【PartⅠ】「才能」を真に受けると一生仕事のできない人になって人生終わる! 転職こじらせマンが謎の病気になった話。
ヤバい……。
これは、「理解しておかないと人生が狂う話」ベスト3に入るかもしれない。
才能は存在しない。
圧倒的な練習量によって、人生の早い時期に何千時間の練習量に達した人間が「才能がある」と認識される。
そして手にした優良な環境で、1万時間の練習量(10年くらい)に達することによって、その道のトッププレイヤーになる。
マシュー・サイド氏の「才能の科学」によると例外はないそうだ。
サイド氏自身が、才能があると見なされた全英卓球チャンピオンなので、説得力が凄まじい。
本当に例外はないのか?
早熟の天才の代表格、モーツァルトですら、それは才能ではないというのだ。
幼少期から恐ろしい量の練習をこなしており、天賦の才の持ち主ではなく、むしろ、才能=練習量をこれ以上なく体現した人らしい。
では、なぜ人は、キラキラした才能を目撃するのか?
答えは簡単。
その人がそこまでに至った練習量を見ず、いきなり結果だけを目撃するから。
才能とは持って生まれたものではなく、練習量だという事実に気づかないと、人生が狂う。
呪い1: うまくいかないと「自分には才能がない」と思ってあきらめてしまう
呪い2: 必要な練習をしない
呪い3: 何を目指すべきかの設定を間違う
幸い、わたしは仕事では才能の呪いをまぬがれた。
才能にすがるほど目指したい場所がなかったからだ。
が、すべての呪いが直撃したものがある。
ギターだ。
わたしのギターはこの3つがすべて当てはまった。

やっちゃった系ストーリーでーす
◇ ◇ ◇
わたしはずっと自分のことを「楽器弾けない病」と称してきた。決して誇張しているわけではなく、本当にそうとしか思えなかった。
楽器弾けない病……。
呪いとしか思えない病だ。
「才能=練習量(10年)」という事実がわかった今、楽器弾けない病はどう解釈できるのか?
練習が足りないのが直接的な理由なのだけど、それ以前のもっと致命的な理由がある。
わたしがはじめてギターを持ったのは25歳くらいだったと思う。
これまで何ひとつやりたいことができなかった反動から、ミュージシャンを目指そうと思った。
だけど、その当時から気づいていた。
「今から楽器をはじめたところで、自分の好きなミュージシャンのようになれるのだろうか? さすがに現実的ではない」
ここまで話してきた才能論から言っても、この考えはまったく正しい。
それなのに、わたしは才能という幻想にすがってしまった。
自分に才能がある可能性がゼロではない。
今思えば、これは過酷な現実から目を逸らすための現実逃避だったのだ。
ブラック職場の過酷な現実たち。そう、これが転職ハードデイズ!
この素敵な幻想は、人生の再生の過程で間違いなく必要なことだった。
ただ、ミュージシャン的な観点から言えば、完全に間違っていた。
25歳からミュージシャンを目指すのであれば、10年後を見据えなければならない。
それなのに、わたしのイメージは3年後にミスチルやスピッツになることだ。設定に無理がある。
再掲)呪い3: 何を目指すべきかの設定を間違う
ギターの練習を怠ったというよりは、ちまちま練習している時間がなかった。
バンドスコアのコピーなど、ミュージシャンに必要な基礎練習は正体不明の才能で圧縮するしか方法がなかった。
再掲)呪い2: 必要な練習をしない
才能=練習量なのだから、まったく成立していない。
そんなわけで、わたしのミュージシャン計画は見事にとん挫した。
わたしには「自分には才能がなかった。楽器も何ひとつできなかった」という想いしか残らなかった。
それが「楽器弾けない病」として結論付けられた。
再掲)呪い1: うまくいかないと「自分には才能がない」と思ってあきらめてしまう
楽器弾けない病……。
この、通常ではあり得ない呪い100パーセントの病は、呪い1~3の連打を浴びた結果なのだ。
◇ ◇ ◇
才能=練習量は、本来、絶望ではなく希望だ。
真剣に10年間練習すればどこへでも行けるのだから。
大切なのは、10年後の目的地の設定。
10年後なのだから、そのときの自分の年齢も状況も考慮しなければならない。
人生をうまくハンドリングできるかは、この設計にかかっている。
どうか皆さまは、わたしの失敗の轍を踏みませんように。
――本日をもって楽器弾けない病は消滅。
10年かかってもいい。
ギターが楽しめる自分になれれば十分だ。

ジャカジャン。
本記事の続編を書きました!

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