一人で来たの? #6 世界の正体
#6 世界の正体
「トリ、UIDって大事なんだね」
「大事だね。この世界を生きていくなら最重要アイテムだ」
「でもね、私やっぱりなんだか違う気がする」
「そうかい?」
「うん、うまく言えるかどうか分からないけど……」
トリは黙ってサチの言葉を待っていてくれている。
「今までは無かったいろんな事が出来るようになったけど、それ本当にうまく行ってるのかなあ? なんだか、いいのはその時だけで、後になってからやっぱりやめておけばよかったなんて、そう後悔することって無いのかなあ? 私はトリが新しい政府のいい所ばっかり言ってるような気がするんだけど……」
「そうだよ」
トリはサチの意外そうな顔を見て、少し皮肉な微笑みを浮かべて言った。
「まったくサチの言う通り」
「人間が生きてく上での選択肢はとっても広がった。広がった選択肢のおかげで、本当の自由、本当の幸せを手にした人は確かにいる。でもそれはごくごく限られた一握りの人のことだ。例外中の例外。実際のところ、安易に新しい選択肢を選んだ人のほとんどは、今問題を抱えている」
トリは続けた。
「子供が立ち上げた会社は債務不履行に陥って多額の借金を抱えて倒産するし、子供がローンを組んでも見通しが甘くて支払いが滞るなんてことは日常茶飯事だよ。
赤ちゃん同士の結婚で喜んだのは周りの大人たちだけ、結婚式というイベントを楽しんであとは放ったらかしさ。あの子たち、実は自分が結婚していたなんて知らずに大きくなるんじゃないのかな。動物と結婚したってその実態はただのペットとその飼い主だし、UIDを政府に返納してしまった人の末路といったらさ……」
トリは言うまでもないという風に両手を広げて見せた。
「そんなメチャクチャな社会にしちゃうなんて、新しい政府は酷いね」
「そうかい? 政府はただ寛容なだけさ」
「寛容なだけ?」
「ああ、全部市民の側から要求したことだよ、どれもこれも。統一政府はそれを容認した。何一つ市民に強制なんかしていないさ。市民は望んだものを手に入れたんだ」
「でもそのせいでメチャクチャな世の中になっちゃうんじゃ意味がないじゃない、きちんとうまく行くようにしてくれなきゃ」
トリが小さなため息をつく。
「それはサチ、ワガママってもんだよ。いいかい? 自由の範囲を広げたら責任もその分広がる。そのぐらい分かるだろう? それに統一政府は地球上のすべての人間を統率しなきゃいけないんだ、小さい問題に関わってる暇がないし、ころころ法律を変えていると市民は混乱する」
「……」
「それにね、どんなトラブルが起きても、それに対して責任を負う人はもう決まっているんだ」
「もう決まってる?」
「ああ、キッズパッド出してごらん」
サチはバッグからパッドを取り出した。
「ほら、サチのUIDを開いて、ずーっと下にスクロールしてごらん」
サチは人差し指で何度も何度もスクロールした。
「ほらここ、Activity logs ってとこ」
サチはタップしてみた。すると、今日朝何時に起きて、朝食に何を食べ、何時に家を出て、どのルートでハイランド・ブリッジに来たか、そして何時何分にどの店で何を見て、何をいくらで買って、ノースウィングをどのルートで移動したか、その後も全部、ログとして記録されていた。
それだけではない。学校での成績、毎日の小テストの点数、SNSでよく会話している友達のID、ピアノの先生の評価、練習した曲と時間、それに視聴したムービーやコミックのタイトル、検索したワード、閲覧したサイトまで、サチのすべてがそこに記録されていた。
自分で真面目を自負するサチだが、これにはゾクッとした。
「これがサチの全行動の履歴だ。そしてこのサチの行動に対して責任を負うのは…… ここ」
サチは言われるままにタップする。そこにはパパとママの名前が、正確にはパパとママのUIDが記されていた。
Primary:TM47NK3L0D/Takahara Mikiya
Secondary:TT29ZQ4R8F/Takahara Tamaki
「タカハラ、ミキヤさんと、タカハラ、タマキさん、サチのパパとママかな?」
サチはうなずいた。
「この二人が、サチの行動に対して全責任を負う、そう決まってるんだよ」
それはサチにも分かる。親だからそれは当然のことだ。
「今度はパパのUIDのところをタップしてごらん」
パパのUIDをタップしたサチは驚いた。
そこにはパパの行動の履歴はもちろん、会社での成果、損失、業績、評価、そしてミスの回数とその内容まで表示されている。子供の学校の成績と同じように、大人は仕事の成果が全部登録されているということなんだ。
サチはスクロールを少し上に戻してみた。
パパのActivity logs。
パパはお休みの日に、行き先も言わずにどこかへフイッといなくなることが時々ある。ママは気にしてないみたいだけどサチはずっと前から気になっている。口に出して聞いてみるのがいいことなのかマズいことなのかサチにはよく分からない。マユにも言い出しづらかった。
先週の日曜日の履歴のところに何かリンクがある。きっとここを押せばパパがどこにいたか分かるのだろう。でもサチに押してみる勇気は無かった。
「パパの行動に対して責任を負う人がここだね」Primary:TT29ZQ4R8F/Takahara Tamaki
Secondary:TMY56RP5V9H/Gāoyuán Zhēnxī
「あれ、二人目がまた中国語読みになってるな」トリが言う。
「……多分お姉ちゃん」
「君、お姉ちゃんがいるんだね、と言うことは、君のパパ、タカハラミキヤさんの行動は、君のママとお姉ちゃんが全責任を負うっていうことだ」
「お姉ちゃんも?」
「そうだよ、もう大人と子供の区別は無くなった、サチも見てきただろう?」
言われてみればそうだ。
「今度はママのところを押してごらん」
「もういい」
「どうして?」
「もういいです、もう、あんまり見たくない」
「ダメだよ、見なきゃ、君には見る義務があるんだ」
「義務?」
「そうだよ。統一政府はもちろんだけど、州の警察も裁判所ももう手一杯なんだ。自分たちのトラブルは自分たちで責任もって処理をして自己解決する、それが基本。そのために家族同士でお互いを監視しあう必要があるんだ。家族がトラブルの元になるような行動をしていないか、トラブルを起こしそうな人と付き合ってないか。さあ、ママのところを押して、ほらっ」
サチは半べそになりながら震える指でママのUIDをタップした。
画面を見ることができなくてそのままうつむいてしまう。
「見たくないなら僕が見てあげるよ、へえ、サチのママは大学の教授なんだね、偉いんだ。論文の評価なんかが出てるぞ。それと、Activity logs 詳細はと。ふーん、ここ1週間でかなり高額な買い物をしてるんだね、何を買ったのかな、ここを押せば買ったものが分かるよ、押してみるね」
「もういいっ」
サチはキッズパッドのカバーをバタンと閉じた。
「……見なきゃいけないのは分かったから、今は、今は許して……」
サチは涙がこぼれるままの顔を伏せながらやっと言葉を絞り出した。
「サチ、泣いてるの⁈」
トリは初めてサチの動揺に気づいたようだ。
「ごめん、僕……」
「いいの」サチはハンカチで顔を覆いながらそう言った。
「早く説明を終えて次のところへ行きたくてさ。でも今日はいろんなことがありすぎたね、詰め込みすぎたよ。ああ、サチ、ごめん……」
サチはトリの胸にすっぽりと抱きすくめられた。
トリは長い間何も言わずに、サチが落ち着くのを待ってくれた。
何もサチやサチの家族に酷いことが起きたわけじゃない。
まだ何も起きてない。
ただ準備ができていなかっただけなんだ。
何もかもいっぺんに受け入れるなんて。
「もう平気、ありがとう」
「本当に? もう少し休んでもいいよ」
「大丈夫、それより早くトリのおすすめのところに行ってみたい」
「そうだね、そうしよう! まったく! 6階になんか寄り道するんじゃなかったよ」
そう言ってトリは近くにあった長椅子を蹴飛ばした。
「イテッ」という小さな声が聞こえた。
