雷舞ノ巫女 (ライブノミコ) 第4話「それぞれの光、祈りとわがまま」
放課後の神楽殿。
差し込む陽射しが欄間に斑模様を描いていた。
陽菜は汗ばむ手のひらを巫女装束で拭い、三女神のレッスンに身を預ける。
『陽菜、その一歩は海を分かつ道を歩くつもりで』
タキツヒメの囁きに、陽菜はゆっくりと足を踏み出す。
舞台に踏み出す瞬間が、神話で女神たちが初めて地上に降り立ったその一歩のような気がする。
『腕を広げ、扇を掲げてごらん。これは天の岩戸を押し開き、光を外へ導く所作。あなた自身が、閉ざされた世界に朝日を運ぶはじまりの者なのよ』
イチキシマヒメは、動きの華やかさや気配の柔らかさに目を配る。
「花開くように」と言われるだけで、陽菜の所作がどこか神聖なものに変わっていく。
タキリビメは声に力を乗せる。
『躊躇うな。舞いながら、海原に嵐を呼び、岩をも砕く力を思い描いて。強さは美しさと背中合わせ。振りの芯を失うな』
陽菜はふと、鏡越しの自分が、どこか物語の登場人物になった気分になる。
動きと呼吸が決まったとき、神楽殿の戸の隙間からそっと海風のような香りが流れ、吊るした鈴が一つ、静かに鳴った。
その一瞬だけ、自分の身体の奥に、神話の記憶がほんのりと宿ったような余韻が残る。
練習を終え、陽菜は汗を拭きながら、机の上の日本神話の本「宗像三女神誕生」のページを開いた。
アマテラスが、弟スサノオと誓約(うけい)をしたとき、スサノオの剣から生まれたのが、三女神。
イチキシマヒメ、タキリビメ、タキツヒメだった。
陽菜は静かに読み進める。
(アマテラスさまは太陽、スサノオさまは海と嵐。ふたりの約束と葛藤が、新しい命を生んだんだ…。三女神さまも、最初から完成された存在だったわけじゃない)
物語の中で、三姉妹は海を渡る守り神として、ときに人々のために迷い、時に自分たちの役割や力に戸惑う姿も描かれていた。
三女神は、それぞれ違う性格と役割を持ち、時には衝突もした。
だが、嵐の日も凪の日も、祈りを受け取るため、迷いながら世界を照らした。
陽菜はページをめくりながら、ふと思う。
(神様だって悩んだり、答えが出ないことがあったんだ。迷いの先に、何か新しい役割や光を見つけたんだね)
窓の外で、夜風がカーテンを優しく揺らす。
陽菜は本を胸に抱え、そっと目を閉じる。
「私も、いいんだよね。今はうまくできなくても、迷っても。いつか自分の役割や光が見つかるって、信じてみよう」
静けさの中、三女神の声がふと優しく響いた気がした。
『陽菜。迷いも、祈りも、私たちの始まりだった。その一歩を、恥じることはないわ』
見えない場所で三女神たちは器の成長を微笑ましく見守っている。
イチキシマヒメがふっと微笑む。
「懐かしいわね、私たちの誕生のとき。…あれほど華やかに書かれてるけど、実際は全然スマートじゃなかったわよね?」
タキリビメがすかさず返す。
「まったくだ。そもそも誓約の場であんなに緊張するなんて、お前が手順を間違えたせいじゃないか?」
イチキシマヒメは扇で顔を隠して笑う。
「ええ、でもあなたが先に剣を投げて台無しにしたんじゃなくて?」
タキツヒメがそっと間に入る。
「ふたりとも…あのときはみんな、ちょっと張り切りすぎてただけ。誕生したての私たち、まだ世界に慣れていなかったもの」
イチキシマヒメがため息まじりに。
「神話だと、海の守り神として生まれた三姉妹なんて美しく書かれてるけど、本当はみんなバラバラで、しばらく一緒に踊ることすらできなかったわ」
タキリビメは腕組みしてうなずく。
「それが今では、こうして人間を器として、アイドルのプロデュースしてるんだ。不思議なものだな」
タキツヒメが静かに陽菜を見つめる。
「でもね…迷って、ぶつかって、笑いあった記憶があったからこそ、今の私たちがあると思うの。陽菜にも、迷いや不器用さを恥じてほしくないわ」
三女神たちはしばし黙り、ページをめくる陽菜の横顔をじっと見つめる。
イチキシマヒメが、ふとくすっと笑う。
「そういえば、最初の祈り舞で転んだのは誰だったかしら?」
「言うな」
「やめておきなさい。あれは通過儀礼よ」
月の光が机に静かに射し、三女神たちの本当の思い出が、そっと陽菜の心にも伝わっていく。
ライブハウスの練習スタジオ。
夜魅はマイクを握り、真剣な眼差しで譜面台を見つめていた。
スタジオにはギター、ベース、ドラム。
少女たちがそれぞれの楽器を構え、音を合わせているが、今日もやっぱり空気の中心は夜魅だった。
「もう一回いこう。最初から。ドラム、テンポちょっと落として」
無駄な雑談もなく、彼女の声で空間がキリッと引き締まる。
ギターが軽くコードを鳴らし、ドラムが静かにカウントを始める。
ベースがリズムを拾うと、夜魅の声がそこに乗った。
だが、どれだけ音が揃っても、夜魅の表情は険しいまま。
私が納得できるステージ。
そこに到達するためには、まだ何かが足りない気がしていた。
(これじゃ、全然ダメだ。誰の心にも届かない。本当は、私にだって分かってる。強がってるだけじゃ、誰かの光になんてなれないって)
ドラムがリズムを止める。
「夜魅、ちょっと休憩しない?」
夜魅は小さく首を振る。
「まだ続けるよ」
そのとき、ステージ裏のドアが軋んで開く。
北村オーナーがギターケースを片手に、飄々と現れる。
「ようよう、お嬢さんたち。今日もやるねえ。お邪魔だったかな?」
メンバーが「オーナー!」と軽く手を振ると、ステージ袖に腰掛けて、古びたギターをゆっくり取り出す。
「これな、ジェフ・ベックにもらったんだよ。昔ロンドンの楽屋で――」
ギターを鳴らしながら目を細める北村に、ドラムが「マジですか?」と声を上げる。
夜魅はすぐにツッコミを入れる。
「みんな、信じなくていいよ。オーナーの言うことは、9割いや、10割が嘘だから!」
北村は「夜魅ちゃん今日もキツいね~」と肩をすくめ、人差し指をビシッと立ててみせる。
「信じるか信じないかは、おまえら次第!」
場の空気がふっと柔らかくなり、バンドの緊張も、夜魅の肩の力も、少しだけほぐれる。
「じゃ、今日の練習はオールドスクールにいこうか。最初の4小節、余白を感じて。バンドは一人じゃない。全員で音を繋ぐんだ。夜魅、お前の歌が最初の一歩。リードしてくれ」
ギターをアンプに繋いで、最初のリフを鮮やかに響かせる。
さっきまでの飄々とした雰囲気が、一瞬で引き締まった。
北村の飄々とした態度が、その一音で熱に変わる。
夜魅は思わず、真剣な表情でマイクを握り直す。
ギターのリズムに合わせて歌い始めると、本物の音が、バンド全体に火を点けた。
(誰にも頼らず、全部自分で掴む。それが私のやり方。でも、こんなふうに誰かがそばにいるステージも、悪くないかもしれない)
歌いながら、夜魅は小さく笑った。その笑顔は、誰にも見せない素直な自分のままだった。
演奏がひと段落し、バンドメンバーが肩で息をする。
北村はギターをケースに戻しながら、ふっと夜魅に目を向ける。
「お前みたいなやつがバンドやると、世界が面白くなる。その調子で、もっとわがままにやれよ」
去り際の一言。
夜魅は一瞬、目を丸くしたが、すぐにそっぽを向く。
(わがまま? そんなもの、誉め言葉になるんだ)
北村の背中には、かつて伝説のバンドで最前線を走っていた痕跡が静かに残っていた。
その夜。
陽菜はノートに三女神の名を書き写しながら、昼のレッスンと夜の神話を思い返していた。
(迷いながらでも、私も自分だけの光を見つけてみたい)
一方、夜魅は帰り道、人気のない坂道で立ち止まる。
手のひらを見つめ、北村の言葉を何度も繰り返した。
(もっとわがままに。もっと、貪欲に。その全部で、私は歌いたい)
同じ夜、遠い天の座で、三女神がそっと見守っていた。
「陽菜も夜魅も、まだ道の途中。でも、それでいいんだと思う」
「どんな美も、最初は不格好で、ぎこちないものよ」
「やがて自分の色を見つけた時、二人は本物の光になる。楽しみね」
夜は更け、窓の外の月は静かに、二人の未来を照らしていた。
