「食べる」とはどういうことか?管理栄養士のわたしがずっと考えてきたこと
数ある記事の中から、このページを開いていただきありがとうございます🙇♀️🌸
優木 志歩(ゆうき しほ)と申します。
わたしは、管理栄養士として12年間勤めた自治体を退職し、キャリアブレイクの期間を持つことにしました。(めちゃくちゃ悩んだ末の決断でした…😭)
このnoteでは、退職までの日々やキャリアブレイク中の気付き、行動と内省を重ねる中で感じたことを、等身大の言葉で綴っていきます。
雪がたくさん降って
とてもとても寒い中、
小鳥の姿を見つけました。
とてつもなく大きな自然の中で、
たくましく生きる小さなその姿には、
「いのち」そのものが光を放っているような、
いつも、言葉にしがたい何かを感じます。

今日は、noteではじめて
食について考えていることを
書いてみようかな、と思っています。
🍚食べることが苦しかった
わたしは小さい頃から、
何かを食べることや
お菓子作りをすることが
大好きでした。
レシピ本を読むのも好きだったし、
作ったお菓子を家族や友人にプレゼントして
「おいしい!」と言ってもらえるのが、
心の底から大好きな瞬間でした。
そんなわたしだったので、自然と
「将来は、食に関わる仕事がしたい」
そんなふうに思うようになっていました。
しかし、思春期頃になると、
自身の体型(やせ願望)や
心身の不調(便秘やニキビ)に悩んだり、
様々な食の情報に翻弄され、
気づけば、あんなに好きだった
「食べる」ということが全く楽しめず、
むしろ食べることに苦しんでいる
自分がいました。
あの頃のわたしは
今よりももっと自己開示が苦手で、
友人関係にも悩んでいたので、余計に
誰にも相談できず1人で悩んで抱え込んで、
とても苦しくて、辛い日々を過ごしていました。
だから、気づけばわたしは
同じように悩んでいる人の力になりたい。
そんなふうに
強く願うようになりました。
あの頃のわたしは、
ほんとうは誰かに話したくて
誰かに話を聴いて欲しかった。
親身になって話を聴いてくれる
「誰か」が必要だった。
でも、誰にも相談できなかった。
だから、あの頃のわたしが
心の底から求めていた、その
「誰か」に自分がなりたい。
そんなふうに、思うようになりました。
わたしが管理栄養士として
食の相談を受ける仕事を、
他のどんな仕事よりも
大切にしてきたのは、
自分自身が、
あんなに大好きだった食べることを、
全く楽しめなくなってしまった
時期があったからです。
食には人を幸せにする力がある。
食べることを
楽しめなくなったときも、
苦しくなったときも、
そう信じる気持ちは
わたしの中でずっと変わりませんでした。
今でも、そう信じています。
だからこそ、あなたには、
あの頃の自分のように
ひとりで抱えて苦しんでほしくない。
だから、
「食事で悩んでいる人の力になりたい」
「食を通して人を健康で幸せにしたい」
「食事を心から楽しめる人を増やしたい」
そんな思いで、
これまで仕事をしてきました。
🥕「食べる」とはどういうことか?
管理栄養士として
仕事をやらせていただきながらも
ずっと、考えてきたことがあります。
それは
「食べるとはどういうことか?」
ということです。
今も考え続けているのですが
その中でもひとつ、
自分の中で確かに掴んでいることがあります。
それは
食べるとは、
「いのち」をいただくことである。
ということです。
🐟食べ物から「いのち」を感じるか?
今のわたしたちは、
いつでも食べ物が手に入る時代を生きています。
スーパーやコンビニに行けば
いつでも、すぐに、
食べ物を得ることができます。
わたしたちの身の回りには
自分で料理をしなくとも、
すぐに食べることのできる食品で
あふれています。
だから、
わたしたちは
食べ物から「いのち」を感じることが
難しくなっているのではないか。
食べ物が、もともとは
すべて「いのち」であることを
とても感じにくい時代を
生きているのではないか。
そんなふうに思っています。
昨年の秋、
さんまをまるごと一匹買ってきて
焼いて食べました。

そのとき
さんまの目を見て、まっすぐで、
きれいな銀白色の体にふれて、
そこに「いのち」があったことを
はっきりと感じました。
このさんまがまだ生きていた頃、
海で何を思って、
どんなふうに泳いでいたんだろう。
ふと、そんなことを思いました。
さんまにはさんまの「生」があったのに
わたしがそれを終わらせてしまった。
その事実について、少し考えていました。
このさんまは、
わたしのために
命を落とすことになってしまったんだ。
わたしが生きるために、死んでくれたんだ。
そのことに対して
感謝の気持ちが湧いてくるとともに、
いただいた命の分まで、
しっかり生きなければならない。
そんな気持ちが静かに、
でも確かに、わたしの中で
湧いてくるのを感じました。
🍀生きるとは、他者の命を奪うこと
「自分が生きる」ということは、同時に
「他者の命を奪うこと」でもあります。
わたしが生きるために
今までいただいてきた食べ物は、
もともと、すべて動物や植物の命です。
でも、加工度が高くなればなるほど、
どうしても、その「いのち」を感じることが
難しくなってしまうと思います。
例えばですが、
カップラーメンやケーキなども
もともとは、すべて動物や植物の命です。
でも、それらの食品から
「いのち」を感じるのは
さんまのようにはいかず、
きっと、すごく難しいのではないでしょうか。
わたしもお菓子なども好きですし、
加工度の高いものを食べることもあります。
(むしろ、けっこうよく食べます笑)
でも、やっぱり、
「いのち」を感じられる食べ方から
なるべく遠ざかりたくないな、と思うんです。
食べ物はすべて「いのち」で、
わたしが食べる前は、みんな生きていた。
その事実を、決して忘れたくない。
その感覚を、決して失いたくない。
そんなふうに、思っています。
🌸「いのち」を大切にするということ
「食べる」とはどういうことか?
を考えていくにつれ、
食べるとは「いのち」をいただくこと
であると実感すると同時に、
じゃあ、わたしは、
そのいただいた命の分までどう生きるの?
犠牲になってくれた命たちは、
今の自分を見て、この人に命を捧げてよかったと
思えるだろうか?
もし、わたしが食べられる側だったら、
食べた人にどんなふうに生きてほしい?
そんなことも、考えるようになりました。
それが、ここにも書いている
「もっと自分のいのちを活かしたい」
という退職の理由にもつながっています。
また、もっと「いのち」を感じて
食べることができれば
自分が他者の命によって
生かされていることを感じ、
他者の命も、自分の命も、
もっと大切に思うことができるのではないか?
そんなことも考えています。
あなたは、普段
どんなふうに「食べて」いるでしょうか。
あなたにとって「食べる」とは
どういうことでしょうか。
わたし自身、これから先もずっと
考え続けていきたいと思っています。
最後まで読んでくださり
ありがとうございました🙇🌈
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