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ありがとう、2021年

わたしにとっては、この病(コロナウイルス後遺症)の存在がいちばん大きくて、それ以上はなくて一年の終わりに語れるのも、自分の身体のことでした。
意味があるのかわかりませんが、一点の曇りなく、書きたいと思ったことを書いています。わたしのために。

読みたくない人はどうか引き返して、2022年にまた会えたら嬉しいです。

1年前も、こうしてひとり
パソコンの前に、座っていた気がする。

普段は、何時に書こうとか更新しようとかあんまり考えないけれど
年末ばかりは、なんだか気にしてしまう。

何をするわけでもないけれど。
置いてゆきたい、のだと思う。
言葉を、
2021年という、時間軸の中に。
いま。

次にこの振り返り日記を書くのは、12月の終わりで、年末か、きっと年始だね。
そのときにはきっと、生き長らえたこと、それだけを褒めてあげるよ。

11月。物語の続き

11月の終わりのことを、よく覚えている。

こんなにも「生き長らえたこと、それだけを褒める」という状況に追い込まれるなんて、思っていなかった。
11月の終わりに向かって回復傾向だった体調は、12月の中頃からじわりじわりと落下。日中は38度までの発熱が日々続き、その翌週には1週間ほど仕事に行けない状態になってしまった。
家を、出れなくなってしまった。歩けない。
気のせいかもしれない、と3日目の朝、着替えて化粧をしたけれど、だめだった。
数十メートル歩いて、引き返した。
こんなにまぬけなのに、よくわかる瞬間がある。
気のせいではない、と断言できるとき。命の警笛。

「集中すると具合が悪くなる」という状況が、悪化していってしまった。
本当は、書くことも諦めたほうがいい、とわかっていた。

どうして、
どうして、生きることと、息をすることは違うんだろう。

生きたかった。
苦しくても、書きたかった。
長い人生なのだから、1ヶ月くらい生きだけしていたって悪くないはずなのに、どうしても手放せなかった。
代わりに、書くこと以外のいくつかを諦めて、今日を迎えている。
これが、今月31本目の物語になる。

生きていてよかった、と思う。
しみじみと、思う。

死を覚悟したというような、そこまでの何かがあったわけではない。
実際、コロナウイルスが身体で暴れていたときは、軽症自宅療養だったわたしも「殺してくれ」と思うような痛みだったけれど
そのあとは、じわりじわりと、蝕まれてゆくような苦しみだった。
落下しても上昇しても、うまく息ができなかった。どちらも、長く続かないから。付き合ってゆくだけで、精一杯だった。

「年内くらいはゆっくりしなよ」と言われたのは、9月だったろうか。
療養期間があけてから1ヶ月も経って、それでも、まだこの先何ヶ月も苦しまなきゃいけないなんて、考えられなかった。
年内? うそだよね。

そうして迎えた12月31日、わたしは生きていることに感謝している。

こんな未来を想像していなかった。
想像していたよりも、体調の面では悪い未来だと思う。
発症から4ヶ月以上経って、3日も4日も動けなくなると思ってなかった。
療養中より高い熱が、何度も続くと思わなかった。
食べ物の味がわからないどころか、食べられないものばかりの毎日になるなんて、思っていなかった。

それでも、
生きていてよかった。

もう考えたくない。
治るイメージも浮かばない。
でも、治らなかったら生きてゆけない。そんなことも考えたくない。

もし治ったとしても
もう一度勇ましく歩き出せるのだろうか。
どこへ向かうのか、
この身体で、考え抜いて決断することができるのだろうか。

わたしは、幸福に向かえるのだろうか。
もう、考えたくもない。

それでも、
生きていてよかった。

大晦日は、ふらりと友達の家に立ち寄った。
「いまのうちに、お参りに行く」と言うので、わたしも付き添った。
神社に、「今年もよろしくね」の初詣よりも、「今年もありがとう」の年末のお参りが重要だ。なんて言っていたひとのことを、思い出したりしながら。

ありがとう、と神様に手を合わせる。

おみくじを引いたら一番、大吉で「信心せよ、治る」
誰かに「きっとよくなるよ」と言われても、正直「うるせえ」としか思わなかったけど
(だってお医者さんも「よくなるかもしれない」と「よくならないと困る」しか言わないから)
神様が言うなら、信じてもいいと思えた。
「よかったね」と隣で笑うこのひとのことも、無邪気な顔して信じられるわたしでいたかった。

わたし(左)、おみくじ開くの下手すぎでは? 破れてますけど…


当たり前って、みんな違う。
抱えている問題もそれぞれで、そんなことはわかっていて。

わたしにとっては、この病の存在がいちばん大きくて、それ以上はなくて
一年の終わりに語れるのも、自分の身体のことでした。
意味があるのかわかりませんが、一点の曇りなく、書きたいと思ったことを書いています。わたしのために。

2021年は、半年以上の無職からの社会復帰(1月)→仕事慣れたころに部署異動(7月)→8月コロナウイルス感染→以降、後遺症と付き合いながら今日を迎えました。
5月時点では、note連続更新399日。
「500日になったわたしは、どんなふうになっているだろう」なんて思っていたけれど、
まさか、流行り病に感染しているなんて思ってなかったね!

いろいろあったこと、残してきたつもりだけど読み返さずに2022年を迎えます。
生きていてよかった、いまはそれだけで。
あとは、これからのわたしに託します。

これからのわたしもどうか、頑張らなくていい。
ずっと明日のわたしを信じていて。
然るべきときがきたら、きっと、すべてを振り絞って選択をするから。
どうか、その日までは
生きて、それだけでいい。

8月以降、「体調が回復しないな」という状態から、「頭の回転速度がもとに戻らない」「人と話すことや、ふつうに話すことが難しい」と気づくまで、時間はかかりませんでした。
だから、誰にも会いに行けなくて。
家族を通して「心配しているよ」と声をかけてくださった方の声、きちんと受け取っています。ありがとうございます。何も返せなくてごめん。

おかげさまで、ここまで来られました。

「他人よりビュー数とかスキの数は少ない」なんて言ったりして、それは事実でもありますが
みんなじゃなくて、あなたが
気にかけてくださったこと、たどり着いてくれたこと、善いと思ってくれたこと。
「誰かのために書かない」というのは揺るぎませんが、あなたが照らしてくれた未来は心強かったです。ありがとうございます。

このページに辿り着いてくれたやさしいひとに
このあともあたたかな時間が訪れますように、願っています。

ありがとうございました。
2022年でお会いしましょう。


2021年12月31日 まつなが



ありがとう、ここまで来てくれて。ピアノ日記は途切れることなく、今日まで辿り着きました。







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