一人で来たの? #3 世界の境界
#3 世界の境界
女の人はサチの手をグイグイと引っ張って行った。
「どこに行くんですかっ?」サチは少し不安になって聞いた。
「サービスカウンターだよ」
「サービスカウンター……」
サービスカウンターならサチにも分かる、よくママが大きなお店で売り場の場所を聞いたり発送の手配とかをしているカウンターだ。サチは少しほっとした、何か怖いところへ連れて行かれるわけではなさそうだ。それにしてもこの女の人はちょっと強引な気がする。
身長はサチより少し高いぐらい。女の人というより女の子という方がしっくり来るかも知れない。ここで働いているみたいだが歳はいくつぐらいだろうか、髪型をツインテールにしているのでとても若く見える。きっと10代だろう。
サチは4階の一番隅っこまで連れてこられた。
『ここよりノースタワー STAFF ONLY 関係者以外立ち入り禁止』という札がかけられている。女の人はそのドアも遠慮なく開けて入って行こうとする。
「え、ここ入って大丈夫なんですか?」
「もちろん。私はスタッフだからね。サウスタワーの30階に今向かってる」
ハイランド・ブリッジには三つのエリアがある。
セントラルエリアは中央口のあるエリア。広大な広場の中央に大きな噴水と、その周辺にに総合案内所やカート乗り場がある。ゲートを入ったその奥には、有名な高級ブランドのフラッグシップストアが軒を連ね、世界中の料理が食べられると言っても過言ではないほど、様々な国のレストランがある。
セントラルエリアを挟んで南北にサウスエリアとノースエリアがあり、それぞれウィングと呼ばれる10階建ての商業施設と、タワーと呼ばれるオフィス棟を備えている。タワーとタワーの間は、15階と25階にある連絡橋で繋がっていて、ブリッジ15、ブリッジ25と呼ばれている。この連絡橋がハイランド・ブリッジという名前の所以だ。
女の人が開けた『STAFF ONLY』のドアの向こう側を見てサチは思わず息をのんだ。ノースタワーはオフィス棟、いろんな会社の無機質な事務所が並んでいる、サチはなんとなくそんな光景を想像していたけど、目の前に広がる景色はまるで違っていた。
タワーの内側は全て、地下3階から地上30階まで全てが、巨大な空洞だったのだ。まるでいつか映画で見たような、人類が移住した宇宙ステーションの入口。
しかもただの空洞ではない。その巨大な空間には、縦、横、斜め、縦横無尽に無数のエスカレーターが音もなく動いていた。
足元を覗くと、ものすごい高さに目が眩む。足を滑らせて落ちてしまったらひとたまりもない。一番上の30階は遠すぎて見えない。サチはこの信じられない光景に足がすくんで動けなくなり、その場にぺたんと座り込んでしまった。
「大丈夫?」女の人が言う。
「ここ、何なんですか……」
「ここはね、いろんな場所に最短ルートで行けるワープゾーンなんだよ」
「ワープゾーン……?」
「ここはとても広いからね。カートやブリッジがあったとしても、それでも時間がかかっちゃう」
ツインテールの女の人はニッと笑った。
「だからこうやって空間を歪めて、場所と場所を繋げるんだよ」
サチはワープなんて小説や映画の中だけでしか存在しないと思ってたのに、目の前のこれがワープゾーンだと言われてもちょっと信じられない。何となく想像していたのと少し違う気もする。
「さ、立てる?」女の人が手を差し伸べる。
サチはヨロヨロと立ち上がって手すりを両手でがっしり掴んだ。
「ははは、大丈夫だよ下さえ見なけりゃ。あなたは普段からエスカレーターからはみ出たりこぼれ落ちたりしてるの?」
確かにそうだけど、この光景を見ていつもと同じエスカレーターだと思うのはサチには無理だ。
「私はジジ。よろしくね」
「ジジさんですか」
「ジジでいいよ、ついて来てね」
ジジはまず右の壁沿いにある登りエスカレーターに乗った。サチも遅れないように続く。四角いビルの角に位置する場所に来た。ジジは今度は対角の角に向けて水平の橋を渡り始めた。サチもジジの後に続くと、グラッとバランスを崩しそうになった。焦って足元を見ると、水平の橋はベルトコンベアーのように動いている。
「大丈夫?」ジジが後ろを振り向く。
(水平の橋を渡って何の意味があるんだろう?)サチは思ったけどとにかく今はついて行くことが先決だ。
「大丈夫です」
対角に着くと、次にジジは左の壁沿いに1階上がり、それから正面に向けてもう一階上がった。これで最初にこの空間に出て来た『STAFF ONLY』のドアの場所から3階分登ったことになる。
(エレベーターで3階上がるのとは違うのかな?)
ジジはそこから左の壁沿いにエスカレーターを下りた。そしてまた角に着くと対角の斜め下に向かってまた下り始めた。対角のエスカレーターは一気に2階分下に下りる。これで元の階と同じ高さまで戻って来てしまった。ジジは下へのエスカレーターに乗ってさらに下へ行こうとしている。
サウスタワーの30階に行くのにこれじゃ意味がない。
(ここはいったいどう言う仕組みなの?)
サチがますます訝しがっていると、ジジがいきなりサチに言った。
「後ろは見なくていいからねっ!」
サチは思わず反射的に振り向いて後ろを見てしまった。そこにはライオンの着ぐるみロボットが二人の後を追いかけて来ているのが見えた。
「あーあ、だから見るなって言ったのに。急ぐよっ、走って!」
サチは何が何やらわけが分からなかったけど、とにかく逃げなきゃ、ジジに遅れないよう必死に付いていく。
走りながら恐る恐る後ろを振り返るとライオンの後にはもう一頭、キリンの着ぐるみも見えた。
(追っ手が増えてる!)
ジジはサチの手を引っ張りながら、エスカレーターを斜めに上がったり、水平に移動したり、また下の階に下りたりした。
(もう来た道を覚えてない、ちゃんと帰れるのかな私)
ジジがライオンとキリンを撒くために逃げているだけなのか、本当にサウスタワーに向かっているのか、もはやサチには分からない。無我夢中でジジについて行くだけだ。こんな事ならついてこなければ良かったという思いがサチの頭をよぎる。
遠近感がおかしくなる。走っても走っても景色が動かなかったり、急に壁が近づいて来たり、下りのエスカレーターでは奈落に落ちて行くような、お腹の中がひっくり返る気持ち悪さを感じた。
時々後ろを振り向くと、ライオンとキリンは両手を突き出して何かを叫びながら追いかけてくる。そしてその後ろにはワニがいるのが見えた。
(また増えてる!)
彼らが何を叫んでいるのかはよく聞こえない。サチを取って食おうとでもいうのだろうか。
「ねえ、ジジっ」
サチはなぜ彼らが自分たちを追いかけてくるのか聞こうと思ってジジを見た。でもそこにジジは居なかった。サチの手を繋いで先を走っているのはウサギの着ぐるみロボットだった。
サチは思わず繋いだ手を振りほどいて立ち止まった。
「あら、バレた?」ウサギはサチを振り返って言った。「どうする?」笑顔のまま変わらない表情がそうサチに聞いてくる。
サチは後ろを振り返った。
着ぐるみのロボットたちが両手を伸ばして迫ってくる。
前にはウサギのジジ。
追っ手がサチの肩に触れそうになった。
「いやっ、やめてえっ!」
サチが頭を抱えてそう叫んだ時だった。
「やめろよジジっ!」
サチは手首を強く掴まれて誰かに引き寄せられた。
「いい加減客をからかって遊ぶのはやめろよ!」
サチの手首を掴んでいるのは一人の男の子だった。
ウサギは不満そうに言い返す。
「別にからかってるわけじゃないよ、ちゃんとローンの手続きを案内しようと思って……」
(ローン? ローンって?)サチは身に覚えのない言葉がジジの口から出たことに驚いた。
「サービスカウンターなら普通に行けばいいだろう!」
「……」
「いいからもう売り場に戻れっ!」
男の子がノースウィングの方を指差すと、ウサギの着ぐるみロボットは一匹の本物のウサギに姿を変え、ぴょこぴょこと通路の影に消えて行ってしまった。追っ手の着ぐるみたちももういない。
サチは今目の前で起きた出来事を飲み込めず、呆気にとられてポカンと口を開けたまま突っ立っていた。
「大丈夫かい?」
「……あ、えっ」
「ジジに何された?」
「何されたって……」
そうだ、忘れていた。
あのレースのワンピースを、お金が無くても買えるって言われてついて来たんだった。
「ローンの手続きだか何だかってジジが言ってたけど、君もそのつもりで来たのかい?」
サチは首を横に振るのが精一杯だ。
「そうか、じゃとりあえずこんなデタラメな場所からは出よう」
そう言って男の子は通用口のドアノブに手をかけた。
男の子が重そうなドアを押し開け、サチもその後に続く。
ドアが閉まる瞬間、中の様子がチラッと見えた。少し薄暗くて、空虚で、迷路のような不気味な空間。
ドアが鈍い音を立てて閉まる。
サチはもう一度ドアを開けてみたかった。
もう一度ドアを開いて同じ景色がそこにあるのか確かめてみたかった。
「さあ、行こう」
「あの、何なんですか、さっきの……」
「あれは、何でもないよ。ジジが」男の子は少し考えて言葉を選んでいるようだ。
「ジジが勝手にスライドして…… マッピングしなおした遊び場だ」
「?」
「分かんなくてもいいよ、とにかく、デタラメな時空なんだ」
サチはこれ以上質問するなと言われたみたいで口をつぐんでしまった。
「でもさすがにちょっとビックリしたろう、そこに座ってて」
通用口のドアを出たところは、ノースタワーとサウスタワーを繋ぐブリッジ15だった。かなり長くて幅の広い連絡橋で、はるか下にはセントラルエリアが広がって見える。景色の良いスポットで、特に夕焼けの時刻は絶景になるため、カップルがたくさん集まる場所として有名だ。
橋の上で営業しているテラスカフェ、男の子はそのカフェの椅子に座ってるようサチに言った。
「お待たせ」
男の子は両手に飲み物を持って帰って来た。サチにピンク色のソーダを、自分にはミネラルウォーターのボトルをテーブルに置いた。
「いいよ、お金は」サチがキッズパッドを出そうとしているのに気づいた男の子が言う。
「僕なら何でもフリーだから、遠慮はいらない」
「……いただきます」
サチはストローに口をつけた。冷たいグレープフルーツのソーダが心地よくサチを潤す。
「ジジに何かそそのかされたんだろう?」
サチはそそのかされたのかどうかは分からなかったけど、ノースウィングの4階でジジにうたた寝を起こされてから、男の子に逢うまでの事を話した。
「そうか、やっぱりローンで誘って遊んでただけなんだな」
「でも私ローンなんて……」
「ああもちろん、嫌ならローンにしなきゃいいんだ。無理やり引っ張って行くなんて犯罪さ」
サチは少しホッとした。男の子がそう言い切ってくれたことで、よく分からないままについて来てしまった後ろめたさが吹っ切れた気分だった。
サチは気分が落ち着いてくると、周りの景色の色が少し鮮やかになったような気がした。ハイランド・ブリッジの名が示す通りタワーの連絡橋はここのシンボルだ。今日は天気が良くて、春の風が頬を気持ち良く撫でて行く。
「君、名前は?」
「サチです」
「サチね。僕はトリ。トリスタンって名前が一応あるけど、トリでいいよ」
「トリ」
「ああ」
サチは改めてトリを見た。普通の男の子、と呼ぶには珍しい風貌をしている。
シルバーの巻き毛、グリーンがかった瞳に陶器のような肌。黒いシルクシャツにブラックスキニー、白のスニーカーを履いている。
歳は分からないけど長身でカッコいい。
「あの、ジジさんって…… お店の人なんですか?」
「ジジ? うーん、そうだな、別に雇われて働いているわけじゃないけど…… ここが棲家ってところかな」
「ハイランド・ブリッジに住んでるんですか?」
「住んでると言うか、元々ここの土地の者って言うか。僕もそうなんだけどね」
「ここでお仕事してるの?」
「僕はそのつもりだよ、ジジは遊んでるだけかもね」
サチがよく分からない顔をしているのを見ながらトリが笑いながら言った。
「さあ、どうする? 君がよければこれからハイランド・ブリッジを案内するよ」
サチは少し迷った。
「君がもし家族と一緒に来てるなら、僕は今すぐに送り届けなきゃいけないけど」
「……」
「君一人で来たの?」
「……うん、一人で来た」
「なら君自身のことは君が決めればいい、僕と一緒に来る?」
「はいっ、行きます!」
トリは来た時とは反対側のサウスタワーへと続くドアを開けてサチを招き入れた。どうやらこちらは普通のオフィス棟のようだ。サウスタワーを突っ切ってエレベーターで10階まで下り、サウスウィングの連絡口まで来た。
サチは少し時間が気になってキッズパッドで見てみると11時ちょうど。大丈夫、まだ全然余裕だ。サウスウィングにはお店の他にいろんな新しいサービスがあるとガイドに書いてあった。今から楽しみだ。
「一応確認だけど」トリが指差した先をみるとサービスカウンターと書かれている。
「え、サービスカウンターってサウスタワーの30階じゃないんですか?」
「ああ、それはジジの嘘」
「嘘……」
「サービスカウンターはウィングの各階にあるよ」
サチはそれも騙されていたのかとガックリした。
「洋服はもう諦めたってことでいいんだよね?」
「いいです、もう買わないです。だってそもそも私子供だからローンなんて、そんなこと出来ない」
「……いや、出来るよ、出来るようになった。サービスカウンターで承認さえすれば……」
「え、だって……」サチはキッズパッドのペイメント画面を表示した。
「ほらここが…… えっ⁈」
子供が出来ない手続きはグレイアウトでタップ出来ないようになっているはずなのに、今見ると緑のアクティブに変わっている。
「だから出来るんだって」
「え、いつからそんなこと」
「いつって、統一政府になった時だから2年前だろ?」
