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(2025)この街は

 そろそろ、そろそろよいだろうと、重たい身体を起こす。
 まずは上半身。とりあえずポカリを飲む。
 ベッドを降りて、その勢いで毛布をバッと持ち上げる。
 そのままバルコニーに干して、布団カバーを剥いで、洗濯機へ。
 敷布団までの処理が終わってから、一息つく。
 一息つく、というのは大切だと思う。
 未だに、サボっているのと区別がつかない。
 それでも、また立ち上がることができるのならば、笑っていられるのならば、それでいいような気がしている。大切なことは、もっとシンプルなような。

 洗濯機が働く音を聞きながら、重たい身体を引きずって、シャワーを浴びる。
 三日、いや四日振りの風呂だ……
 身体は重たいのに、濡れたままの髪でうろうろしてしまうのは、いつものこと。
 それでも、洗濯が終わる前に髪を乾かし、日焼け止めを塗って、順番に干してゆく。
 思ったより風が強い。夕方までにはある程度乾くだろうし、乾かなくても良い。というのが、心強い。
 近所のコインランドリーを調べたら、年中無休と書かれていて、ほっとした。

 正月のことを、生きづらいなんて言ったらバチあたりだろうか。
 それでも働いてくれているみなさんに感謝をするのは大前提として、年末だから病院にも行けなかったし、コインランドリーの営業時間もわざわざ調べなくてはいけなくて、難儀だなあと思う。
 なんで正月に休みたいかっていうと、「正月くらいは家族でのんびり」が基本的な目的だと思うので、それぞれの家族が、それぞれの時期にもっとのんびりできたらいいのにな。なんて思ったりする。無責任か。無責任と理想ってのは、ちょっと似ている。

 今日で風邪を、終わりにすることにした。
 熱が出て3日。
 解熱剤を飲んでいない時間帯は、39度近い状態が延々と続いて驚いてしまった。病院に行けば薬をもらえて、もっと早く治ったかも……とも思うけれど、病院で何時間も待たされて、薬局まで移動してと思うと、それに耐えられるような状態ではなかった。
 いま思えば、検査キットのようなもので、インフルとかコロナとか調べておけばよかったのに、頭が回らなかった。ずっと痛かった。

 以前、「体調不良は今日で終わり」という線引きができたらいいのに。と書いたことがある。
 今日より明日のほうが、健やかであればいいのに。そう願っている。
 けれどもそうではない怪我や、病があったり、浮き沈みがあったり、ということを、おとなになってから身をもって知ってしまった。

 けれども、今日のところは。
 風邪における、ベッド籠城編は終了しようではないか。
 食べられるものではなく、食べたいものを、少しずつでも食べてゆけるように。


 干されたシーツと一緒に、少しだけ風に吹かれる。
 元旦のこの街は、少し静かなような気がする。いつもの日曜日より。

 年末とか年始とか、あの区切りがどうしても息苦しく……長期休暇とか、そういうイレギュラーなもの全般が、どうしても得意になれないので、別に年末の数日を風邪で寝込んでしまったって、何も惜しくはないのだけれど
 知らないまに、街が少しだけ白く、不思議と春の匂いが近づいてくるような気がして、置いてゆかれたなあと思う。
 あれは、必要な儀式だったのだ。好きとか嫌いではなく。たぶん、人生には幾つか、そういうことがあるのだと気づけた。それはとても大切な、これからのわたしの、”正しい”決断の際に、必要なパーツのように思えた。

 今年は、東京の家で年を越した。
 なんていうと、毎年実家に帰っているかのようだけれど、実家で年を越したことなんで、家を出てからは片手で数えるほどしかないと思う。最後は、大学生の頃じゃなかろうか。
 こんなふうに風邪をひいたら、どちらにせよ帰れなかったけれど。

 少し静かなこの街のみんなは、どこかへ帰っていったのだろうか。
 それとも、ここへ帰ってくる人もいるのだろうか。

 わからないけれど、わたしはこの街で年を越え、この部屋でいくつもの言葉を紡いでゆくのだろう。きっと、そうなのだと思うし、そうなればいいなと、思っている。


 2025年1月1日 ねる 
 今年もまた、この場所で



▼体調不良の線引きがわからないわたし



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