【ぶんちゃんの連載①】人生最大の「脅威」だったお姑さんの、最幸の旅立ちを見送って
【連載】
介護士のぶんちゃんがFacebookにアップしていた「看取りの記録」投稿。
それがめちゃくちゃ良かったのでnoteに残すことにした。
ぶんちゃんは「スタッフ(介護士)」であり、
「入居者の家族」でもあり、
「ムスコの嫁(と姑の関係)」でもある。
元の投稿にちょっとだけ文言を追加したり、構成を変えたり、写真とかを追加しています。
ちょっとメンドくさそうな関係性を踏まえた上でどうぞ。
私は、はっぴーの家でお姑(義母)さんの旅立ちを見送りました。
それは、これまでの私の想像をはるかに超えるほど、素晴らしい時間でした。
どの場面を切り取っても、まるでドラマや映画のワンシーンのよう。
そこには、関わってくれた一人ひとりの確かな「物語」がありました。
人生のターニングポイントをくれた、お義母さん

思い返せば、12年前。
フィットネスの仕事をしていた私が、多胎児(ふたご)妊娠という大きな壁にぶち当たった時のことです。
あんた、福祉に向いてるよ。
社会福祉士っていう資格を取ってみたら?
そう助言してくれたのが、お義母さんでした。
その当時は現役バリバリで活動していたお義母さん。
時を経て、自分が介護をすることになるなんて、1ミリも想像していませんでした。
でも、あの言葉が私の人生の大きなターニングポイントになったのは間違いありません。
突然告げられた、残された時間の短さ
心の病を患い、福島県相馬市から私の職場である「はっぴーの家ろっけん」に入居することになったお義母さん。
入居してからの1年半は、波瀾万丈でした。
骨折などで4回の入退院を繰り返し、
最後には大腸癌のステージ4で「余命2〜3ヶ月」という宣告まで受けることになりました。
「あと10年くらいは、お義母さんとの介護生活が続くんだろうな」
そう思っていた矢先の出来事でした。
残された時間の短さに、正直、戸惑いと焦りがありました。
けれど、そんな私を支えてくれたのが「はっぴーの家」の仲間たちです。
この限られた時間だからこそできる、お義母さんのための「※はっぴープラン」。
みんなで知恵を絞り、考え、あり得ないスピードで一つひとつを実現へと導いてくれました。
孫を溺愛したお義母さんへ、私ができた「2つのプレゼント」
お義母さんは、私の3人の子供たちを本当に溺愛してくれました。
双子を出産する前に2ヶ月間入院した時、毎日欠かさず電話をくれたお義母さんの声は、今も耳に残っています。
そんなお義母さんに、私がプレゼントできたことは2つだと思っています。
1つは、最大の宝物である「3人の孫」を産んだこと。
そしてもう1つは、この「はっぴーの家」に“召喚”したことです。
私の第二のファミリーであり、心から信頼できる優しくて温かいスタッフのみんなと一緒に、お義母さんの介護と、そしてお見送りができたこと。
実は、私のこれまでの人生において、お義母さんはある意味「最大の脅威」でもありました(笑)。
でも、そんな存在だったお義母さんを、こんなにも穏やかで、愛に満ちたカタチでお見送りできたこと。
まさに「理想の親の介護」を体現させてもらったと感じています。
墓場のその先にある「繋がり」を信じて
お義母さんは生前、福島県相馬市で「ゆりかごから墓場まで」を目指して、福祉事業の展開に尽力してきました。
私は今後、はっぴーの家のスタッフとして、そして一人の「遺族」として、お義母さんが目指した福祉の、その先のストーリーを大切にしていきたい。
「墓場のその先にある繋がり」
それを勝手にアレンジして紡いで、いつかお義母さんを超えていきたい。
そう強く願っています。
旅立つ1ヶ月前から起きた、嘘のような本当の話。
記憶だけでなく、しっかりとした記録に残しておきたくて、これから数回に分けて少しずつ投稿していこうと思います。
関わってくださった皆様、本当に、本当にありがとうございました。
(つづく)
※「はっぴープラン」とは?
はっぴーの家ろっけんにおいて、「ケアプランの上位概念」と位置付けられており、関わる人がより充実した日々を過ごせるようにすることを目的とした独自の取り組み。
例えば、「地域の居酒屋を回りたい」「飲み会がしたい」「会いたい人がいる」といった、一人ひとりの大小問わない多様な希望に沿って、それを実現するための取り組みが行われます。
これにより、周囲の人が「その人に対して何ができそうか」「どのようなことを喜びそうか」を考え、関係性を築くための「思考の材料」として機能しています。
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