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haruka nakamura「ハレルヤ」を聞きながら

 haruka nakamuraの新曲を聞いている。
 新曲かどうかわからないけれど、8時間前にYouTubeに上がったらしい。

 haruka nakamuraには、ここ数年の創作活動をかなり支えてもらった。
「光」は、何度聞いたかわからない。
「毎日書くことは、適したBGMを選ぶ能力にかかっている」とさえ思うわたしの、ショート寸前の思考回路は、haruka nakamuraによって何度も鎮火された。
 書きたいわたしを、信じることができた。

 もともと、Spotifyで高木正勝とかent、別野加奈あたりを聞いていたときに自動再生で流れてきたのがharuka nakamuraで、それは懐かしいピアノで、わたしの「書く温度」に、信じられないくらいぴたりとハマった。すとんと落ちるみたいに。
 わたしは今でも、この人の音以外のことをほとんど知らない。
 最近の仕事が、映画「ルックバック」の音楽を担当していることは、新譜の欄を見て知った。

 この映画を、人に勧めていいかわからない。安易に「よかった」と言うのが難しい内容だけど、わたしは見てよかったと思っている。
 その、灼熱と零度の振り幅を、まあるく包み込むような音で、救われた。


 今日、YouTubeに上がったのは「ハレルヤ」という曲だった。

 それは、息が詰まるような懐かしい映像と共に
 ピアノと断言するのが不安になるようなポロリとした音色と
 春の風みたいなメッセージを紡いでいた。

 そのくせ、すべてが「ハレルヤ」の部分に詰まっている。
「ハレルヤ」は「ハレルヤ」であって、それ以上のメッセージを言葉に込められないのに、その瞬間すべてが音楽に込められていた。
 音楽って美しい。
 わたしはその美しさと、言葉を介さない世界に救われてきたんだと思う。


 もう、十五年くらい生家に帰っていない。
 わたしが生まれ育った場所。十八歳までを過ごした場所。
 卒業アルバムも含めた十八歳までの写真なども、すべて生家にある。
 上京と共に、生家から持ち出したものは、もうひとつも残っていないと思う。本が、いくつかあるだけで。

 十八歳以前のわたしに、しばらく会っていない。ということに気がついた。
「会わない」と決めたまま、そのままここまで来てしまった。
 あまり会わずにいたので、気がついたらそれらが「無かったこと」になっているような気さえする。

 そろそろ、帰ってもいいかもしれない。と思った。
 思うだけで、たぶん帰らないけれど。
 少なくとも、「無かったこと」から「あったであろうこと」と意識するきっかけにはなった。

「ハレルヤ」に映っているのはきっと、みんなの故郷だと思う。
 それぞれの懐かしさに、どこか似ている。
 そしてそのころ、優しくしてもらった記憶が蘇る。
 神様を信じていたころの、無邪気なわたし。

 三輪車でドブに突っ込んで、
 ランドセルに座ってリコーダーを吹いているわたしが「何やってんの?」と唇を尖らせたあと、「おかえり」と言って笑った。



▼わたしの記事にインスピレーションを受けて……とのことで、大変光栄すぎる記事◎
曲のこと、haruka nakamuraさんのこと、すごく丁寧に書かれているので、こちらも併せてぜひ!

 映像の中の景色が、故郷に近いところだと知れて、うれしかったです。




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