一人で来たの? #4 見知らぬ世界
#4 見知らぬ世界
「統一政府……? 2年前……」
「そうだよ、君…… サチは何も知らないの?」
「……」
「世界中のシステムがガラッと変わるから、子供たちに対しても学校でかなりな時間数を取って統一政府の授業をしたって聞いてるよ」
「……」
「ははー、そうか、君授業をサボってたんだな、それで世界がどう変わったかよく知らないままなんだ」
「サボるなんて、そんなことないですっ」
自分に限ってそんなことはない、サチにはそう自信を持って言えるぐらい真面目な子供だという自負がある。
「キッズパッドを持ってるならそれでいろいろ見てごらん、前とは違うところがいくつもあるはずだよ?」
「あ、残高が……」0.00007185 Gの表示を見てサチは絶句してしまった。
最後に買い物をしたのはブリトーだった。その時は7,000いくらかのJPYSが残ってたはず。でも今は0がこんなに。
(それに何だろうこのGっていう単位は……)
「ああ、君ほとんどグローブを持ってないんだな、それで本当に今日一人で来れたのかい?」サチのキッズパッドをのぞき込んだトリが言った。
「グローブって?」
「ええ? あっきれた、君グローブも知らないの? こりゃ重症だな」トリが頭を掻く仕草を見せる。
「あの、教えてください、私のお金どこ行っちゃったんですか、なんでJPYSじゃないんですか?」
「そうだな、じゃキッズパッド見ながら説明するよ。でも僕だって全てを知っているわけじゃないけどね」
トリはサービスカウンターの長椅子にサチを座らせ、おもむろに説明を始めた。
「まず、一番大切なこと、日本っていう国はもう無いんだよ」
「えっ?」
「まあ最後まで聞いて、これはまだまだ序章だ」
「……」
「いいかい、もう日本って国は無くて、この地球全体が一つの国になったんだ。国が一つになったから、政府も一つ、それがいわゆる統一政府。正式には『世界主権評議会』って言うんだけど。法律や役所や裁判が世界で統一されたんだ」
トリは続ける。
「元日本だった場所は今、ハポニア州って呼ばれている」
「ハポニア州……」
「そう、だから君は世界主権評議会のハポニア州に住む一市民、という事になる」
サチはもう理解が追いつかない。トリの言う事を聞いてはいるがまったく頭に入ってこない。家族とも友達ともそんな話しは一度もしたことがない。
「歴史や文化や生活習慣はそれぞれの土地で昔のまま続いているし、州境は以前の国境とほぼ変わってないから、世の中の仕組みが変わったってことに気づかなかったのかな?」
サチは、そんな大事なことに気づかないわけがないと思いながらも、そう言われればそうかも知れないという思いが頭をもたげてくる。
「君のIDを見てみなよ、そしたら君が一体誰なのか、はっきり分かると思うよ、このUIDってところを押してみて」
サチはUIDの場所をタップした。
Unified ID:TS78JX1H7B
Citizen Name:Gāoyuán Xiáng
Area:Tokio
Region:Japonia
「ふーん、君はTS78JX1H7Bって言うんだね」
「え、違います、私、タカハラサチ、高原祥ですっ!」
「うん、君はサチだよ、でもそれはしょせん目印用に貼り付けたラベルだから。ニックネームみたいなものだよ。別に使えない名前じゃないんだけど、君の名前は唯一TS78JX1H7Bで、それ以外は正式には認識されない。でも心配することはないよ、TS78JX1H7Bさんはこの地球上に君しかいない。君がTS78JX1H7Bであることを証明できれば、統一政府の下に保護されることになるのさ」
「そんな……」
トリがキッズパッドをクルッと自分の方に向けて言った。
「あれ、君も市民名が中国語読みになってるな。日本の漢字名は難しくて自動的に音訳されないからなあ。一人ずつ固有名詞を登録するのが間に合ってないんだ、これは仕方ない。家族に頼んでTakahara Sachi だっけ? に変更手続きしてもらうといい。承認されるかどうか分からないけどね。そのままにしておいても特に支障は無いよ、ただのラベルで意味は無いから」
サチはもう言葉も出なかった。
私が私じゃないなんて。
私の名前に意味が無いなんて。
一体、なぜこんな事に?
もしかしたらこのキッズパッドが自分のじゃないのかも、と思ったサチは、友達とのチャットを開いてみた。チャットの内容は確かに覚えがあったが、友達の名前はみんなサチのように数字とアルファベットのIDが表示されている。ニックネームは中国語読みに変換されていて、誰が誰なんだか、アイコンを覚えていなければ見分けがつかなかった。
お気に入りコンテンツを開いてみると確かにサチのお気に入りではあるし、フォトはサチの家族や友達の笑顔であふれている。
そもそもこのキッズパッドのロックがサチの生体認証で解除できているのが何よりの証拠だ。
これは間違いなく、私のなんだ。
「さて、その、お金の話なんだけど」
トリに言われてサチは残高の0.00007185 Gをもう一度表示して見た。悲しいぐらいゼロが並んでいる。
「各国で使われていた通貨の替わりに統一政府が発行した通貨がG、『グローブ』だよ」
「私のお金、無くなっちゃったんですか」
「無くなってはないよ。JPYSからグローブにレート交換されたはずだけど。でもJPYSの価値はほとんどゼロだったからなあ、元々持っていたお金は価値がとっても下がっちゃった、ということは言えるね」
「価値が下がった……」
サチには少し難しい話だったけど、今まで価値の無いものを自分が大切に貯めてきたんだと思うと、バカにされたみたいで悲しくなった。
「でも統一政府になったと言っても悪ことばかりばかりじゃないんだよ」
サチはトリの顔を見た。
「“個人”という概念が大幅に拡大された。んー、少し難しいけど簡単に言うと“個人”が出来る事がとっても増えたんだ。一つ例えて言うとローンだ」
サチは微動だにせずトリに聞き入っている。
「統一政府になる前は、子供はローンで支払いをするなんて出来なかったよね。だけど今じゃローンは年齢関係なく利用出来るんだ」
「年齢関係なく? 私よりもっともっと小さい子でも、赤ちゃんでも出来るの?」
「ああ、出来るよ」
「でも赤ちゃんはローンなんて分からない」
「分からないと決めつけるのは子供に対する差別だ、そういう考え方らしいよ」
「差別だなんて……」
「たとえばそうだな、3歳ぐらいの子供で、ローンの説明をちゃんとして、本人が理解したと答える事が出来て、ローンを使って物を買う意思があると確認したら、それはもう禁止する理由が無いよね」
「でもそれだとやっぱり…… いろんな問題が、大人とおんなじ風に理解出来るって思ってることが違うって言うか…… 私はいろんな規則は子供を守るためにあるって教えてもらった気がするんだけど」
「そのはずだったさ、昔はね。だけど当の子供たちが異を唱え出した。“個人”の権利を認めろってね。子供でも大人と同じように理解出来る子っていうのはきっといる。産まれたての赤ちゃんは無理かも知れないけど、でも出来ると出来ないの仕切りは誰にも決められない。だから年齢制限無しなんだ」
サチは分かったような分からないような、頭に雲がかかったような気分になった。なんだかおかしなところがいっぱいある気がする。でもそれが何なのかはっきりと言えない。
とりあえず一番の疑問をトリに投げかけてみた。
「だって子供はお年玉とお小遣いぐらいしかお金持ってないし、働いてもないし……」
「うーん、説明が前後しちゃったかな」
トリは少し考えて、改めて話し始めた。
「子供はもう大人と同じように働く子が増えてる。もちろん勉強もしながらね」
「えっ?」
「これも同じだよ、子供だって働かせろ、お金を稼がせろ、権利を認めろ、って主張が通っちゃって。企業は一定の割合で就学中の社員を雇わなければいけなくなった。子供が起業する制限も全て取っ払われた」
「子供にそんなことが出来るの?」
「もちろん全員は出来ないさ。でも大人と対等にビジネスが出来るレベルの子に、子供の枠組みを強制するのはむしろ虐待だと」
「虐待……」
「子供には勉強が必要だ、それを否定する人はいないんだよ。でも勉強を終えて次のステップに進みたいのに、他人に合わせて待ってなきゃいけない時間があるのはとっても無駄なことだよね。大人への一歩を進める準備ができた子供から順番に階段を登ってゆく。そのタイミングはみんなバラバラなはすだ。全員揃って学校を卒業する時でもいいけど、そうでなくてもいい。“個人”の能力や価値観に合った人生を選んでいけるように、子供にもいろんな選択肢が増えたっていうのは単純にいいことだと僕は思うけどね」
言葉は難しいけど、なんとなくサチにも理解は出来る。理解出来るけど、なんだか妙にモヤモヤした気分が残ってしまった。
「さ、ローンについての説明はこれくらいだ。統一政府を知らなかったんならさぞかし驚いたことだろうな」
サチは視線を床に落として黙ってしまった。
「だけど変わったことはまだまだあるよ。語り尽くせないほどいっぱにね」
