一緒にお茶を飲んでみたい〈4〉
「あぁ。長生きはするもんだねぇ」
あやめがそう言って、娘の作った木の葉丼に舌鼓を打った。
「何言ってんの。ババくさい」
しのぶは玉子をまとった薄切りのかまぼこを口に運び、顔をしかめる。
「だってさー、生きていれば、こうやって娘が作ってくれたご飯が食べられるんだよ。お父さんだったら、むせび泣いて食べたと思うよ」
「じゃあきっと今頃、むこうでむせび泣いてるね」
仏壇には、小鉢サイズの木の葉丼が供えてある。
「あぁ、もう十年かぁー。本当に、時が経つのは早い早い!」
父の写真に目をやりながら、あやめはビールをぐいぐいやっている。お酒のペースも早い早い、としのぶは言いたくなる。いくら丈夫とはいえ、体が心配だ。できることなら、もう少しお酒を控えてほしい。
「調子に乗って飲み過ぎないでよ」
「でも、健康診断は全部Aだもーん」
「油断禁物」
「はいはい」
「『はい』は一回でいいの」
「はぁーい」
「間を伸ばすなっ」
「はいはい」
きりがない。
「あ、そうそう。今年の《旅行》なんだけどさ、朋絵ちゃんたちとは行かないことになったから」
「え? なんで?」
「綿引さんと一緒に、三人で行きたいんだって」
父の命日には四人で事故現場近くまで足を運び、手を合わせるのが恒例のはずだった。自分たちだけの神聖な旅を部外者に穢される気がして、しのぶは思わず渋い顔になった。
「それ、紘人がいいって言ったの?」
「これから話をするみたい。綿引さんが、命日までにヒロ君と一対一で話し合うんだって張り切ってるんだって。だから朋絵ちゃんも、綿引さんに任せるって言ってた」
「それ、絶対に止めたほうがいいと思う」
紘人がおとなしく話を聞くとは思えなかった。
紘人が金髪にして、不良まがいのことをしはじめたのも、朋絵が再婚したいと言い出たからだ。紘人は胸に溜まった鬱憤を吐き出すように頭を金髪にし、粗暴な態度をとるようになった。その程度なら、まだしのぶも我慢できた。だが、その後も紘人の暴走は止まらなかった。
秋の終わりの頃、紘人は「カットモデルになってほしい」としのぶに声をかけてきた美容師に因縁をつけ、金を巻き上げようとしたことがあった。その美容師が脅しを飄々とかわしてくれたおかげで、騒ぎにならずに済んだが、どちらにせよ、悪事に手を染めたことには変わりない。しのぶにとって、これは許しがたい出来事だった。
「でもさ、綿引さん、すごくいい人だよ。ヒロ君やおばさんのことも考えて、別居婚でもいいって言ってくれてるんだって。確かに年は離れてるけど、良い御縁だと思うよ」
「でも、ヒロは嫌がってるじゃん」
「そうだねぇー」
「何それ。他人事みたいに 」
しのぶはむくれた。あやめはつゆの染みたご飯を頬張り、咀嚼して、ごくんと呑み込む。そして、ふぅーと息を吐き出した。
「だってさ、ヒロ君や朋絵ちゃんの代わりに、こうやってご飯を食べてあげることなんてできないじゃない」
「ご飯?」
「そう。生きるために必要な栄養は自分で摂るしかない。昔のことも、今のことも、ヒロ君や朋絵ちゃんが自分で咀嚼して、消化するしかないもん。わたしたちは、話を聞いてあげることしかできないよ」
「そうだけど……」
口ごもるしのぶに、あやめは明るく言った。
「今年の命日はさ。二人でお父さんのお墓参りに行って、うんと豪華な食事でもしようよ。お父さん、焼肉大好きだったから、久々に焼き肉もいいかも!」
しのぶは「うん……」と返事をしながらも、内心うろたえていた。
毎年恒例の《旅行》をきっかけに、しのぶは紘人と仲直りしたいと思っていたからだ。正直言えば、この《旅行》があるから、少しくらい距離を置いても大丈夫だと、甘く見ていたところもあった。
もしかしたら、《幼なじみ》という関係に甘えていたのは、自分のほうだったのかもしれない と、しのぶは思う。《いったん》距離を置こう、という考え自体、二人の絆の強さを過信した、驕りだったようにも思える。
《旅行》に行かないなら、何をきっかけに紘人と話をすればいいのだろう。
しのぶはそう思い、紘人との関係を《いったん》という言葉で粗末に扱ってしまったことを後悔した。
「あのね、しーちゃん」
しのぶは我に返る。顔を上げると、あやめの表情が曇っていた。
「どうしたの?」
「実は、今まで言ってなかったけど……朋絵ちゃんの喫茶店、危ないんだ」
「え?」
「一昨年、お父さんが亡くなって、朋絵ちゃんとお母さんで店を続けてきたけど、うまくいってないみたい。 朋絵ちゃんや、おばさんの淹れるコーヒーだって美味しいんだよ。でも、代替わりするだけで味が落ちたって言う人はいるし、おじさんの明るい人柄も、あの店の魅力だった。これまでと同じようにやるのは大変だよ」
「もしかして、店閉めるの?」
「どうかなぁ。来てくれるお客さんがいるうちは続けたいって言ってたけど、朋絵ちゃん、かなり疲れてた。おばさんも、具合が悪いんだって」
「まさか病気?」
あやめがうなずく。入院することになるらしい。
「ヒロ君の学費とかおばさんの治療費とか、きびしいみたい。しんどいときに、男の人から頼ってほしいって言われたら、落ち着きたくなる気持ちもわかるよ。ヒロ君も、それはわかってると思うんだけど、お父さんへの気持ちもあるだろうし、いろいろつらいところだよね……」
そう言って、あやめは丼に残っていたご飯を口に運ぶ。
「お母さんも再婚したいって思ったことある?」
あやめはもぐもぐしながら、「さぁ、どうかな?」と、いたずらっぽく笑う。たぶん、思ったことくらいはあるのだろう。
もし、自分のせいで、母が掴めるはずの幸せを諦めていたとしたら 。
それを思うと、しのぶは外に飛び出していって、ベランダから飛び降りてしまいたくなる。父に「そっちに連れて行ってほしい」と、叫びたくなってしまう。
自分の存在が、母の自由を奪っているのではないか。
これまで何度もそう思い、消えてしまいたい気持ちになった。そんな娘の思いをあやめが知れば、きっと悲しむだろう。そうとわかっていても、得体の知れない罪悪感がしのぶの胸に上がってくるのだ。
「実は去年も朋絵ちゃんと《旅行》はやめようかって話をしてたんだ」
「そうなの?」
初耳だった。
「受験があったからね。 ちょうど朋絵ちゃんが綿引さんと付き合い始めたくらいの頃だったし、もしかしたら今年が最後になるかもしれないって予感があったんだ。だから、無理してでも行こうって決めたの」
考えてみれば去年泊まった宿は、いつもより高級な旅館だった。おかげで受験勉強の良い骨休めになったが、あやめも朋絵はどこかしんみりして、昔を振り返るような発言が多かった。
「そんなふうに思ってたなら、言ってくれればよかったのに 」
最後かもしれないと知っていたら、出かける心構えも違ったはずだ。あやめは、「そうだよねぇ」と言いつつも、
「ごめんね。いつもと変わらない、しーちゃんやヒロ君を見ていたかったんだ」
しみじみ言った。そう返されたら、何も言えない。
しのぶは昨年の自分のところに走っていって、
「今年で《旅行》は最後かもしれないよ!」
そう教えてやりたくなった。だが、過ぎた時間は戻らない。それは、父を失ったしのぶ自身が一番よくわかっている。
「ねっ、あとでアイス食べない?」
あやめが罪滅ぼしとばかりに言う。
「食後のアイスは太るよ」
しのぶが忠告すると、あやめは名探偵みたいに片眉をくいっと上げた。
「しーちゃん。そんな話は迷信よ」
巷にあふれる根拠を無視して、あやめは力強く言い放った。
第5話につづく
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