一緒にお茶を飲んでみたい〈3〉
突然の大声に、男の尖った肩がピクッと動いた。
「葉次朗君!」
葉次朗が息を切らして、二人の間に割って入る。小声でしのぶに「この人、誰?」と訊いた。
「た、たぶん、店の常連さん」
それを聞いた葉次朗の目がじっと男の顔を睨め上げた。
「 お客さん、うちの店員に乱暴は困ります」
「うちのって 君、誰?」
「あの店の跡継ぎです」
「えっ、《しま藤や》の?」
男は板みたいな体を一瞬反らせると、すぐに狡猾な笑顔を浮かべた。
「違う違う。乱暴だなんて濡れ衣ですよ。だって、誘ってきたのはこの子のほうだもん」
そう言って、しのぶを指差す。
「違う! 絶対に違うよっ!」
しのぶが跳ね上げるような声で訴えると、葉次朗は、わかってる、と目配せして、しのぶを制した。
「 お客様、何か勘違いしてませんか? うちの店は、誘うとか誘われるとか、そんなことが起こるような店じゃありません。ただの蕎麦屋です。今日のところはご勘弁願えませんか。こちらも穏便に済ませたいので……」
葉次朗の切れ長の目が、じっと相手を見据える。若いくせに、なかなかの迫力だ。男は口をあわあわさせながら、「や、やだなぁ……」とつぶやき、小走りで去っていった。
男の姿が見えなくなる。
がくがくする膝を手で押さえながら、しのぶはしゃがみ込んだ。
「 大丈夫?」
無表情に見えるが、目の奥を覗くと、心配してくれているのがわかる。
「ありがとう。助かったぁー」
《しま藤や》でバイトを始めて、客に追いかけられるのは初めてだった。
「立てる?」
「う、うん」
通り過ぎる人の視線を感じる。道の真ん中でしゃがみ込んでしまったのだから、無理もない。人の邪魔にならないよう隅に移動し、ほっと息をついた。
「 あ、あたしの顔、青ざめてない?」
「青いというより、白くなってる」
このままの顔で家に帰れば、母に心配をかけるだろう。しのぶは無理やり笑顔をつくる。
「あんなのにビビるなんて、情けないよね」
「いや、おれだってビビってたよ」
「えぇ? 全然そうは見えなかったけど」
堂に入った立ち回りだった。
「映画のおかげだな」
「映画?」
葉次朗は、昨日の夜中まで観ていたという、昔の任侠映画のタイトルを挙げた。
「主人公が凄むシーンがあるんだよ。ちょっとその真似してみただけだがら……」
「映画の真似してあんなこと言えるなんて、すごいじゃん! 天才!」
葉次朗の口角が少し上がった。笑っているのだ。
「歩ける?」
「うん」
「あいつがどこかで見張ってたらいけないから、家まで送ってくよ。ゆっくり歩きながら行こう」
葉次朗の背中に後光が差して見える。しのぶは冷たい足の指先に、湯が染み入るようなあたたかさを感じた。
「……葉次朗くん、本当にありがとう」
しのぶが拝むと、なぜか葉次朗は少し慄くように体を引いた。まるで、人から礼を言われるのが初めてのように、切れ長の目を丸くしている。
「どうかした?」
しのぶが小首をかしげると、葉次朗は慌てて、しのぶから視線を逸らした。
◇◇◇
大して重くないのに、葉次朗はかまぼこの入った紙袋を持ってくれた。考えてみれば、こうして並んで歩くのは初めてのことだ。
「葉次朗君、店の跡、継ぐつもりなんだね」
思い出したようにしのぶが訊くと、葉次朗は苦笑した。
「ビビってたわりには、話してたこと覚えてるんだな」
「だって、意外だったんだもん。うちには跡継ぎがいないって、おやじさんも紀子ちゃんもぼやいてたからさ。てっきり葉次朗君も、継ぐ気がないんだと思ってた」
葉次朗は「あぁ」と声を洩らし、うつむく。
「父ちゃん母ちゃんにとっては、兄ちゃんが継がなかったら跡継ぎがいないのと同じなんだよ」
そう言って、捻くれてみせるところが板についている。
そういえば前にマツエが、
「葉次朗は面差しがちょっぴりジェームズ・ディーンに似てるんだよ」
そんな話をしたことがあった。「誰それ?」と訊くと、「それで調べてごらん」と、マツエはしのぶのスマホを指差した。
早速検索すると、見るからに繊細な表情をした昔の映画俳優が、赤いジャケットを着てうつむいていた。そのときは内心、身内の贔屓目だと思ったが、こうして傍で見ると、どことなく似た雰囲気がある。
「うちの兄弟の名前って、ちょっと古い感じするだろう?」
唐突に葉次朗がそんなことを言い出す。確かに、流行りの名前ではないかもしれない。
「兄ちゃんの《草太朗》って名前は、父ちゃんの好きな作家のペンネームからもらってるんだ。で、おれが生まれたときに、兄貴が《草》だから、弟は《葉っぱ》でいいやって適当につけたんだよ。投げやりだろう?」
「そんなことないよ。それって、《投げやり》っていうより、《ひらめき》に近いんじゃない?」
「ひらめき?」
「そうそう。あたしの名前も、母親がたまたま観てたドラマに出てた俳優さんが《しのぶ》だったからつけられたんだ。エンディングで名前見て、これにしようって決めたんだって。これも一種のひらめきでしょう?」
母親自身の名前がひらがな三文字で《あやめ》なので、ちょうどいいと思ったらしい。
葉次朗はいやいやと首を振る。
「それは、《ひらめき》よりも、単なる《思いつき》に近いんじゃね?」
「えぇー。《ひらめき》も《思いつき》も、どっちも大して変わらなくない? 葉次朗君って、結構、細かいんだねぇ」
しのぶからかうように言うと、葉次朗は、悪かったな、と口を尖らせた。
「でもさ、店継ぐ気があるなら、おやじさんや紀子ちゃんに言えばいいのに。なんで黙ってるの?」
「 なんとなく」
なんと煮え切らない返事だろう、としのぶは思う
「おやじさんと紀子ちゃんは、葉次朗君がむっつり黙ってるから、どうしたらいいかわかんないみたいだよ」
「そうなの?」
意外そうな顔をした。
「そりゃあ、黙ってたらわかんないよ。あたしの幼なじみのお母さんも、『うちの子は、自分のこと話さないから、何考えてるのかわからない』って悩んでるもん」
「でもさ、親だったら子どもの顔色で、結構いろいろわかるもんじゃないの? ガキの頃なんか、ばつの悪いことするとすぐに見つかって怒られたし」
まだ子供だけど、そこまでガキじゃない。
自分たちは微妙な年頃なんだと、しのぶは改めて思う。
「親だからって、子どものことなんでもわかるわけじゃないし、子どもがそれを期待するのは、親に超能力者になれって言ってるようなもんだよ。話すのが得意じゃなくてもさ、ちょっとくらいは考えてること口にしないと、気持ちがすれ違っちゃうよ」
葉次朗は、数秒黙り込んだ後、ぼそっと洩らす。
「 でも、おれは、兄ちゃんみたいにうまくできないよ」
「そりゃそうだ」
「おい、はっきり言うなよ」
顔をしかめる葉次朗を「まぁまぁ」としのぶはなだめる。
「確かに草太朗君はいい人だよ。清潔感あるし、一緒にいると気分が良いし、場が明るくなる。でも、そういうのってさ、生まれ持ったものじゃない?」
「……まぁ、そうだな」
また、葉次朗はうつむく。この人は本当にうつむくのが好きらしい。
「ほら、どんなに美味しくてもさ、バナナはメロンになれないじゃん?」
葉次朗は怪訝な顔をして立ち止まった。
「は? ちょっと待って、おれってバナナなの?」
不満そうだ。
「何よ。文句あるの? バナナ安いし、美味しいじゃん。しかもメロンと違って包丁いらずで、手でするっと皮むけるんだよ? うちのお母さんなんて、毎朝欠かさずバナナ食べてるよ。それにバナナは《しま藤や》のカレーの隠し味じゃない」
《しま藤や》のカレーには、一本分のバナナが入っている。スパイスの中に、まろやかな甘さを感じられるのはバナナがあってこそだ。
「《しま藤や》の跡取りがバナナを馬鹿にしたら、罰が当たるよ」
「 随分とバナナの肩持つんだな」
葉次朗がはにかむ。しのぶは慌てて、
「でもさ、人からもらうなら、やっぱりメロンのほうが嬉しいけどねっ!」
そう言っておどけてみせた。
「なんだよ、それ」
葉次朗は不満げに口を尖らせる。
「あーあ、送ってやって損した」
口ではそう言いながらも、葉次朗はきちんとしのぶを自宅マンションまで送り届けてくれるのだから、やはり葉次朗はいいやつだとしのぶは思う。
「今日はありがとねー」
しのぶが振り返って手を振ると、葉次朗はポケットに両手をつっこみ、恥ずかしそうに、またうつむいた。
第4話につづく
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