未来への祈り、ここにある光:haruka nakamura『ハレルヤ』|感情の設計図#15
過去に想いを馳せること。
今を大切に抱きしめること。
未来に祈りを届けること。
誰もが持っている、こころの原風景がある。
どうしようもなく愛しく美しい景色がある。

生まれたばかりの"現代の讃美歌"
本エッセイでは、リリース後すぐの作品はあまり扱わないのだけれど、この作品は違った。
大切な人と"いま"分かち合いたい。
そう強く願った。
生まれたばかりの"現代の讃美歌"を通して、僕たちが呼吸するこの世界に、すこし想いを巡らせてみたい。
『ハレルヤ』は、2025年6月21日に配信リリースとなったharuka nakamura氏の新曲。ちょうど聴きはじめたその時に、大切な人が「聴いた?」と連絡をくれたのだ。なんというタイミングなのだろう。
この歌は静岡の土方小学校の生徒たちを撮影したドキュメンタリー映像のために制作された。
haruka nakamura氏はこう綴っている。
「アレルイヤ」という曲を昔に作った。
現代の讃美歌を作りたかった。
(中略)
静岡の田園風景に暮らす子供たちのドキュメンタリー。
映像を撮ったチームはなんの損得もなく、純粋な想いだけでその作品を作ったと聞いた。
そこにはいつの間にか失われかけている日本の風景と純朴な子供たちの笑顔が、奇跡的に残っている光景が映し出されていた。
自然と新しい讃美歌が聞こえてきた。
もともと、haruka nakamura氏の作品は静謐さと情緒に満ちた美しい音ばかりだ。この『ハレルヤ』も例外ではない。アコースティックユニットbaobabのMaika氏による囁くようなボーカル、さらにこのMVの郷愁を誘う映像も相まって、僕は一層こころを奪われてしまった。
シンプルゆえに奥深い楽曲構造
『ハレルヤ』の音楽的構造は、一般的なポップスのような複雑な展開ではなく、シンプルで繰り返しの多い構造となっている。
具体的には、複数のヴァース(Aメロ/Bメロ)とコーラス(「ハレルヤ」のサビ)で構成される。ゆったりとした4拍子のリズムに乗せて、ピアノを主体としたシンプルな伴奏が、曲を終始支えている。
ピアノの音はきわめて柔らかく繊細で、まるで誰かがそっと胸の内を打ち明けるかのような遠慮がちなタッチだ。このピアノには弱い残響がかかっている。田園風景の広がりや、郷愁の空気感を彷彿とさせる空間的な広がりを感じることができる。
なお調性は長調(メジャー調)であり、使われている和音(コード)もごく基本的で素直な響きのものが中心。楽曲のコード進行を自動解析するchordifyによる分析では、D・E・A・F♯m7といったコード進行が確認されている。このシンプルなコード進行は穏やかで安定感のある調和を生み、曲全体に素朴で心地よい「賛美歌らしさ」を与えている。
僕たちが聴いていて不意な緊張感や不安を抱くことがなく、ふと「懐かしさ」と「安らぎ」を感じる理由の一つは、この和音の選択にあるのだろう。
未来へ受け渡していく"光"とふたつの"ヒト"
一見シンプルで素朴な歌詞には、いくつものメタファー(隠喩)や象徴的なイメージが散りばめられている。どこまで読み解けるか分からないが、丁寧に見てみたい。
まずはAメロを並べてみる。
1番Aメロ
護り続けた その種をまくひとで ひとで いなさい
語り続けた 物語をつなぐ人で 人で ありなさい
2番Aメロ
歩み続けた 足跡を辿るひとで ひとで いなさい
手繰り続けた その糸をまた編む人で 人で ありなさい
ここに登場したキーワード「種」「物語」「足跡」「糸」はどのような意味を持つのだろう。なんども聴き返しながら、僕はこれらを「過去から未来へ受け継ぐべき大切なもの」として受け取った。それは命かもしれない。文化や記憶、平和への願い、あるいは愛そのものかもしれない。
haruka nakamura氏はこの曲を「未来への光のための賛美歌」と位置づけた。これらのメタファーは、まさに未来へ受け渡していく"光"を象徴しているといえる。
さらにAメロにはふたつの「ヒト」が登場する。種をまき、足跡を辿る「ひと」と、物語をつなぎ、糸を編む「人」。これはどのような意味を持つのだろう。
・個の存在としての「ひと」と、社会的な存在としての「人」
・子どもとしての「ひと」と、大人としての「人」
…僕にはしっくりとした形では読み解ききれなかった。ここは、どなたかの考察に譲りたい。
想いや声が昇華した”祈りの歌”
続いてBメロを並べてみよう。
1番Bメロ
君は 街へ旅立った
君は ここに旗を立てた
誰かが呼ぶ声がする
それは風に乗り歌になる
2番Bメロ
君は 夢へ駆けて行った
君は 夕暮れ眺めてた
帰りを呼ぶ声がする
それは光に混ざり歌になる
2番のBメロ2
君は 朝に救われた
君は 夜を越えていく
名前を呼ぶ声がする
それは祈りになり歌になる
「君は~した」という形で幾つかの情景が描かれたあと、「○○な声がする」「それ(声)は○○になり歌になる」といったフレーズが繰り返される。一連の流れは、果たしてどんな意味を持つのだろう。
共通するのは、人々の想いや呼びかけ(声)が、風や光といった自然の媒介を経て祈りになり歌声へと昇華していくプロセスだ。
ここには音楽の持つ力、すなわち人の想いを乗せて広げ、希望や祈りとして共有させる力が示唆されていると解釈できる。
讃美歌を聴いたことがある方は感じるだろうが、祈りを運び遠くへ届けるために重要なのは、必ずしも"文字"ではない。"歌"というフォーマットを借りるほど強いものはないのだ。古来より、歌は伝承とともにあった。そして僕は、「歌が成立していく原初的なプロセスをきわめて簡潔に著した歌」というメタ構造に、何度でも震えてしまう。
世界は寂しい。それでも美しい
何より特筆すべきは、サビ(コーラス)部分で繰り返される「ハレルヤ」という言葉自体の象徴性だろう。
ハレルヤ(Hallelujah)は元々ヘブライ語で「主をほめたたえよ」という意味を持つ言葉であり、「ハレル(ほめ讃えよ)」+「ヤー(ヤハウェ=神)」が組み合わさった宗教的な賛美の表現だ。欧米の音楽でも賛美歌やゴスペルで頻繁に用いられ、喜びや感謝、畏敬の念を示す言葉として広く知られている。
歌詞中で繰り返される「ハレルヤ ハレルヤ」というフレーズは、文字通りには「神様を讃えよ」という意味合いではある。だが、本楽曲では必ずしも特定の宗教的文脈に限定されず、むしろ“世界や命の賛美”として働いているように思う。
haruka nakamura氏は、このように述べている。
アレルイヤを発表する前にハレルヤという歌を発表するのは思うところもあったが、いま生まれた歌なのなら、今の鮮度のまま後悔なく発表したかった。
時間は瞬く間に過ぎ去ってしまう。
アレルイヤを作った時よりも、世界は加速度的に寂しい方向に向かっているように感じる。
讃美歌は平和への希望としての歌。
想像することの大切さを訴えていく歌。
ハレルヤ、世界は美しいと。
日本人であるharuka nakamura氏が、あえてこの普遍的な祈りの言葉をタイトルおよび歌詞の中核に据えることで、宗教や言語の壁を超えて伝わる祈りのメッセージを曲全体のテーマとしたのだろう。悲しみや孤独を知りながらも、なおこの世界の美しさを讃える。そんなポジティブな祈りが、この一語に託されている。
僕は「感情の設計図」を通して、これまでは青春時代を過ごした約20数年前の楽曲を多く取り上げてきた。それらが今も僕のこころを温めてくれているのは事実だ。それでも今回、この曲を取り上げたくなった理由がある。
それは、過去を大切にしつつ縛られすぎず、今ここにある光を抱きしめること。そして未来への祈りを届けること。それこそが大切なのだと気づけたからだ。
たったひとり、祈りを届けたい人が見てくれている。ただそれだけで、かよわき僕らはすこしでも強くいられる。世界は寂しい。それでも美しい。

People Tree:haruka nakamuraとNujabes、そして青森の夕暮れ
haruka nakamuraは1982年、青森県出身の音楽家。男性である。その音楽的ルーツを調べていて興味深かったのは、そのバックグラウンドの多様性だ。
アンビエント、ジャズ、ヒップホップ、クラシック、エレクトロニカ、時にはポストロックやスローコアの香りも漂いながら、ジャンルを自由に横断する。コラボレーションする相手によって、その表現も多彩に変わる。

それでも彼の作品の根底にあるのは、地元青森の夕暮れの風景だという。
青森自体は大好きだったんです。自分が音楽を作るようになったのも青森の風景がきっかけでした。西日が見える家に住んでたから、陽が暮れていくのがとてもきれいで、その風景に似合うような曲を家のピアノで弾いてみたのが音楽制作の原点だと思ってて。
インタビューによれば、東京の音楽学校を1週間でドロップ。その後に音楽SNSのMyspaceに音源をアップしたことから運命の歯車が回りだした。
当時(2007年頃)Myspaceが出てきて、誰でも音源をアップできるようになったから、「喫茶店を出す前に1回ぐらいは自分の作った曲を第三者に聴いてもらおう」と思ってアップしてみたんですよね。それをきっかけにして……(中略)……それを聴いてくれたNujabesさんや、シンガポールのレーベル「KITCHEN.」から、同じくらいのタイミングでメールをもらいました。
Nujabes氏とharuka nakamura氏の運命の邂逅。交流が始まり作品作りを進めていく。しかし2010年2月にNujabes氏が交通事故により他界。この時に制作した音楽は2012年にアルバム『MELODICA』として発表された。
その1曲目『Lamp』は、ビートの海にゆらめくギターとピアノ、そして寂しげに踊るフルートの音が郷愁を誘う。そのまま共作を続けていたならば、どんな作品を生み出していたのだろう。

スローな感覚、美しい音像から僕が想起するのはアイスランドのポストロックバンドSigur Ros(シガー・ロス)だ。今回の『ハレルヤ』もそうだが、Sigur Rosの音楽にも(宗教性を超えた)なにかへの畏れや祈りを感じずにはいられない。
青森出身という意味では、世代的にもSUPERCARの音楽を若いころに聴いていたのだろうかと妄想する。青森からロックとエレクトロニカの交差点で鳴らされた音は、唯一無二の美しさを今も放っている。
(追記)
ハレルヤを歌う楽曲には、こんなものもある。そのどれもがこの世の刹那を切り取っており、美しい。あなたのお気に入りのハレルヤはあるだろうか?
Pentatonix - Hallelujah (Official Video)
Jeff Buckley - Hallelujah (Official Video)
Mr.children「hallelujah」
(追記2)
松永ねる様のこちらの記事に、執筆のインスピレーションをいただきました。この場をお借りして御礼申し上げます。
(追記3)
『ハレルヤ』MVのプロデューサー様のnoteを見つけました。素晴らしい映像を届けていただき、感謝申し上げます。
静岡県掛川市土方地区を映したドキュメンタリー映像「where I'm from #1」
ご興味を持っていただいた方へ。他の楽曲も👇で紹介しています。
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