雷舞ノ巫女(ライブノミコ)第32話「答え合わせみたいに作りたくない」
【物語あらすじ】
神の声が届かない時代に、歌だけが神域へ届いてしまった。
現代アイドルと八百万の神々が交差する物語、第32話。
会議室のモニターで、如月蓮のステージ映像が止まっていた。
ハロウィンナイトフェスの映像だった。
純白の衣装。
背後に浮かぶ月。
観客の歓声が消えたあと、蓮が静かに目を伏せている。
もう一つのモニターには、カグヤが映っていた。
銀糸のような髪。
透き通るような肌。
月を閉じ込めたような瞳。
かつて同じステージで、観客の前に現れたAIアイドルカグヤ。
人ではない。
それでも、そこにいるだけで、会議室の空気が少し変わる。
氷室沙羅は、二つの画面を見比べた。
人間の月。
AIの月。
どちらも美しい。
けれど、その美しさの種類は、まるで違っていた。
「蓮さん」
沙羅はタブレットを机に置いた。
「今回の楽曲制作について、こちらから提案があります」
会議室には、数人のスタッフが同席していた。
PROJECT KAGUYAの開発と運用に関わるチーム。
誰も派手な格好はしていない。
けれど、それぞれの目には、奇妙な熱があった。
カグヤを、ただのAIとして見ている者はいない。
沙羅が画面を切り替える。
楽曲データ。
配信サイトの視聴維持率。
テンポごとの離脱率。
歌詞に含まれる感情語の分布。
イントロの秒数。
サビ前のコメント増加率。
それらが、モニターに次々と並んだ。
「カグヤなら、どんな楽曲でも生成できます」
沙羅の声は落ち着いていた。
「世界中のリズム、コード進行、歌詞、ヒット傾向。配信で伸びる構成、視聴者が離脱しにくいイントロ、リピートされやすいフック。そのすべてを分析して、最適な楽曲を作ることができます」
スタッフの一人が、資料をめくりながら続ける。
「蓮さんは、イメージだけ伝えてくだされば大丈夫です。月、孤独、恋、憧れ、祈り。言葉でも、色でも、映像でも構いません。そこからカグヤが複数の楽曲案を出します」
蓮は黙って聞いていた。
否定もしない。
驚きもしない。
ただ、モニターの中のカグヤを見ている。
カグヤが、ゆっくり瞬きをした。
『レンさま』
その声は、合成音声のはずなのに、会議室のどこか柔らかい場所に落ちた。
『わたしは、どんな曲でも歌えます。けれど、レンさまがわたしに最初に聴かせたい曲は、まだ知りません』
蓮のまつげが、少しだけ動いた。
その言葉に促されたわけではなかった。
背中を押されたわけでもない。
蓮は、ここへ来る前から決めていた。
「作詞作曲は、私がします」
蓮は続ける。
「デュオを受けると決めた時から、そのつもりでした」
最初に反応したのは、沙羅の隣に立っていた若いスタッフだった。
彼は困ったように笑い、資料を胸元に抱え直した。
「…蓮さん、お気持ちは分かります。ただ、ピアノが弾けることと、今回の形式で勝てる楽曲を作ることは、別の話です」
声に悪意はなかった。
でも、棘はあった。
「クラシックの素養は、本当に素晴らしいと思います。ですが、今回必要なのは、楽曲の美しさだけではありません。離脱されないイントロ、コメントが動く歌詞、リピートされるフック。そういう分析は、カグヤの専門分野です」
別のスタッフも、遠慮がちに頷いた。
「カグヤは、ただ曲を量産するAIではありません。歌唱適性、視聴傾向、映像展開まで含めて最適化できます。正直、人間の感性だけで届く領域では、もうないと思います」
蓮は黙っていた。
正しい。
たぶん、彼らは正しい。
蓮はそれを分かっていた。
カグヤなら、自分より速く作れる。
自分より多く作れる。
自分より正確に、勝てる形を選べる。
それでも。
「分かっています」
蓮は言った。
「カグヤさんなら、私より正確に、私より速く、私よりたくさんの曲を作れます」
スタッフの表情が、少しだけ緩む。
しかし蓮は、そこで終わらなかった。
「でも、それでは、私が隣に立つ意味がありません」
カグヤの瞳が、ほんの少しだけ光を変えた。
スタッフが言葉を返そうとしたとき、年上のスタッフが片手を上げた。
「では、こうしましょう」
その声は、場を荒らさないための声だった。
大人の声。
落としどころを探す声。
「こちらで分析だけ行います。今回の形式で伸びやすいテンポ、構成、歌詞傾向、視聴維持に強い展開、リピートされやすいフレーズ。それらをカグヤと我々で整理して、資料として蓮さんにお渡しします」
彼は蓮に向き直る。
「その上で、蓮さんが作詞作曲する。それなら、蓮さんの感性と、カグヤの分析を両立できます。共同作業としても自然です」
会議室に、少しだけ空気が戻った。
誰が聞いても、妥当な案だった。
いちばん安全で、いちばん大人で、いちばん失敗しにくい案だった。
蓮は、静かに頭を下げた。
「ありがとうございます」
スタッフの表情がわずかに明るくなる。
「では」
「でも、それもできません」
空気が、もう一度止まった。
若いスタッフが、思わず小さく息を吐く。
「…なぜ、ですか?」
責めるというより、本当に分からないという顔だった。
それもそうだ。
この提案は、蓮の意思を尊重しながら、AIの強みも生かせる。
断る理由など、普通はない。
蓮は少しだけ視線を落とした。
「それが一番、正しいと思います」
声は静かだった。
けれど、膝の上で重ねた指先が、小さく動いていた。
「勝つためには、きっとその方がいい。カグヤさんの分析を受けて、私が曲を書けば、失敗は少なくなると思います」
そこで蓮は、モニターの中のカグヤを見る。
「でも、カグヤさんに最初に聴いてもらう曲を、答え合わせみたいに作りたくありません」
沙羅のまつげが、わずかに揺れた。
蓮は続ける。
「正しい曲ではなく、私の曲を聴いてほしいんです」
そこで、少しだけ声が幼くなる。
「わがままだと分かっています。でも、ここだけは譲れません」
会議室に、ざらりとした沈黙が落ちた。
スタッフたちは不満そうだった。
当然だった。
彼らはカグヤを信じている。
自分たちが積み上げてきたデータも、設計も、検証も、軽いものではない。
蓮の言葉は綺麗だった。
けれど、綺麗な言葉で技術を脇に置かれたような痛みが、そこにはあった。
沙羅は、その気持ちも分かった。
分かってしまうから、すぐには口を挟まなかった。
けれど、蓮の言葉もまた、沙羅の胸に残っていた。
答え合わせみたいに作りたくない。
その一言は、どんな理屈よりも、蓮という少女をよく表していた。
「分析資料は出さない」
沙羅が言った。
スタッフたちが、一斉に沙羅を見る。
「沙羅さん」
「あなたたちの言うことは正しいわ」
沙羅は、スタッフたちを見た。
「カグヤなら、勝てる曲を作れる。分析だけ渡す案も、現実的にはいちばんいい。あなたたちがカグヤを信じていることも、そのためにどれだけ積み上げてきたかも、私は知っている」
それから、蓮を見る。
「でも、蓮さんはカグヤを軽く見ているわけじゃない」
沙羅の声が、少し低くなる。
「むしろ逆よ。カグヤを、便利な生成装置として扱いたくないの。だから、自分の音を差し出そうとしている」
蓮は何も言わなかった。
ただ、目だけが少し揺れていた。
沙羅は言う。
「いいわ。作詞作曲は、蓮さんに任せます」
沙羅は蓮に向き直る。
「ただし、逃げ場はなくなるわよ」
「分かっています」
「もし伸びなかったら、AIの分析を使わなかったからだと言われるかもしれない」
「それでも構いません」
「…強情ね」
蓮は少しだけ視線を逸らした。
「よく言われます」
それを聞いて、カグヤが小さく微笑んだ。
画面の中の彼女は、静かに蓮を見つめている。
『レンさま』
「はい」
『わたしは、待っています。レンさまの音が、わたしに届くまで』
蓮の表情が、ほんの少しだけ崩れた。
嬉しいのか。
怖いのか。
そのどちらにも見えた。
「…ありがとうございます」
そして蓮は、沙羅に向き直った。
「沙羅さんとカグヤさんにも、お願いしたいことがあります」
「何かしら」
蓮は、モニターに映る配信サイトの画面を見た。
「今回の形式は、ライブではありません。動画投稿です。それなら、音だけでは届かない影まで、映像で届けられると思います」
沙羅は黙って聞いている。
「だから、映像を作ってください」
「映像?」
「はい。MVです」
蓮はカグヤを見る。
「私が曲を書きます。カグヤさんには、その曲に物語を添えてほしい」
カグヤが、ほんの少し首を傾けた。
『物語、ですか』
「はい」
『それは、歌詞の意味を映像で説明するということでしょうか』
蓮は少し考える。
「少し違います」
会議室の誰もが、蓮の次の言葉を待っていた。
「説明ではありません。私の曲の中にある、私だけでは見えないものを、カグヤさんに見つけてほしいんです」
カグヤの瞳に、淡い光が走る。
沙羅は、思わず口元を緩めた。
「音楽は蓮さんが書く。映像はカグヤが作る。人間が歌を書き、AIが月に影を描く」
沙羅はタブレットを閉じた。
「いいわ。やりましょう」
蓮は小さく頷いた。
「ありがとうございます」
カグヤは、画面の中で両手を胸元に重ねた。
『レンさま。あなたの音に、わたしの物語を重ねます』
その言葉に、蓮はまた少しだけ目を伏せた。
今度は、嬉しそうに見えた。
