一人で来たの? #7 サチの行きたい場所
#7 サチの行きたい場所
「サチを連れて行きたいところはウィングじゃなくて実はタワーの方なんだ、サウスタワーの25階さ」
タワーはオフィス棟、娯楽施設みたいな場所があるんだろうか? サチは少し不思議に思いながらもトリに誘われるままエレベーターに乗った。
「サチ! これこれ、これがおすすめなんだ!」
サチはトリが指差した看板を見上げると、
『次元超越VR体験 マルチバース・スリップストリーム』
(VRか)とサチは思ってしまった。
パパがいくつか持っているVRゴーグルやグラスを付けさせてもらった事があるけど、どうもサチにはイマイチだった。サイズが合っていなくてグラグラするし、映像酔いで気持ち悪くなった記憶しかない。
「グランマ! お客さん連れてきたよ、準備してあげて!」
トリが声をかけた方を向くと、カウンターの向こうにお婆さんが座っていた。最初背を向けているのかと思ったけど、頭だけが180度ぐるっとこちらを向いた、気がする。
サチは一瞬ギョッとしたけど気のせいかなと思い直した。
「いらっしゃいお嬢さん、あなたが今日のトリのお客さんね」
お婆さんは白髪の髪を結い上げて、和服を着ている。おおよそVRのイメージには似つかわしくない。
「まずUIDを読み取らせてもらうよ」
「あ、はい」サチはキッズパッドを取り出そうとした。
「ああ、出さなくて結構、もう読み取りは終わったよ」
そうだ、行く先々で読まれてるんだった。
「トリのIDも済んでますか?」サチはトリがグランマと呼ぶその人に聞いてみた。
トリはカウンターには寄らずにロビーに直行して、空中に浮かぶホログラムディスプレイでデジタルカタログをめくっている。
「トリのID? ほぅっ、ほぅっ、ほ」グランマは上を仰いで大笑いした。
「あの子はIDなんて持っちゃいないよ」
「IDを持ってないの?」
「そうさ、あの子は人間のIDなんかとは無縁の子。トリはトリ。ただそれだけさ」
サチは何がなんだか分からない。トリを見やると楽しそうにカタログでメニューを選んでいる。
(IDを持たない、ってことはつまり……)
「ジジにずいぶんやられたみたいだねえ」
サチはグランマに視線を戻した。
「分かるんですか⁈」
「ああ、全部お見通しだよ、あの子ウサギったら」
グランマはジジがウサギだっていうことも知ってるんだ。
「ああいうイタズラ好きには気をつけな、隙を見せたらすぐに忍び込んでくるよ。お嬢さんどこかでうたた寝をしたろう? 夢とうつつの狭間でうろうろしてちゃ、そりゃあつけ込まれちまう」
確かにからくり時計の前でうたた寝をしたサチは随分と無防備だった。
「お嬢さん、一人で来た、わけじゃないようだね」グランマが言う。
「あ、はい……」
「でもトリには一人で来たって嘘をついた」
グランマには何もかもバレている。
「まあよくもえらそうに、自分の足で歩いたこともないくせに。ほぅっほ」
「私は、私は歩けますっ」
「おやそうかい? じゃあ一人で歩けると勘違いしちまったあと、お嬢さんがどうなったか、よーく思い出してみてごらんな」
「勘違い……?」
「糸の切れた風船みたいに、どこかへ飛んでっちまったんじゃないのかい?」
グランマの言うことは上手く飲み込めなかったけど、なんだか随分と遠くへ来てしまった気はする。
「これでお嬢さんの準備は出来たよ、さ、行っといで」
準備は出来たと言われたけど、何も装備をもらってない。ゴーグルもグラスも、何も無しでVR体験出来るんだろうか? サチが戸惑っているとトリが戻ってきた。
トリは中世ヨーロッパの騎士のように、全身に重そうな鉄の鎧をつけて剣を握っている。兜のバイザーをガシャンと持ち上げると、トリの綺麗な顔が見えた。
「一度これが着てみたかったんだよね、どうこれ、クールでしょ?」
「あの、私のは……」
「ああ、サチはそのままで大丈夫だよ。じゃ行ってくるね、グランマ!」
ゲートを通過して真っ暗な通路を進む。本当に真っ暗で自分の手も見えない。歩けど歩けど進んでいるのかどうかが分からない。少し前を行くトリの鎧の足音だけが頼りだ。
トリの足音の向こうに水音が聞こえる気がする。その水音は進むに連れだんだん大きくなる。
急に視界が開けた。
通路の出口に広がっているのは大きな滝の風景だった。
サチとトリは滝の上に立っていて、二人の足元からはるか下に向けて水が流れ落ちている。下をのぞき込むと滝壺は舞い上がった水飛沫で見えないほどだ。滝の爆音がお腹に響くのを感じる。
これがVRの映像なのか。
サチは足元に流れる水を手のひらですくってみた。冷たい。サチの指の間を雫がしたたり落ちる。
これはサチの知ってるVRじゃない。
「どう! 最高だろ⁈」トリが滝の音に負けないように声を張る。
サチがうなずく。
「サチも何かに着替えなよ!」
「着替えるって?」
トリが微笑んだ。「目を閉じて、開ければいいだけ!」
サチが瞬きすると、膝下に白いレースが揺れた。
あの総レースのワンピースだ。頭にはカチューシャ、足元には黒のエナメル靴。
「準備OK?」
「うんっ!」
「飛ぶよっ!」
トリがサチの手を掴んで飛んだ。
しばらくフリーフォールのように真下に落下していたが、ぐるんと曲線を描いて二人は上空に高く舞い上がった。
「どう?」
「すごいっ!」
手を繋いだサチとトリは風を孕み、さらに上昇気流にのって高みに登ってゆく。
上空の冷たい空気がサチの頬を叩く。
サチが今日感じたモヤモヤや、胸のチクチクや、ゾワゾワするような気持ち悪さを、全部吹き飛ばしてくれるようで気持ちがいい。
「サチっ、何が見たい?」トリが聞いた。
「……桜! 満っ開の桜が見たい!」
「OK!」
するとサチの目の前に薄紅に染まる山が見えてきた。満開の桜だ。何万本、いや何十万本あるか分からない。濃淡の花の色がグラデーションになって、山の峰々を波打つように覆い尽くしている。視界の続く限り桜の洪水だ。
「すごいっ、すごいっ! こんな桜見たことないっ!」
トリが高度を下げて桜スレスレに飛ぶ。するとサチのワンピースの裾に触れた桜の花びらが勢いよく舞い上がる。トリが急旋回して花びらが舞い降る中を通過した。
「わーっ、キレイ!」
気がつくといつの間にかワンピースの裾には桜の刺繍が入っている。
サチはトリと顔を見合わせて笑った。
満開の桜を後にした二人は、
白い雪を頂いた山を越え、
エメラルドに光る湖を見下ろし、
どこまでも続く針葉樹の森の上を飛んだ。
遠くに昼と夜の境目が見えてきた。
光と闇の境界線がだんだんと近づいてくる。
「夜だ、行くよっ!」
二人は夜に突っ込んだ。
鮮やかに流れていた景色は一変して、時が止まったかのような暗闇に包まれた。
「サチ、何が見たい?」
サチは一瞬考えた。この真っ暗な中で?
(そうか!)
「花火、花火だ!」
トリが笑顔で親指を立てる。
目の前に一発の花火が打ち上がった。地面から長く尾を引く火の玉は、一瞬闇に姿を隠したかと思うと次の瞬間、サチが思っていたよりももっと高いところで炸裂した。オレンジ色の火花から生まれる色とりどりの花たち、その花びらの先端からさらに放たれる光の粒。
花火は何百も何千も、闇の中を進む二人を取り囲むように、いつまでも打ち上がり続けた。
家族での花火見物はいつもライブ配信だ。パパもママも家のリビングが一番の特等席だと言って譲らない。サチは実際の花火をこんなに近くで見たのは初めてだった。
最後の花火の最後の煌めきが消えて、二人がまた闇の中に戻った時、トリが言った。
「そろそろ夜明けだよ」
サチは周りを見渡したけどまだ空全体が漆黒の闇だ。
しばらく目を凝らしていると、確かに山の稜線が浮かび上がってきた。空の端は漆黒からだんだんと藍色が混ざり、水彩絵の具が滲んでいくように、濃い青が少しずつ足されてゆく。
その時、一筋の白い光が、右上から左下にシュッと尾を引いて消えた。
「トリ、流れ星だ!」
もう一筋、もう二筋と、流れ星はだんだんと数が増えてゆく。最初は星の数を数えていたサチだったが途中で諦めた。やがて光の矢は雨が降るように二人の頭上に降り注いだ。
パパに流星群を見に行こうと誘われ、家族でキャンプに出かけたことがあった。一晩中起きて夜空を眺めていたのに、ただの一つも流れ星を見られずに、家族全員がガッカリして帰ったのを思い出した。その時とは雲泥の差だ。
花火よりももっともっと儚い光。その儚い光が無数に生まれては消え、消えては生まれて、ほのかに二人の頭上を照らした。
「すーごーい!」
「だろ? これは僕からのプレゼント」
「トリからの⁈ ありがとう!」
夜明けと呼べる時間は短い。
空はあっという間に水色に覆われ、繊細な光の矢たちは太陽の光の中に飲み込まれて行った。
「さあ、次は何が見たい?」
「次? うーん、そうだなあ……」
サチは少し考えたけどあまりいい案が浮かばなかった。
「いいよ、もう考えなくてもいい。次はサチが本当に行きたいところへ行こう」
(私が本当に行きたいところ……?)
「急降下するよ、つかまって」
サチは慌ててトリにしがみついた。
真っ逆さまに下へ向かって落ちているらしい。落ちるスピードがだんだん早くなって、周りの景色は混ざり合って見えなくなる。サチは怖くなって目を瞑った。
ドテッ
「イテテ、あ、サチ大丈夫?」
サチが目を開けると、トリにしがみついたまま床に横たわっていた。
「着地失敗、コケちゃったね」
トリはサチを抱き起こしながら言った。
「ケガは?」
「ううん、どこも」
「あ、僕の装備が全部外れてる、グランマのケチ」
鎧も剣も消えて、トリは元の服装に戻っていた。でもサチはまだワンピースのままだ。
「サチはそのままだね、よかった」
サチは服装のことより周りを見て不思議に思った。
(私が本当に行きたかったところって、ここ?)
二人が降り立ったのはブリッジ25だった。トリと出会ったブリッジ15とは景色の視線がまるで違う。
「サチ、下見てこらん」
「うわー、怖い、あんまり手すりに近寄りたくないよ」
「人間が蟻みたいだ。蜜に吸い寄せられて群がってる]
さっきまでのトリとはなんだか様子が違う。サチは気になってトリの顔を見た。
「進むのは右か左、0か1。ぶつかったら方向を変えて、またぶつかっては違う方を向く。
OnとOff を繰り返すスイッチみたいだ。ここから人間を眺めると意志を持って生きているいるようには見えないな。声だけが大きい奴ら。
ここにいれば風の音しか聞かずに済むのに」
「トリ……?」
「何でもないよ」
ノースタワー側の連絡口のドアが開いている。「入ろう」トリがサチを手招きした。
ノースタワーの中はやっぱり今も空洞だった。あのジジに引っ張り回されて、無意味にエスカレーターを上り下りした、巨大な空洞。あの時の怖さがサチに蘇ってくる。
「サチの来たかった場所だよ」
「ここが? 違う、こんなんじゃない」
「そんなはずないんだけどな」
「だってここは、ジジにイタズラをされたところだよ!」
「そうだったね、でも今はジジはいないよ?」
「……」
「なぜサチがここに来たかったのか、その理由は僕には分からない。だってここは君自身が選んだ場所なんから」
「私が⁈」
サチにはまったく思い当たるふしがない。いくら思い返しても怖くて嫌な記憶しかない。
困惑しているサチをよそ目に、トリが何かを考えている。周りを見渡して、空気を嗅ぐような素振りを見せる。
「どうしたの、トリ」
「あ、うん、何だか…… いやなんでもない」
なんでもないと言いながら、トリは目に見えて態度が落ち着かなくなっている。
「やっぱりそうだ、絶対近くにいる」
「何がいるの⁈」サチは周りを見渡した。
「すぐ下だ!」
サチが手すりの下を覗き込むと、上を見上げる着ぐるみロボットと目が合った。
ジジと一緒に逃げ回った時のと同じ、ライオンと、キリンと、ワニの着ぐるみだ!
トリがダッとかけ出す。
「待ってトリ!」サチも後を追う。
着ぐるみロボットたちはまた口々に何かを叫びながら追いかけてくる。追いかけられる理由も、逃げなきゃならない理由も、サチは分からないままなのに。
トリはその長い足で次々にエスカレーターを乗り継いでゆく。サチのことは目もくれずに。
「……チ ……サチ ……ないで」
着ぐるみたちの声がだんだんと近づいてくる。
(まってトリ! 一人にしないで!)
サチも遅れをとるまいと必死にトリについて行くけど二人の差はだんだん開いてゆく。
「サチ…… そっち…… か……」
(怖いよ! 置いていかないで!)
サチはまた、走っても走っても景色が動かないような感覚を思い出して怖くなった。
「サ…… ダメ…… いか……」
「トリ! 手を!」
サチはトリに向かって手を伸ばす。
トリが30階の踊り場で一瞬立ち止まってサチを振り返った。
「サチ! そっちへ行っちゃダメ!!!」
着ぐるみたちの声がはっきり聞こえたと思ったその瞬間、
ワニが、
着ぐるみじゃない本物のワニが、
サチの頭上を飛び越えてトリに襲いかかった。
「トリ!!!」
ワニは容赦なくトリを押し倒し、その巨大な顎でトリの左足に噛み付いた。
トリの苦しげな呻き声が聞こえる。
でもサチにはどうすることもできない。両手で顔を覆い、その場に座り込み、泣きながら見守るしかない。
トリはワニの顎を振りほどこうとするがワニの顎は強力で、振りほどこうとすればするほど鋭い歯がトリの足に食い込み、そのたびにトリの悲痛な声が上がる。
トリは右足でなんとかワニを引き剥がそうとする。何度目かのキックが上手くワニの顔面にヒットした。ワニが一瞬怯んだ隙にトリがワニから離れる。
「トリ!」
サチはトリに声をかけた。
だがその場に立ち上がって姿を見せたのはトリではなく、一頭の黒い馬だった。
波打つシルバーのたてがみ、グリーンがかったその瞳。
「トリ!」
サチはもう一度呼んだ。
黒い馬は一瞬サチを見つめたあと、突然30階の通路の手すりを飛び越えた。
サチが(落ちるっ!)と思った瞬間、黒い馬は空中で消えてしまった。
ほんの一瞬だけ、サチの瞳に残る残像。
残されたワニがグッと体を捻らせてサチの方を向いた。右、左と匍匐前進のように歩を進めながらサチに近づいてくる。
サチは恐怖のあまり座り込んだまま動けない。
(来ないで、来ないでっ!)
声にならない声で叫ぶ。
ワニがサチの目前に迫った。
顔を背けたサチの左頬にワニの鼻先が触れる。
(もうダメだっ!)
サチはギュッと目を閉じた。
