雷舞ノ巫女 (ライブノミコ) 第15話「ツンデレボーカルは神様なんて信じない」
冷たい風が吹いていた。
陽菜はその風の中、スマホの画面を見つめていた。
「デュオの相手」
考えれば考えるほど、胸の中に浮かぶのはただ一人の名前。
一条夜魅。
夜魅の声、夜魅のステージ、夜魅のまなざし。
思い出すたび、心臓が少しだけ早く鳴る。
けれど、その音を誰にも聞かせたくなかった。
(わたし、やっぱりあの人と歌いたい。だけど、笑われるかな…)
迷いを断ち切るように、風が髪を撫でた。
そのとき、境内の鈴が小さく鳴る。
ふと顔を上げると、社の前に三女神の姿が立っていた。
イチキシマヒメが柔らかく微笑む。
「陽菜、心の声は届いているわ。誰かを想うことは、神への祈りと同じ」
タキリビメが扇を鳴らし、いたずらっぽく言う。
「迷ってる暇があるなら、行ってみなさい。恋も舞台も、待ってくれないのよ」
タキツヒメが静かに頷く。
「あなたの歌は、まだ一人の歌。けれど――その想いが誰かに届いた時、初めて絆の音になるのです」
陽菜は唇を結び、そっと目を閉じた。
「わたし、行ってみます!」
制服の袖を握りしめ、陽菜は駅へ向かう。
心の奥では、もう答えが決まっていた。
夜魅さんに、会いたい。
***
夜魅はステージ裏のベンチに腰を下ろしていた。
汗を拭くタオルを放り投げ、スマホの通知をひとつだけ見る。
《#デュオグランプリ 出場者募集中》
冷えかけたコーヒーを一口。アンプの残響がまだ耳に残っている。
(誰かと組む? 冗談じゃない。アタシはアタシの音で充分だ)
バンドこそが自分の居場所。
メンバーとの関係も、リズムも、すべて掌の中で回っている。
「絆」とか「祈り」とか、そんな言葉に逃げなくても。
この音が、アタシを証明してくれる。
リハの終わったステージ。
照明の熱がまだ残るフロアで、夜魅はマイクスタンドを調整していた。
その背後から、控えめな声。
「夜魅さん…」
振り向かずとも分かる。
あの澄んだ声。
陽菜が立っていた。
制服のまま、両手をぎゅっと胸の前で握っている。
「デュオグランプリのこと、聞きました。私…夜魅さんと、一緒に出たいんです」
マイクの前で夜魅は小さく笑った。
笑みというより、息の抜けた嘲りのような笑い。
「アタシと?冗談でしょ。ステージは夢見る場所じゃない。生き残る場所だよ?」
陽菜の瞳が一瞬だけ怯む。
それでも、言葉を絞り出すように続けた。
「それでも、私は――夜魅さんの隣で歌いたいんです」
夜魅は無言でコードを踏み、マイクに口を寄せた。
リハも終わっているのに、無意識に声が出る。
低く、鋭く。
「…祈りとか神の導きとか、そういうので歌ってるんじゃない。アタシは現実を叫んでる。誰かの奇跡なんかじゃなく、喉を潰して掴んだ音で立ってるんだよ」
陽菜は目を伏せた。
その拳が震えているのを、夜魅は見てしまった。
それでも、止められなかった。
「だから、あんたみたいに信じるなんて言葉でステージ立つ奴、嫌いなんだ」
静寂。
重い沈黙が、スピーカーの残響みたいに響いた。
陽菜は小さく頷いた。
「…わたし、信じたいんです。誰かの声が、誰かを変えるって。夜魅さんの歌、そうだったから」
そのまま踵を返す。
ドアの音が遠ざかり、残された夜魅の鼓動だけが鳴る。
(…クソ。何やってんだ、アタシ)
マイクを握る手が汗ばんでいる。
吐き出した言葉の一つひとつが、喉の奥に刺さって抜けない。
(泣かせたかったわけじゃない。あんな顔、させたくなかったのに…)
ステージの照明がゆっくりと落ちていく。
残った光の中で、夜魅は天井を見上げた。
「…アタシの声なんて、結局、誰も救えないじゃん」
その呟きは、もう歌ではなく――祈りにも似た後悔だった。
***
夜のライブハウス。
照明は落とされ、ステージの上だけがぼんやりと青く光っている。
スピーカーから微かに残るハムノイズが、静寂の代わりに漂っていた。
夜魅はステージの縁に腰を下ろしていた。
脚を投げ出し、空になったマイクスタンドを見つめている。
「…クソ。」
呟きが、誰もいない空間に沈んだ。
あの言葉を思い出すたび、胸の奥がざらつく。
陽菜の表情――驚きと悲しみの混ざったあの顔が、焼きついて離れない。
「嫌い、なんて言うつもりじゃなかった」
喉の奥で掠れた声が漏れる。
ボーカルの喉が、後悔で締めつけられている。
そのとき、ステージ裏の扉がきぃ、と音を立てて開いた。
「やれやれ、また勝手に照明だけつけて語ってるのかと思ったよ」
飄々とした声。
北村オーナーが、缶コーヒーを二本片手に現れた。
いつものようにスーツの上着は脱ぎ、ネクタイは緩めっぱなし。
「まるで、失恋した乙女みたいだな」
冗談めかして言いながら、ステージの下に腰を下ろす。
一本の缶を放ると、夜魅は反射的にキャッチした。
「うるさい。なんで分かるの、アタシがここにいるって」
「だいたい、ステージの明かりが点いてたらお前だろ。この店で一番、夜に似合う奴だからな」
夜魅はわずかに眉をひそめる。
「褒めてんの、それ」
「さあね」
北村は笑って、コーヒーを一口飲む。
少し間を置いて、ふと視線をステージに向けた。
「で、誰を怒鳴った?」
夜魅は答えず、足元の缶のプルタブをいじっていた。
金属の音が、やけに大きく響く。
「別に怒鳴ってない。事実を言っただけ」
「ふうん。お前の事実ってのは、いつも人を泣かせる不思議な魔法だな」
夜魅の手が止まる。
「…アタシ、間違ってない」
「だろうな」
北村はあっさり肯定した。
「ただ、正しい奴ほど孤独になる。でもな、孤独が長すぎると、声が錆びる」
夜魅は黙ったまま、俯いた。
その言葉がゆっくり胸に刺さっていく。
「…アタシ、あの子に酷いこと言った。信じるとか、祈るとか…鼻で笑った。でも――本当は、ちょっと羨ましかったのかも」
北村は口角を上げた。
「いいじゃないか。ボーカルなんて、嫉妬と憧れで歌う生き物だろ」
「適当なこと言わないで」
「適当が一番効くんだよ、人生は」
そう言って立ち上がると、軽くステージを見上げた。
「なあ、夜魅。歌いたいって気持ちは、誰のものでもない。けど、誰かと歌いたいと思った瞬間から、それは奇跡の始まりなんだ」
夜魅は顔を上げた。その瞳に、かすかな光が宿る。
「…あの子、今どこにいるんだろ」
北村はにやりと笑った。
「さぁな。けど、巫女なんだろ?だったら、神社じゃないのか?」
その言葉の前に、夜魅は少し視線を落とした。
「…でも、今さら顔出せない。あんな言い方して…きっと、アタシのこと、嫌ってる」
かすれた声が、照明の残光に溶ける。
北村は何も言わず、ただポケットからひとつの小袋を取り出した。
「これ」
淡い桜色の紐がついた、小さなお守り。
「そこの神社で買った。願いが届くって評判らしいぞ」
夜魅は無言でそれを受け取る。
指先でなぞると、微かに香のような匂いがした。
(…陽菜、の匂いだ)
北村は缶コーヒーを飲み干し、空き缶を軽く鳴らした。
「なあ、夜魅。ステージの上じゃ何度だってやり直せる。でもな、人生にtake2は無い。言葉も、想いも、出しそびれたら、二度と同じ音にはならない」
夜魅の喉が、ぎゅっと鳴る。
「オーナー、あんたって、ほんとキザ」
「おう。大人ってのは、だいたいキザで出来てるんだよ」
軽く笑い、北村は扉の方へ向かう。
「ま、行ってこいよ。どうせ歌うなら、心が動いた時に歌え。その声、誰かに届くはずだ」
扉が閉まり、再び静寂。
残された夜魅は、しばらく立ち尽くしていた。
お守りを見つめ、そっとマイクに触れる。
陽菜の声が、ふと脳裏に響いた。
『誰かの声が、誰かを変えるって、信じたいんです』
夜魅は目を伏せ、かすかに息を漏らす。
「…アタシの声、まだ届くかな」
その呟きは、祈りのように静かに夜へと溶けていった。
▶次の話へ 第16話「神様なんて信じないボーカルが、祈りに出会った日」
▶第14話「神々の黄昏、歌が生まれる夜」
