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自己紹介(ルア・ノアール/Lua Noire)

*ルア・ノアールはメキシコの新米作家。noteで「宇宙民話」を連載中。

わたしはルア・ノアール、メキシコ生まれです。国内、国外の文化や文化的な交流を学ぶのが好きです。UAM(Universidad Autónoma Metropolitana)で社会学を学びました。書くことは、統合失調症のわたしにとっての治療法です。またわたしはノンバイナリーのトランス男性でもあります。作家名のルアは、飼っている子猫のルアからもらいました。ルアは白黒のまだら模様で、その黒(フランス語のノアール)と合わせてルア・ノアールとしました。

わたしは書くことが、自分にとっての癒しの手立てになることに気づきました。統合失調症と診断されたとき、わたしは自信を失いました。でも、書くことを始めたことで、一人の人間として自分を認めることができるようになりました。作家になると決めるまでは、自分が何者で、どのような存在かわかりませんでした。

それまでに試みたことは何もかもが失敗に終わり、運に見捨てられたと感じていました。統合失調症のせいで、一つ一つ何かを成すことに難しさがありました。会計学、柔道、ダンス、料理、歌と挑戦しましたが、うまくいきませんでした。暮らしの中に安らぎが見いだせず、心満たす喜びもなかった。2019年まで幻覚症状は悪化しつづけ、感じている不快症状をどうすることもできませんでした。

あるとき、わたしは幻覚で見たことを書き記す決心をしました。これにより、統合失調症がこちらを支配しているのではなく、わたしが統合失調症を支配していると感じるようになり、自分がどうすべきかの道も見えてきました。

幻覚のすべてが悪いというわけではありません。ときにとても創造的だったり空想的なこともあります。わたしの飼っている小さなマルチーズが、巨大になるという幻覚を見るようになりました。そのガジェタ(クッキー)がどの種の大型犬に似ているか、わたしは探し始めました。そして見つけたのがルーマニアの犬でした。これが『ワラキアの子犬たち』の物語のはじまりです。

また、統合失調症によって、自分が時間や空間を超えて心の旅ができる超パワーを持った、と考えるようになりました。死者と話ができると信じていたため、ルーマニアのヴラド・ツェペシュと出会うという幻覚も見れました。ツェペシュはドラキュラ伯爵として知られていますが、ワラキア地方の王子でもありました。想像力を発揮できるようになったのは、統合失調症とわたしの飼い犬のおかげです。ルーマニアの歴史はあまり知らなかったのですが、それを学ぶことができて、物語の犬たちに感謝しています。書くことが学びに繋がりました。

恐ろしい幻覚を見ることもあります。ロシアの文化を知らなかった頃、スネグーラチカ(雪姫)が自分の心臓を食べようとする、という恐怖に囚われるようになりました。

書くことの動機として、死んでしまった人々にまた会いたいという気持ちがあります。書くことが唯一の、彼らを心に留める方法でした。

統合失調症によって心が乱れることがあり、本を読んだり、見聞きしたことを覚えておくのが難しくなります。わたしにとって、書くことは挑戦なのですが、しっかりと意志をもって望めば不可能ではありません。

まだわたしが小さかった頃、本を読むことを教えてくれたのは姉のカルラでした。子ども時代にギリシア神話を読むことができたのは、姉のおかげです。姉は大学で哲学を学んでいましたが、図書館で勉強をするとき、わたしを一緒にに連れていってくれたのです。そこでわたしは、書棚に並ぶ本をワクワクした気持ちで眺めていました。

いろいろやったことの中で、ポリネシアン・ダンスがとても好きになりました。物語をかたる方法には、さまざまなやり方があると知りました。ポリネシアン・ダンスは、踊ることの中で、物語をかたります。手が物語るのです。

2023年に、一人の医者がわたしの状態がとても悪いと考えて、精神科の病院に入院させました。会ったその日に、その医者は診断を下したのです。わたしは1ヶ月間、入院させられました。統合失調症の診断を受けてわたしはとても悲しかったし、わたしへの侮辱だとも感じました。統合失調症という烙印がわたしの心を捉え、自分を無能な役立たずだと見るようになりました。

病院から解放された後は、ありあまる時間を手にしましたが、何をしたらいいのかわかりませんでした。それですでにやったことのある書くことを再開しました。「あなたの見た幻覚や病気で経験したことを書いてみたらどう」と友だちの詩人が勧めてくれました。わたしは彼女の提案に従いました。自分にはまだ書く能力や知性が足りないのではと思いましたが、その詩人、オサが、そうであっても書き続けるよう励ましてくれました。

わたしは書いたものを集めて、それを出版してくれるところを探しました。運のいいことに、わたしは葉っぱの坑夫を見つけました。とても素敵な日本の出版社です。彼らがわたしの書いたものを受け入れてくれて、とても幸せな気持ちです。日本の出版社と仕事するのは好ましいことでした。統合失調症を追いやって、規律をもって書くことを学べると思ったのです。この病気があると、規律正しく何かを成し遂げることが難しくなります。でも日本と文化的交流をもったことで、書くことにさらに真剣に取り組むようになって、それをとても喜んでいます。

性自認については、2017年にアジェンダー(無性別)あるいはノンバイナリーであるとカミングアウトし、両性具有という見え方を好んでいました。これがトランス男性への最初のステップでした。迷いがたくさんあって、ノンバイナリーでいることは、移行する決心までの避難所のようなものでした。

1年後、わたしはトランス男性としての自分を受け入れ、ポリネシアン・ダンスで性を変更しました。それまで女性の踊りをしていたのですが、男性の踊りを踊れるようになりました。そこで訊かれた唯一のことは、新たなわたしの名前でした。ダンスでは、自分が何者かによって拒否されたことはなく、いつも受け入れられてきました。踊ることがとても好きです。わたしには叔父さんがいて、わたしが生まれる前に死んでいるので会ったことはないですが、名前をパブロといいました。彼はゲイで、その人生は敵意にさらされていました。わたしは彼への尊敬の気持ちを心に踊っています。

とても仲のよかった友だちが二人いて、もう亡くなりましたが、とてもダンスが好きでした。わたしは踊るたびに彼らと共にいると感じています。彼らと自分をつなぐものによって、その人たちが今も生き続けていると感じます。誰かのことを書けば、一文字一文字に、彼らの永遠の存在を感じます。

わたしはトランス男性になるつもりでしたが、移行の期間、わたしの性自認を認めない人々と出会いました。それでトランス嫌いに対して絶望した時期があります。自分が肉体的にも男性になれるかどうか、確かでないと思い、頭の中で葛藤があり、ジェンダーそのものを拒否するようになりました。自分に性別はないと語るようになり、またノンバイナリーに後戻り、そこを避難所としました。自信がもてたときだけ、自分をまたトランス男性として受け入れました。

わたしにとって「トランス嫌い」は悪臭を放つ汚れた洗濯物の山、息が詰まります。でもトランス男性とノンバイナリーの間を行き来すれば、少しだけ生きやすくなります。

生きるのは複雑なこと、でもときに制約や障害と向き合うのはいいことです。逆境にあってネガティブな考えに身をまかすのは簡単ですが、自分自身のために、健全さを保とうとすることはずっと大きな利益になります。

わたしの夢は、書くことで文化を広めること、社会によりよい影響を与えること、声をもたない人に声を与えること、そして世界の国々を知ることです。


だいこくかずえ訳・フェルナンダ・カルバハル [ スペイン語→日本語訳 ] 校閲



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