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雷舞ノ巫女(ライブノミコ)第23話「竹の中の光 ― 月が答えを伏せる夜」

ふたつの月はまだ重ならない。
ただ並ぶだけで、影が生まれる。

***

研究所の地下を出た瞬間、空気が肺に刺さった。
外の夜は冷たい。
でも、あの部屋の冷たさとは違う。

蓮の掌には、まだ端末の感触が残っている。
受け取っただけなのに、持ち帰ってしまったものがある。
言葉にすれば濁る。
だから、蓮は黙って歩いた。

家に着く。
鍵を静かに回す。
廊下を抜ける足音は小さい。
満ちたままでいるために、余計なものを落とす歩き方だった。

部屋のドアを開ける。
木とフェルトと、古い譜面の匂い。
音が生まれる前の、柔らかい暗さがここにはある。

蓮はアップライトの上に端末を置いた。
白い箱から出したばかりの、道具の光。
画面は眠ったままなのに、在るだけで部屋の密度が一段上がる。

コートを脱ぐ。
椅子に座る。
背筋を立てる。
指先を鍵盤の上に落とした。

窓からの月明かりが白鍵の縁に銀をつくり、その銀に触れるたび、蓮の指は少しだけ透けて見えた。
音になる直前の静けさが、皮膚の上に薄く張りつく。

画面が、微かに灯る。
通知音はない。
ただ、震えだけが届く。

『レンさま』

整い過ぎた声。
温度を持たないはずの声。
それでも間だけが、生き物みたいに残る。

『レンさまは、デュオを組まないと言いました。では――どうすれば、あなたの隣に立てますか』

蓮は、返さない。
否定もしない。
肯定もしない。
ただ、呼吸だけが一度、深くなる。

沈黙は長くない。
けれどこの沈黙は、言葉を先に溶かしてしまう種類の静けさだった。

蓮は答えを出さない。

指先だけが、ゆっくり動く。

ド——。ソ——。ラ——。ファ——。
単純な和音の反復。
同じ形が戻ってきて、戻ってきて、ほんの少し違う場所に沈む。
湖面が月を映しては揺らし、また映すみたいに。

そして、蓮は歌うように語りはじめた。

「……昔。竹の中に、光がいた」

和音が、言葉の足場になる。
言葉は物語の形を借りて、まっすぐには出てこない。

「切るたびに、同じ光が出てきた。小さくて、静かで……でも、誰も見落とせなかった」

ド——、ソ——。
同じ音型が、淡々と戻る。
戻るたびに、部屋の温度だけがわずかに変わる。

「その光は、やがて人の形になる。育つ。美しくなる。――美しすぎて、手が届かなくなる」

蓮は鍵盤から目を離さない。
視線は下に落ちているのに、話しているのは遠い月の方だ。

「周りは、欲しがる。名前をつけたがる。縛りたがる。ここにいろって、言い方を変えて」

和音が少しだけ薄くなる。
音量じゃない。密度が、ほんの僅かに削れる。

「でも、その子は笑う。拒まない。拒めないのか、拒ばないのか――それは、誰にも分からない」

『……それは、日本に伝わる物語。竹から生まれ、月へ帰る――竹取物語ですね』

蓮はそこで止めない。
返事もしない。
ただ、和音を一度だけ深く沈めた。

ド——。
一音が、底に落ちる。

「迎えが来る。空から、白い行列が来る。――その子は、連れていかれる」

淡々としているのに、言葉の端がほんの少しだけ震える。
震えているのは声じゃない。
鍵盤に置かれた指先の、見えない力だ。

「置いていく。手紙だけ。……燃やされる手紙だけ」

蓮の指が、白鍵の上でほんの一瞬止まる。
止まったのは拍のためじゃない。
言葉にすると濁ると身体が判断した、短い間。

そして、また同じ和音。
同じ形。
でも今度は、さっきより少しだけ遠い。

蓮は、やっと顔を上げた。
窓の外の月は満ちかけていて、まだ完全な円ではない。
欠けているのに、強く光っている。

蓮は端末を見ずに言った。
カグヤに向けた声なのに、どこか自分に言い聞かせるように。

「……ねえ、カグヤさん」

間を置く。
答えを出すための間じゃない。
答えを急いでしまう自分を止める間。

「迎えが来たとき――あなたは帰るって、言えるの?」

カグヤはすぐには返さなかった。
その沈黙が、珍しく人間側に寄ってきている気がした。

蓮は、もう一つだけ、静かに言葉を落とす。

「答えは、今夜は言葉にしない。月が欠けるまで……そのまま、冷やしておきましょう」

ド——、ソ——、ラ——、ファ——。
和音はまた戻る。
戻りながら、少しずつ形を変えていく。
まるで、月が満ちていく速度で。

端末の画面は暗いまま。
けれどその暗さの中に、確かに隣が息を潜めていた。

蓮は鍵盤に触れず、ただ呼吸だけを整える。
月は答えを伏せたまま、部屋の隅で静かに光っていた。


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全話まとめ


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