物語と帰る場所
Spotifyから、別野カナの歌声が聞こえてくる。
べつの、たぶんRayonsかマトリョーシカあたりのアルバムを聞き終えたあとの、ランダム再生だ。
*
昨年末から年始くらいだろうか。
狂ったように、別野カナを聞いていた。
それは、親友が勧めてくれた曲で、当時のわたしに信じられないくらいピッタリだった。
病院の帰り、バスの中で聞いた。
雨だったり曇りだったり、遠回りのバス停に向かう道順はまだ不慣れで、なんだかおぼつかないような気持ちだった。
でも、わたしは知らない道を選んで、遠回りの寄り道だってしちゃう余裕があるんだぜ。と、必死に言い聞かせていた。
そして、一歩でも振り返れば容易く呑まれそうな、渦巻く思いのぎりぎりのところを、その声とピアノでなんとか保っていた。
「ああ、いい曲だな」という気持ちひとつで、痛みと不安を封じ込めていたんだと思う。
いまは、閉じ込めた感傷の深さに驚いている。
イントロのピアノが漂う瞬間に
あの日の午後の、バスの空気のひとつずつを、鮮明に思い出せる。
この記憶が、これからもわたしを守るだろう。
あのときも生き抜けたから、きっと大丈夫だって。
未来のわたしよ、どうかもう一度信じてくれ。
*
一度好きになった芸術ってのぁ、訪ねると、いつでもあたたかく迎えてくれるおっかさんみたいなもんなんだわな!
親友がおすすめの曲と併せて、こんなメッセージを送ってきた。
彼らしい言葉遣いと言い回し、そして的確に射抜かれた表現に感服している。
少し前のわたしは、10年前から好きだった曲しか聞いていなかった。
ユーミンとか、スガシカオとか
わたしは都合の良い記憶の場所に、帰りたかったんだと思う。
そして、何かを好きになるということは重大な儀式で、容易く「好き」なんて言ってはいけない。とも思っていた。
いまでは少しずつ、いろんな曲を聞けるようになった。
心も身体も身軽に、旅に出られるような感覚に、なったんだと思う。
誰かのためとか、必要とされたいとか、他者から見える理想の自分とか、無意識下でまとっていたいくつかの呪いを吐き出した。
その結果、然るべき形でひとりになって、
副産物として、いろんなものをつまみ食いできるようになっていって
そうしてわたしは、彼の言う「おっかさん」を増やしていくような日々を送っている。
それはずいぶんと、やさしい世界だった。
わたしがどれほど年老いて、聞こえる音が減っていっても、物語は変わらずそこにある。
そしていくつかの記憶と連鎖して、あたたかく肩を叩かれてゆく。
その瞬間の状況が、どれほど苛烈だとしても。
そしてそれがどれほど、揺らぎない事実だとしても。
物語に含まれる、やさしくて勇ましい記憶と、
ひとつずつを丁寧にも乱雑にも乗り越えてきた事実も、消えることも変わることもない。
それがどれほど心強いことか、わたしは理解している。
だからこれからも、不用心にいろんなものを好きになりたい。
順番に襲いかかってくる不安に、いくつもの帰る場所を以て、挑み続けていきたいと思っている。
※最近おすすめしてもらった曲
※平気な顔をしてバスに乗っていた日のはなし
※now playing
【photo】 amano yasuhiro
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