なんで断るのに勇気が必要なんだろう。
勇気とは、「困難」「危険」「恐怖」を感じる状況下でも、それらから逃げずに目的のために行動する心構えらしい。
”断る勇気”について考えてみた。
そもそも断るのに勇気が必要な環境自体が悪くないか?そんな環境、息苦しいに決まってる。
むしろ、「断る勇気」という言葉自体、ズレた表現だと思う。断る余白がない関係って、ゆっくりと真綿で首を絞めるように息が詰まっていく。
最初はほんの少しの違和感だったのに、気づいたら「めちゃくちゃシンドい」ってなる。
頼まれるたびに、一瞬だけ思考が止まる。「ま・・・た・・・?」
でもその一瞬をなかったことにして、「いいよ」って言うんですよね。その繰り返しで、自分の境界線が曖昧な形に歪んでいく。帰ってからとてもモヤる。
人間は、優しい人だから引き受けるのではない。
断れない空気の中にいるから、引き受けてしまうことの方が多いと思う。それを自分のことをよく知らない他人が”あなたは優しい人”というレッテルをベタベタと貼り付けては消えていく。
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優しさに見えるそれは、選択できていない状態だったりする。選べない優しさは、どこかで歪む。
あとから疲れになって、苛立ちになって、憎しみとなり、関係ごと壊してしまうこともある。
それはお互いの意志とは関係なく訪れる。
断る余白というのは、「断ってもいいよ」と言葉で許可することではない。「断ってもいいよ」という言い方は、いっけん優しさのようでいて、”断るかどうか”という判断を丸ごと相手に投げているだけの、自分側の選択でもある。
例えば、その場で倒れて意識のない人がいたとする。
誰かに「助けなくていいよ」と言われたとして、本当に助けなかったら、その人はきっと冷たい人間だと見なされる。
だから人は、「助けなくていい」と言われても、無意識に体が動いてしまう。
つまり、「いいよ」と言われたかどうかは本質ではなく、言葉よりも”空気”で動いている。
断る余白とは、言葉で許すことではなく、断っても何も失われないと感じられる”状況”や”関係性”そのものの中にあると感じる。
だから常日頃から断っても嫌な雰囲気を出さない関係が必要なんだと思うんです。
その言葉のあとに、どんな顔をするか。
「そっか・・・」と言いながら、眉間にシワを寄せて残念そうな空気を混ぜる。すると簡単に余白は潰れてしまう。
言葉は逃げ道を用意することはできるけど、態度でその道を塞ぐこともある。
逆に、本当に余白がある人は、引き方が綺麗な気がする。軽い。フッ軽というやつか。
「ありがとう」で終わる。「ありがとう」が好きな理由がここにも詰まっている。
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その軽さ溢れる言葉に救われる。
この人には正直でいいんだと思える。
頼み方にも性格が出る。「ついでにさ」って軽く乗せる人、「これくらい大丈夫だよね?」って無意識に決めてくる人、「無理ならいいよ」と言いながら期待を残す人。どれも少しずつ、相手の余白を削っていく。悪気はない。でも、余裕がないとそうなる。
自分が断られることに耐えられないと、知らないうちに逃げ道を細くしてしまう。お互いに息がしにくくなる。
余白を作るって、実は自分の不安と距離をとることだと思う。断られても大丈夫って思えているかどうか。
頼みが通らなくても、自分の価値が下がるとか思っていないか。その強固な土台がある人は、無理に相手に押さない。
押さないから、相手もゆとりを持って選択できる。
選択できるから、引き受けるときに”自分で選択した”という感覚が確かに残る。
これって、ものすごく大事だ。
選んでやったことは、まったく重くならない。
やらされたことは、とてつもなく重くなる。重くなるときが必ずやってくる。
断る余白は、関係の中の空気みたいなものだ。見えないけど、なくなるとすぐ分かる。だからしっかりと自分を持ってるあの人が抜けたあとは、とても息苦しくなる。
だからこそ、余白は意識して残しておかないといけない。言葉で、態度で、距離感で、オーラで。
優しさって、
自分が決めるにしても、相手に選択の余地を残すにしても、いつもそこには断れる余白が残ってる。そんな雰囲気。
その方がずっと、人に優しい気がする。

今日も読んでいただきありがとうございます。
では、また次の記事で。
素敵な一日を。
