雷舞ノ巫女(ライブノミコ)第31話「バズカタ、誕生」
【物語あらすじ】
神の声が届かない時代に、歌だけが神域へ届いてしまった。
現代アイドルと八百万の神々が交差する物語、第31話。
一ノ瀬星の部屋は、生活空間というより小さな編集室だった。
ベッドは壁際に寄せられ、机の上にはノートPCとMIDIキーボード。
その隣に小さなシンセ、オーディオインターフェース、配信用のマイク。
部屋の隅には三脚とリングライト。
かわいいクッションの横に機材が並び、床を這うケーブルだけが妙にきれいに束ねられている。
そして、机の脇の壁には付箋がびっしり貼られていた。
《0.7秒 停止点》
《二拍裏 肩遅れ》
《保存角》
《真似可能速度》
《視線切断→復帰》
意味のわからない単語が、丸文字で並んでいる。
「アハハ、ごめん。ちょっと意味わかんない部屋で」
星はそう言って笑った。
でもその笑い方は、配信のときの明るさより少しだけ素だった。
「全然」
美沙は壁を見たまま答える。
「部屋っていうか…研究所だね」
「ひどくない?」
「褒めてるよ」
「ほんとに?」
「半分はね」
星は吹き出した。
「半分は引いてんじゃん!」
「だって、かわいい部屋なのに、壁がだいぶ怖い」
「それは否定できない」
星は椅子に座り、ヘッドホンを首にかけた。
「ねえ、美沙。ちょっと聞いて。こういう雰囲気の曲、どうかな」
再生ボタンが押される。
柔らかいシンセベース。
跳ねすぎないドラム。
夜の街灯みたいに、一定の明るさで光るコード。
80年代の匂いがするのに、古びていない。
懐かしいのに、いまのタイムラインにそのまま流れても変じゃない音だった。
美沙は声を出さずに聴いた。
踊りはしない。
ただ、重心だけをゆっくり動かす。
右、左。
肩が、ほんの少し遅れてついてくる。
「…いいじゃん」
美沙が言った。
星の肩が、少し下がる。
「よかった。派手に煽る曲じゃなくて、立たせる曲にしたかったから」
「立たせる曲?」
「うん。踊らせるためじゃなくて、立った瞬間に目を止めるための曲」
美沙は音の中で視線を上げる。
天井でも、カメラでもなく、誰かが見ているはずの場所へ。
(この人、ステージがなくてもステージだ)
「さすが、センター候補だっただけあるね」
「え、なに急に」
「いま、ちょっと重心ずらしただけなのに、もう始まってる感じするもん」
美沙は少し照れて言う。
「それは…まあ」
「もともと運動神経いいの?」
「うーん」
美沙は少し考えてから続けた。
「…小さい頃から、バレエと空手、両方やってた」
星が目を丸くする。
「えっ?バレエと空手?」
「うん」
「情報の振れ幅すごくない?」
「よく言われる」
美沙は苦笑した。
「最初はバレエだけだったんだけど、道場が同じビルに入ってて。見学したら、そのまま入ってた」
「そんなことある?」
「小三だったし、たぶん、なんも考えてなかった」
星は笑った。
「で、両立できたの?」
「できたっていうか、途中で似てるなって思ったの」
「バレエと空手が?」
美沙は自分の手を見る。
「重心。視線。どこで力を入れて、どこで抜くか。バレエも、空手の型も、無駄を削っていく感じが似てるんだよね」
星はまっすぐな目で美沙に言う。
「だから、次が見えるんだ」
「次?」
「うん。美沙の動きって、止まって見えない。ここからどこへ行くか、身体の中に線が残ってる感じがする」
美沙は少しだけ黙った。
「…そんなこと、言われたことなかった」
「じゃあ、いま私が初めて言った人だ」
星の声は軽いのに、目だけがまっすぐだった。
少し間を置いて、星はマウスを動かした。
「…ねえ、見てほしいものがある」
画面が切り替わる。
棒グラフ、折れ線、秒数の並び。
その横には簡単な人型のシルエットと、関節の角度や矢印が書き込まれていた。
「え、なにこれ?配信のデータ?」
「うん。離脱率、リピート率、保存率。で、こっちは親指が止まった秒数」
「親指が止まった秒数って、字面がちょっと怖いね」
「怖いよ。だって、ここが勝負だから」
星は画面を拡大した。
「人って、見たいものでは止まらないんだよ。予測をちょっとだけ裏切られた瞬間に止まる。ここ、0.7秒。間が入ると保存が増える。ここ、二拍目の裏。肩が少し遅れるとコメントが増える。三秒以内に私にもできそうって錯覚させないと流れる」
美沙は壁の付箋をちらりと見る。
「それで停止点とか保存角なんだ」
「うん。振付っていうより、座標」
「…星ちゃん、ほんと変だね」
「知ってる」
星はあっさり言った。
「三年分、私の配信も、流行ったショートも、秒で切って見てた。どこで止まるか、どこで戻るか、どこで真似されるか。上手い動きじゃなくて、増える動きだけ拾ってた」
美沙は目を細める。
「だいぶ変」
「うん。でも、誰かがやるなら先にちゃんとやりたかった」
星はそう言ってから、少しだけ息を吸った。
「本当はね、ここ、こう」
椅子から立ち上がり、自分でやってみせる。
肩を残し、視線を切って、半拍遅れて戻る。
理屈は合っているはずなのに、動きはどこか引っかかった。
遅れが余韻じゃなく、ただのもたつきに見える。
星はすぐに顔をしかめる。
「…ほら、これ」
「え?」
「頭では分かるの。どこで切って、どこで戻して、どこで真似できそうに見せればいいか。でも私がやると、ただ不自然になる」
星は少し笑った。
「だからずっと、画面の中でしか作れなかった」
その一言で、美沙の目の色が少し変わった。
「もう一回、言って」
「肩はそのまま。視線だけ、少し長く外す。戻るときに少し笑う。
でも決めるんじゃなくて、できそうに見せる」
美沙は、何も言わずに動いた。
同じ説明で動いたはずなのに、まるで別のものになった。
遅れは隙に見えた。
視線の切断は迷いじゃなく、誘いになった。
最後の笑みは完成ではなく、真似したくなる余韻を残していた。
「…なんで」
美沙が振り返る。
「なに」
「一回で、そこ行けるの」
美沙は少し考えてから、自分の肩に触れた。
「分かるっていうか…違う位置だと、身体が落ち着かない」
美沙は続ける。
「たぶん、バレエと空手でずっとそこじゃないを削ってきたからだと思う」
星の視線が、美沙の肩、足、目線へと流れていく。
「私が三年かけて線にしたものを、美沙は身体で持ってるんだ」
「星ちゃんのは、見て削った型。あたしのは、動いて削った型。たぶん、やってることは同じなんだよ」
星は画面に映る人型を見つめた。
「…バズる、型」
美沙がすぐに返す。
「バズカタ」
星が顔を上げる。
「…それだ!」
星は、恥ずかしいのか嬉しいのか分からない顔で笑う。
「なんか、ちょっと変な名前じゃない?」
「変だけど、いいじゃん」
「いいの?」
「だってそれ、ただの振付じゃないもん」
美沙は壁の付箋を見る。
「離脱を避けて、保存を増やして、真似までさせる。しかも見てる側にはなんか真似したくなるようにしか見えない。そういう型なんでしょ?」
星は一瞬だけ黙った。
「…そう。そういうのが作りたかった」
「じゃあ本物だよ」
美沙は即答した。
「名前がついたってことは、本物だから」
「あれ?あたし、いまちょっとそれっぽいこと言った?」
星が吹き出す。
「言ったね。だいぶ」
「やば。自分でびっくりした」
「でも、本気で言ってる?」
美沙は、まっすぐ星を見る。
「本気で言ってるよ」
そこから二人は、音と動きを詰め始めた。
星が曲の一部を流す。
美沙が動く。
星が波形とグラフを見て、少しテンポを変える。
美沙がまた動く。
「そこ、0.3秒早い」
「これくらい?」
「もうちょい。……あ、そこ」
「止まった?」
「うん。いまの、保存される角度」
「また怖いこと言ってる」
「でも当たってるでしょ」
「それが怖いの」
二人とも笑った。
シティポップの顔をした曲の下に、鋭い刃が隠れていく。
甘いだけじゃない。
懐かしいだけでもない。
誰かの手を止め、真似を呼び、拡散を起こすための型が、音の中に折り畳まれていく。
やがて星が、再生を止めた。
「……できたかも」
「え、もう?」
「骨組みだけだよ。でも、この曲、もう普通の曲じゃない」
美沙は画面を見る。
波形の山と谷、その横に並ぶタイミングの指示線。
そこには、曲と振付の境目がもうなかった。
「なんか、私が踊る前提で最初から作ってたみたい」
星は少しだけ視線を逸らす。
「…それは、まあ」
「え、マジなの?」
「だって、美沙じゃないと成立しないと思ったし」
「星ちゃんって、さらっとすごいこと言うよね」
「そう?」
「うん。ずるい」
「ずるいって何」
「先に決めてたじゃん。私と組むって」
星は照れたように笑う。
「でも、デュオになるって言ったの、美沙じゃん」
「そうだけど」
「じゃあ、おあいこ」
美沙はもう一度、画面を見た。
波形の中に、自分の動きの座標が並んでいる。
「…ねえ、星ちゃん」
「なに」
「これ、私たち以外にできるかな?」
星は少し考えてから、首を振った。
「たぶん、無理だね」
「なんで?」
「私は理論しか持ってない。美沙は身体しか持ってない。でも」
星は、画面と美沙を交互に見た。
「美沙の身体には型がある。私のデータには座標がある。重なったら、ただの振付じゃなくなる」
美沙が少し笑って続ける。
「バズカタになる」
「うん」
二人は少しだけ笑った。
笑いながら、どちらも少しだけ照れていた。
もう一度再生ボタンを押す。
さっきよりビートが硬くなる。
シティポップの顔なのに、その下に何か鋭いものが隠れている。
美沙は、部屋の真ん中に立つ。
まだ誰にも見つかっていないステージに。
星は机の前で音を回す。
まだ誰にも知られていないDJみたいに。
二人の間に、多くの言葉はいらない。
音が、最初の型を呼んでいた。
