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あの日聞いた高校生の言葉が、今も忘れられない理由


昨日、息子のことをnoteにつづっていたら、
F君の話を聞いた日のことを思い出した。

あのときの“言葉”が、今も心に残っている理由を今日は書いてみたい。




2017年の秋。
私は、筋ジストロフィーの次男が通院する病院の親の会に参加していた。
テーマは「思春期の子どもとの向き合い方」

その日のゲストスピーカーは、当時高校2年生のF君だった。
同じ病気をもつ彼。
私の息子はその頃まだ小学生で、
普通の小学校で、友達と笑い合いながら過ごしていた。

「いつか病気が進んだとき、どんな気持ちになるのだろう」
そんな思いで、私は少し先を歩く彼の話を心待ちにしていた。


外国製の少し大きめの車椅子を操り、
会場の前に立つF君。
「どんな話をするんだろう」
「当事者本人の声を聞ける」
そんな期待で胸がいっぱいだったのを覚えている。

彼はスマホのメモを見ながら、
ゆっくり、丁寧に、自分の言葉で語ってくれた。
その姿が、今でも忘れられない。


小学校3年で病名を知り、
5年生で車椅子を使い始めたという。
「見下される感じがした」
そして進行していく筋力低下と、ネットで見た疾患の情報に触れて、
「リハビリなんてする必要あるのかよ」と、リハビリ室で叫んだこと。

そんな出来事や気持ちを、飾らずに伝えてくれた。

中学に進学したが、設備的にはバリアフリーとは言えず、
「絶望感があった」と。
けれど、治験の話を聞いて、
“あきらめない”という感覚を持ったという。


彼は最後に、こんなことを話してくれた。

今の自分が、大切だと思うこと。
1️⃣ 知識を得ること。希望を持つために。
2️⃣ 自分の意思を持つこと。
3️⃣ そして、自分の主張をすること。


私は、泣きながら聞いていた。
あればなんの涙だったのだろう。

みんなの前で語る彼が、
頼もしくて、けなげで、
乗り越えてきた時間を想像すると、
ただもう、胸がいっぱいになった。

同席していた夫と顔を見合わせながら話した。
「こんな息子になってくれたら、それだけで嬉しいよね」
涙が止まらなかった。


今、あの頃の自分を思い返してみる。

彼の話は、息子が中学生になった今の私に
もう一度問いかけてくるようだ。

当時から私は息子のことを「かわいそう」と思ったことは一度もなかった。
もちろん「大変なこと」は色々あって、サポートは必要だけれど
結局、私は彼の人生を代わりに生きられるわけじゃない。

それでも心のどこかで、
「いつかは受け止めきれなくなるのでは」と
不安を抱えていたのだと思う。
あの頃の私は、“覚悟”という言葉をどこか遠いものに感じていた。


そして今。
息子の成長を見ていると、
“覚悟”とは決して固いものではなく、
静かに受け入れながら日々を生きる“しなやかさ”のことなんだとわかってきた。

車椅子ユーザーの息子を持つ母として、
たしかに大変なことは多い。
仕事の休みを調整したり、通院の段取りを考えたり。
スケジュールはいつも綱渡りだ。

でも、そのぶん“世界が広がった”と感じている。


彼のおかげで多くの人と出会い、
病気があっても前向きに生きる人たちとつながれた。
そういう人たちは本当に面白くて、
人生を深く味わっていて、命の価値を知っている。
その姿に、何度も勇気をもらってきた。

そして気づく。
私は、あの日のFくんから希望をもらっただけでなく、
彼のように“希望を語れる側”に、
少しずつ立っているのかもしれない。


だから私は、やっぱり思う。
あの日、少し先を行くFくんの姿が
私にとっての“希望”になり、前を向く力になったのだと。

Fくんがくれた言葉は、
時間を経て、今の私と息子の生き方に
静かに、やわらかく、息づいている。

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