見出し画像

多くの命を見送ってきた私が、愛犬の別れでペットロスのどん底に落ち、「写真」に救われるまで

こんにちは、hanaです。

新生活にドキドキする季節ですね。

私の住む地域では、きれいに咲いた桜もあっという間に散ってしまって。 ワクワクすると同時に、少し寂しい気持ちで過ごしています。

今回は、動物と暮らす中でいつか必ず訪れる「お別れ」と、その後の心との向き合い方について。

私自身の経験も交えながら、お話しさせてください。

たくさんの命を見送ってきた私が、愛犬の死で盛大にペットロスに陥った

車が見えなくなるまで頭を下げ続けた、動物病院での「神聖な時間」

動物病院で動物看護師として働いていた頃、
私はたくさんのワンちゃん、猫ちゃん達をお空へ見送ってきました。

亡くなった子たちを乗せて帰るご家族の車を見送る時間は、私にとって、とても神聖な時間でした。

亡くなる子たちの状況は、本当にそれぞれです。
「最後までよく頑張ったね」と、心の中で優しく見送れる日もあれば。

「もっと何かしてあげられることはなかったかな、ごめんね」と、無力感に苛まれる日もありました。

ご家族の深い悲しみや、動物たちのこれまでの頑張りを思うと、我慢しようとしても、どうしても涙がこぼれ落ちてしまう日もたくさんありました。

13歳の愛犬との別れ。知識が、逆に「自責の念」を加速させる地獄

たくさんの命の終わりを見守ってきました。
それなのに、2年前に13歳の愛犬(ラブラドール)がお空へ旅立ったとき、私は盛大にペットロスに陥ってしまったのです。

実は、さらにその前、先代のハナ(17歳8ヶ月)を見送った時は、そこまで深いペットロスにはならなかったのです。

ハナの時は、寝たきりの介護も経験し、「ここまで長生きしてくれてありがとう」という感謝の気持ちの方が大きかったからだと思います。

SNSで繋がっていた方々の温かい支えがあったことも、私の心を軽くしてくれていました。


しかし、2年前のラブラドールの子とのお別れは違いました。
毎日毎日、ただ涙が止まらない日が続いたのです。

「なぜ、もっと早く検査をしなかったのだろう」
「もっと苦しまずに旅立つ方法はなかったのか」

動物看護師だったからこそ、
病気や検査の知識がある分、
「あのときこうしていれば」という具体的な後悔が、とめどなく溢れてきました。

優しい言葉も無力だった。どん底のペットロスから抜け出せなかった本当の理由

ペットロスを重症化させる3つの罠に、見事にハマった私

ペットロスは、誰にでも起こりうる自然な心の反応です。

よく人間の心の状態を「コップ」に例えるのですが、悲しみというお水がコップにポタポタと溜まり、それが一気に溢れてしまったときに、心身に大きな不調が現れると言われています。

コップのお水を溢れさせてしまう要因として、私は以下のことに当てハマったのです。

  • 心の準備ができないままの「突然の別れ」

  • 生活のすべてだった「強い依存関係や生活様式の変化」

  • 「もっと何かできたはず」という「自責の念(後悔)」

亡くなる数日前まで自分で立ってご飯を食べてくれていたので、心の準備なんて全くできていませんでした。

そして当時、私は仕事を辞め、結婚を機に地元を離れていました。

2歳の娘と夫、そしてラブラドールの子との暮らし。
見知らぬ土地で、私の生活のすべては「娘と愛犬」を中心に回っていました。

だからこそ、あの子がいなくなった喪失感は、計り知れないほど大きく、心にぽっかりと穴が空いたようでした。

そこに強烈な「自責の念(後悔)」が加わり、見事にペットロスを重症化させてしまっていたのです。

娘の育児に追われて優しくできなかったことへの後悔ばかりが、頭の中をぐるぐると回っていました。

「絶対に幸せだったよ」――周囲の慰めが、自分を「ダメな飼い主」へと追い詰める

その中でも、私が一番強く感じていたのは「自責の念(後悔)」でした。

「娘の育児に追われて、
優しくできなかった日があった」

「もっと、たくさん撫でて、
構ってあげればよかった」

「もっと幸せにしてあげられたんじゃないか」

そんな後悔が、止めどなく溢れ出てきました。

毎日毎日泣いて過ごし、娘を連れて子育て施設へ行った時のこと。

「数日経ったし、もう涙は止まったから大丈夫」と思っていても、いざ人にその事を話そうとすると、人前であるにも関わらず大号泣してしまうほどでした。

あの子が亡くなった事を伝えた時、周りの方々はとても優しく声をかけてくれました。

「絶対にその子は幸せだったよ」
「たくさんのことをしてあげてたじゃない」

それは、間違いなく善意からの優しい言葉です。
でも、
自責の念で心がいっぱいになっていたに私には、
その言葉を素直に受け入れることができませんでした。

心の中で、
「そんなことない。私はダメな飼い主だった」
「もう一度戻ってきて。抱きしめて、謝りたい」
こう思っていました。

優しい言葉をもらえばもらうほど、
「本当はそうじゃなかったのに」と、自分をさらに追い詰めてしまっていたのです。

涙を止める魔法はない。私を救ったのは「思い出を形にする」という過程でした

他人の言葉ではなく、自分で「幸せだった証拠」を探し出す作業

そんな真っ暗などん底から私を救い出してくれたのは、他の誰でもなく「自分自身」の行動でした。

永遠にあの子を忘れないように、アクリルスタンドなどの何か形に残るものを作ろう。そう思って、泣きながらスマホの写真フォルダを見返したときのことです。

泣きながら写真を選んで気づいた、後悔を塗り替える「圧倒的な事実」

亡くなってすぐは、辛くて写真なんて見られませんでした。

でも、涙で画面を滲ませながら一枚一枚見返していくと、そこには私がすっかり見落としていた「事実」がありました。

安心しきって無防備に眠る姿、
楽しそうに散歩する姿、撫でると満足そうにほころぶ顔。

「あぁ、
私はこんなにもたくさんのことを、この子のためにやってきたじゃないか」

「幸せそうにしている顔が、こんなにたくさん残っているじゃないか」

人は深い悲しみの中にいると、どうしても「できなかったこと」や「後悔」ばかりに目が行ってしまいます。

でも、写真という客観的な事実を通して、私が今までその子を想い、やってきたこと、一緒に過ごした幸せな時間が、後悔の重さを少しだけ上回ったのを感じました。

その瞬間、心の中で固く結ばれていた糸が、スッと解けたような気がしたのです。

メモリアルグッズ作りは、残された者が自分を許すための「リハビリ」になる

この経験を通して、私が感じたこと。

メモリアルグッズを作るために写真を選ぶという行為は、ただの「思い出の整理」ではありません。

それは、残された飼い主が、自分自身を許すための「リハビリ」になる。

他人に「幸せだったよ」と言われるよりも。

自分自身の目で、あの子が最高に幸せだった証拠(写真)を見つけ出し、
それを「形」として残すこと。

その作業のプロセスこそが、
後悔で歪んでしまった記憶を、
本来の「愛にあふれた事実」へと修正してくれるのだと思います。

後悔ばかりの暗い供養はもうやめよう。愛犬との思い出をお気に入りの形で残す

あの子が生きられなかった今日を、精一杯生きるために

今でも時々、無性に寂しくなったり、
ふとした瞬間に涙が溢れたり、会いたくてたまらなくなることがあります。
でも、それでいいんだと思います。

時間とともに、楽しかった幸せな思い出だけが、少しずつ胸の中に温かく残るようになっていく気がします。

いつか私がそちらへ行ったときには、
「あの時はごめんね、本当に大好きだよ」と思い切り抱きしめるつもりです。

だからこそ、胸を張って再会できるように。
私は今日も、あの子が生きられなかったこの一日を、精一杯生きていきます。

私が作る、涙を笑顔に変える「メモリアルグッズ」について

私自身が、どん底のペットロスから救われたように。
「メモリアルグッズ」を通して、私もペットロスで苦しむ飼い主さんにそっと寄り添うお手伝いがしたい。

そう思い、現在グッズの制作を企画しています。

「悲しいお別れ」で終わらせるのではなく、ワンちゃんや猫ちゃんと過ごした日々を思い出し、いつまでもその子を身近に感じられるように。

進捗状況などは、このnoteで随時お伝えしていく予定です。
楽しみに待っていただけると嬉しいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!