「なんか違うな」の正体
こんにちは、藤宮美鈴です。
今回はとあるアートコンテストに提出するための絵を描いていた時の不思議な体験についてお話しをさせてください。
私は生まれつき自閉スペクトラム症と軽度知的障害を持っています。今回は、初めて障害者のアートコンテストに応募してみたいと思い、制作にあたりました。
とある曲の歌詞に出てくる『涙の地図』というワードに惹かれて「涙の地図」ってどんな景色だろうと、自分が思い描く「涙の地図」を描いてみました。いざ、完成してみると、「あれ?なんか違うな」って思ったんです。
でも、これは私が想像する涙の地図なんだし、これが正解なのかな?と迷いAIに話を聞いてもらいながら自分が一体何に違和感をもったのか向き合ってみました。
AIに話をしているうちに分かったことがありました。まず、私の考えていた「涙の地図」とは、一時の涙でできたものではなくて、歩んできた人生の足跡が涙の地図となっているイメージでした。
しかし、実際に私が製作した絵は、完成された地図ではなくて、未完成な旅の途中な涙の地図だったんです。そこで解離が生まれてることにまず気づきました。
そして、次に私が完成した絵を見て感じたのが、「子供みたいな絵かな」と少し恥ずかしく思ってしまったんです。
でも、AIと話をしていて、『花詠舎』のコンセプトは「子供の頃の自分の憧れを一つ一つ実現していく」がコンセプトなのを思い出しました。
子供の頃の感覚や感性を捨ててしまったら、私の本当にやりたい創作はできないことに気づきました。
そして、同時に気づいたことが、私の絵はいわば、ルールに縛られていない、固定概念のない色使いでした。それが子供みたいな絵に見える理由かもしれませんが、「心って色々な感情が混ざった場所で、決められた場所に決められた色があるわけではない」ことに気づきました。
むしろ、固定概念に縛られたら、心というテーマには違和感すら感じると気づきました。そして、私の描いたこの絵は、完成された地図ではなくて未完成な地図で、「涙の地図」というより『涙の異世界」だと感じました。
さらにここで気づいた大きなことが、私はこの絵を完成させた時に最初に思ったのは「家族に笑われるのではないか」ということでした。
「こんな絵でコンテストに出すの?」とか「幼稚園児みたいな絵」と言われると感じたんです。
ここで不意に、最近好きになったファンタジー作家さんの書いた短編小説を思い出しました。ホーン症候群を題材にしたお話しで、居場所を求めて周りの声を聞き続けた少年のお話で、このお話には、周りに順応しようとするあまり、自分の本当の気持ち、声に蓋を無意識にしてしまうけれどその歪みは必ずあるという教訓のお話だと私は感じて、まるで自分のことを言われてるみたいだと感じたんですよね。
それを不意に思い出して、もしもこのまま、この絵をボツにしたら私は私の本当の気持ちを絵にしたものを捨てることになると気づきました。私は、自分の声の前に、周りの声に合わせてコンテストの作品を作ろうとしていたんです。
そして「人の声を気にして自分の声に蓋をするのは、あの物語の少年と同じだ」と思ったんです。同時に「この絵を受賞のためではなくて、自分軸を持つために、出そう」と決めました。
修正はせずに、ありのままだすことに決めました。タイトルも「涙の地図」ではなく「涙の異世界」にしました。
写真は、載せることができないのですが、機会がありましたらこの絵をnoteでも公開できたらいいなと思っています。
今回、私は一枚の絵を通して、自分の創作との向き合い方を改めて見つめ直すことができました。コンテストに応募したこと以上に、大切な気づきを得られたと思っています。
そして大切なことに気づくきっかけを与えてくださったファンタジー作家さんにも感謝をしています。
