化。環境省や地元漁業協同組合とも連携しながらルール作りにも積極的に取り組んできました。霧多布の海に生きるいのちをフィールドで見つめ続け、豊かな海洋生態系を未来へつないでいます。

片岡理事長のX(旧Twitter)アカウント(@gmF65cxXrQN3jDd)では、ラッコの観察情報を発信中。入会・支援の詳細は下記URLからご確認いただけます。

公式サイト:https://etopirikakikin.sakura.ne.jp/

浜中町観光協会について

公式サイト:http://www.kiritappu.jp/
Instagram:https://www.instagram.com/hamanaka_kanko/
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