”尿意”と”まだやれる”は繋がっていた。
なにごとも我慢のし過ぎはよくない。
子供のころ、尿意を我慢しすぎて失敗したことがある。大人になったイマなら笑って話せるのは何故だろうか。不思議なものだ。
そして、あの時たしかに学んだはずだった。
”限界には逆らえない”のと、
”限界を認めなかった人間の末路”という、
人類共通の教訓を。
なのに大人になったイマでも、
人は平気で同じことを繰り返しそうになる。
いや、
”繰り返しそうになる”ではなく、
普通に繰り返している。
人間は過去から学ぶ生き物だと言うが、どうやら限界に関しては、あまり学習能力が高くないらしいです。
尿意を我慢している時の人間には、
何故か自信満々であり、
万能な生物的雰囲気がある。
「まだいけます!!」
という、
そのときの気持ちを知ってたら笑ってしまうような、何の根拠もない自信。
数十分前の自分なら、
冷静な顔してトイレへ向かっていたはずなのに、
限界が近づくほど、逆に判断力が低下する。
多分あれは、
脳が現実逃避を始めている証拠だと思う。
自分の敗北を認めたくないのである。膀胱に。
限界状態になると、
世界のすべてが敵に見えてくる。
話が長い。
赤信号が長い。
エレベーターが遅い。
鍵穴に鍵が入らない。
前の車がゆっくりすぎる。
トイレの位置が分かりずらい。
「なんて日だッ!!」って思うけど、
多分いつも通りの風景だと思うのです。
追い込まれているのは世界ではなく、自分自身。
それなのに人間は、
ドラマの主人公みたいな顔で帰宅する。
トイレに焦ってる自分は悲劇のヒロイン。
そこまでの距離を、
変な動きで歩いていく。
近づくにつれて、文明に感謝していく。
トイレに座った瞬間、
人類の進化を感じる。便座の温かさを感じる。
便器とは何か、偉大な発明とは何か、を考えてみる。そして全てが終わったあと、サウナ後のおじさんのような時間が訪れる。そのとき思うんだ。「なぜもっと早く行かなかったのか」と。
だが人間は、数日後に再び、
「まだいける」と言い始める。
人類は歴史から学ぼうとしない。
いや、学んでもニワトリのように忘れてる。
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しかしこれが、
尿意だけの話ではないのが今回一番伝えたかったことです。
人間は限界が近づくほど、
”限界を認めたくなくなる生き物”
なのかもしれません。
現代人は、「まだ大丈夫」を繰り返しながら生きている。疲れているのに、まだいける。眠れていないのに、「昨日3時間しか寝てないぜ」と自慢する。苦しいのに、まだ耐えてしまう。休まないとなのに、やることを探して埋めてしまう。
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【関連記事:やること探し】
本当は限界に近いのに、脳が現実逃避を始める。
たぶん原始時代に限界で寝てたりしたら、マンモスに襲われるかもしれないから、火を起こそうとする感じに近いのかもしれない。だから認めない。
だから人間は、
壊れる直前まで動いてしまう。
尿意なら、失敗して終われる。
でも心は違う。
一度壊れると、
回復に何年もかかることがある。
なのに現代は、
”限界まで頑張れる人”が強いような雰囲気がある。
早めに休む人より、
ギリギリまで耐える人のほうが、
努力しているように見えてしまう。
子供のころ、
尿意で学んだはずなのだ。
”限界には逆らえない”ということを。
それなのに大人になると、
なぜか心に対してだけ、「まだいける」と言い始める。
人間は賢い生き物らしいが、
たまに驚くほど、自分の限界に鈍感になってしまう。

今日も読んでいただきありがとうございます。
では、また次の記事で。
素敵な一日を。
