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【PartⅡ】「才能」を真に受けると一生仕事のできない人になって人生終わる! 転職こじらせマンが最後の職業に逃げようとした話。

賛否両論を呼んだヒット記事『「才能」を真に受けると一生仕事のできない人になって人生終わる! 』の続編。ただのわたしの失敗談なので肩の力を抜いてお読みください。

この記事から読んで大丈夫!

才能の取り扱いは要注意。

劇薬。


この強力な罠は、リアル人生ゲームの盤面にときどき埋まっている。

出発点は読書だった。
わたしは常になんらかの本が手元にある状況をつくって、半強制的に学習を続けている。

名作「失敗の科学」で有名なマシュー・サイド氏の著書(実はこの「才能の科学」のほうが先に書かれている)

これまでわからなかったことが理解できるのはありがたいのだが、思わぬ反作用がある。

わたしは失敗の多い人生を送ってきたが、なぜあのとき失敗したのか、次々と理由が判明していく。

そして今さら理由が判明しても困るものが多すぎる!


なぜ大学受験に失敗したのか? 
なぜ20代でミュージシャンになろうとして失敗したのか?

理由がわかったとして、今さら取り戻せるものでもない。非常に複雑な気持ちだ(せめて皆さまに反面教師にしてもらうしかない)。

成功にゴールデンルールがあるように、どうやら失敗にもゴールデンルールがありそうだ。

そのひとつが、才能の幻想に惑わされること。

前回の記事は、「楽器弾けない病」(わたしがミュージシャンになろうとして失敗した話)について。

前回の記事で見たとおり、地道な練習をショートカットできる「才能」は存在しない。むしろその逆。

圧倒的な練習量の成果が、他人から見たときに才能に映る。

それにもかかわらず、人は才能という言葉が大好きだ。

成功と失敗を分けるものは、生まれつき備わった何かだという考え方。その「何か」があれば成功するし、「何か」がなければ成功しない。

その言葉にはロマンがある。

もし、自分の隠れた才能を発揮できれば、その瞬間にすべてを圧倒できる。マンガの魅力的なキャラクターにそのパターンが多いのもうなずける。

そういうわたしもかつては才能信者だった。才能の快楽に溺れたことがある。

寛大な心で読んでくださーい

はじめて書いた小説で、受賞&出版が決まった。

出版社の都合で最終的にその話は消えたのだけど、一度決定された事実までは消えない。

つまり、わたしは10年小説を書いているような人たちを、才能の力で一瞬で飛び越えたことになる。(※ 幻想です

その幻想は言いようもなく心地の良いものだった。禁断の果実というものがあるなら、きっとこういう味なのだろう。

むろんカラクリがある。今、冷静に分析するならば、わたしの作品はブログの拡張だった。

  • 当時の時点で、おもしろブログを書く練習を他人より積んでいた(そもそも競合があまりいない)

  • その練習量が、他人の目を引く文章として結実した

  • 本当は小説のクオリティとしては怪しいのだけど、たまたま審査員の目に、玄人があえてそう書いたふうに映ってしまった

つまり、この受賞(未遂)は偶然の産物

自分には才能があると勘違いして、小説家になっていたら人生終わっていた。なぜなら、小説の練習量がまったく足りてないのだから。

もしこの偶然がまかり通っていたならば、仕事を辞め、最後の職業と呼ばれる小説家に転職し、

「自分には才能があるのに、なぜうまく行かないんだー」


と一生言っている人になっていたと思う。

(「Always 三丁目の夕日」は自分を見ているようで胸が痛い……。)

今は練習量がともなっているので、ぜひ力作を読んでみてね。

上の作品:こじらせ女子の話(まどマギが下敷き)
下の作品:こじらせ男子の話(不思議なネコ登場)

どちらも完結済みです


この才能の罠。いい年になるまで誰もヒントをくれなかったのだろうか……。

記憶を探ると、あった。

いやいやいや。

ヒントというか、中学のときにエビデンスのプリントを受け取っている。

これはヤバい……。
高純度の絶望の香りしかしない。

さすがにこの事実を受け入れるには時間が必要かも……。

次回、(わたしの精神が持てば)絶望が絶望を呼ぶ「PartⅢ 大学受験失敗編」でお会いしたいと思います。⇒ 続編書きました!

読んでくれてありがとう!
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