自分を信じるのって、簡単じゃない。
自分のことを信じれるようにならんと、相手のことも疑ってしまう。
私は長い間、自分のことをあまり信用できずに生きてきました。そして、「何やってもうまくいかない」、そんな思い込みのなかで過ごしていた気がします。
ボーリングのピンを倒したのに、倒したピンを自分で直しにいくみたいな。直しながら、「まだ倒れてない」って言ってる感じ。
人に褒められても、「ホントか?」と、どこか疑ってしまう自分がいた。イマでも、「完全に自分を信じているか」と聞かれたら、ハッキリと「YES」とは答えられないかもしれません。
それでも、少しずつ変わってきていて、イマの自分は「グレーなYES」くらいは言えるようになったかと思います。
もしかすると、神さまの存在よりも自分のことを信じていなかった気がします。
そもそも、「自分を信じるって何?」という感覚です。
だから人と関わるときも、どこか一歩引いた場所に立っていた。近づきたいのに近づけない。信じたいのに先に疑ってしまう。
「どうせ見下してるんだろう」
そんな”どうせ思考”が、頭の中で先回りしてしまう。
だから本来、他の人から見たら綺麗なはずの世界が、どこか薄汚れて見えていました。
しかも、この思考がとても厄介でして、
相手が本当にそう思っているかどうかは関係ありません。
自分がそう”解釈した瞬間”、それは現実のように振る舞い始め、行動に影響していきます。
結果として、こちらの誠意は伝わらない。
距離は埋まらない。
そして「やっぱりな」と、自分の中の疑いだけが強化されていく。
皮肉な話ですよね。
自分を守るために生まれた思考が、逆に自分を孤立させていくのです。
かつての人類にとって、裏切りは命取りでした。
だから疑うことは、生き延びるため必須な機能だった。まだ私は300万年ほどの前の人類である、アウストラロピテクスのようです。
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そんなとき私は、「解釈の数を増やす」。そして、解釈の中で、いい方向をみるように進化を遂げました。
あいては、
寝ぼけてたのかもしれない。
筋肉痛だったのかもしれない。
性格が合わないのかもしれない。
ただ疲れていただけかもしれない。
喉に麺が詰まってたのかもしれない。
喉がイガイガしてただけかもしれない。
タイミングが悪かっただけかもしれない。
コンプレックスに反応したのかもしれない。
そもそも、人間ではなかったのかもしれない。
あるいは、単なる勘違いかもしれない。
人は一つの解釈に固定された瞬間、視野が狭くなり、その解釈を守るために、現実のほうを歪め始め、その人の世界では、それが絶対となり真実となってしまう。
だから私は、不信感が湧いたとき、あえて一度離れます。距離を取り、感情の温度が下がるのを待つ。
この「待つ」という行為、地味ですがとても重要です。
なぜなら、感情が高ぶっているとき、脳はほぼ”バトルモード”だからです。
この状態での判断は、大体外れます。
しかも自信満々に外すので、少し厄介です。その予想をするときの自分の表情、腹立つ顔してます。
ちょっと笑えますよね。
「絶対そうだ」と思っているときほど、だいたいズレている。
落ち着いたら、私は三つの視点を回します。
・自分のコンディション
・相手の状況
・環境や相性の限界
あと最大の原因は脳疲労です。
これらをぐるぐる回すだけで、不思議と”余白”が生まれる。
白か黒かではなく、「まあ色々あるよな」と思える場所に着地できる。
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【関連記事:不完全な自分を受け入れる】
心が弱ってるときは判断せず、解釈をひとつにしない。
・「すべてを自分のせいにする」
・「すべてを相手のせいにする」
このふたつをしないようにする。
どれも、つい無意識にやってしまうこと。
だからこそ、意識しておく価値があると思う。
人間関係には、
正解がないことが分かったが、あえて正解があるとするなら、お互いが「私たちはこうしよう」とお互いが納得いく形に着地させることが正解なのかもしれません。
でも一つだけ確かなのは、
「解釈の幅が、そのまま生きやすさになる」ということ。
最近、あなたはどんなことでモヤモヤしましたか?
あなたのそのモヤモヤは、
少しだけ解釈の幅が狭くなっているサインかもしれません。

では、また次の記事で。
素敵な一日を。
今日も読んでいただきありがとうございます。
