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ヤマケイ ―山の警察—(第4話-1)

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(第4話 道迷い-1)


   

 町は夢のようだ。
 何でもそろう。お金さえあれば。
 何でもできる。時間さえあれば。

 大きく手を振っていた。まるで駅で友達を待っている女子学生みたいに。
「花ぁ」
 すごくうれしそう。だからこっちも自動的に笑顔になる。
「母さん」
 母さんが上市にやってくるのは初めてだ。武骨なコンクリ丸出しの駅舎を前に、母さんは薄い青のブラウスと白いパンツを着て、頭に紺色のハットを乗っけていた。まるで昭和の風景。母さんの顔も前に見た時と同じで花は妙に安心する。
 母さんが、花に小さな紙袋を押し付けながら言った。
「はいこれ。富山なんてすぐ隣だと思ってたのに、微妙に遠いわね」
「母さんこれ何?」
「ほらあれよ。金沢土産」
「なんで金沢? 家出てから半年くらいしか経ってないんだけど」
「じゃあ何? あんた、母さんに富山のお土産を用意しろっていうの? 金沢にいる母さんから、富山にいるあんたに」
「いや、だからお土産とかいらないって言ってるんだよ……」
 母さんはいつもこんな感じだ。基本いつでもマイペース。あとマイルールで生きている。
 紙袋を開けてみた。入っていたのは妙にポップでかわいい御守りだ。花は目を真ん中に寄せて、顔の前でそれを揺らす。
「御守りじゃん」
「そうよ。石浦神社のほら、総合御守り」
「総合って何守ってくれるの?」
「トランプのババみたいなもんよ。その時その時で安全祈願でも縁結びでも健康でも守ってくれるんだから便利よ」
「あらゆる効果が平均して薄そう」
「うるさいわよ。さっさと鞄にしまう。ほら」
 母さんがあたりをきょろきょろ見回しながら言った。
「ここがあんたの仕事場?」
 花はコクリと肯く。
「うんそう。町のお巡りさんだから」
 適当に歩き出す。まだどこに行くとも決めてないのに。
「ここからは山、見えないのねえ」
「うんそう。室堂まで車で三、四十分かかるから」
「そうなの? もっと、ザ・山奥って感じのところかと思ってた」
 少し笑う。どんなイメージなんだ。
「どこ行く?」
「あんたどこ行きたいの?」
「いや母さんの希望を聞いてるんだけど」
「だからあんたの行きたいとこに連れて行きなさいよ」
 なんだそれ。結局思いつかなくて、何をすればいいのかわからないから、できるだけ何でもできそうなショッピングモールに行くことにした。たぶんあそこならお昼も何とかなるだろうと思って。
 ショッピングモールで服とか雑貨のお店をうろうろしてからお昼にする。「何食べたい?」「あんたは何食べるの?」という不毛なやり取りを死ぬほど繰り返して、母さんはにしんそば、花は鍋焼きうどんに収まった。
 小さなフードコートの安っぽいパイプ椅子に座って、母さんと向き合って麺を啜る。
「この暑いのになんで鍋焼きうどんよ」
「いいの。山の上だと食べらんないの」
「母さんみたくそばにすればいいのに」
「そばはよく食べるの。佐倉山荘って山小屋に長次郎さんって人がいてね、その人が作ってくれるの」
「おいしいの?」
「ケースバイケース。祭先輩が一緒にいるときはだいたいおいしくなる」
「なによそれ」
「祭先輩の特殊技能が発揮されやすい環境なんだよ。長次郎さんのところは」
 しばらく山岳警備隊のみんなの話をした。母さんはそばを箸に引っかけたまま花の話を聞いている。ポカンと口を開けたり、時々思い出したようにそばを啜って、斜め上をにらみながらもぐもぐ噛んだり。
「なんだかすごい職場ねえ」
「うん。そう。すごいんだ」
「まあ、あんたが山岳警備隊に入るとか言い出した時にある程度の覚悟はしてたけど……。あんたそれ、心が休まる時とかあるの?」
「んー」
「んーじゃないわよ。ちゃんと休めって言ってるの」
「んー。了解」
「絶対適当に答えてるでしょ」
「んー」
「ほら。あんたが高校生になって壁によじ登りはじめた時」
「ボルダリングね」
「そうあの壁にへばりつく奴。あれだって母さんハラハラしたんだから。あんたねえ、ガンコなのよ。高校の時に壁に登り始めて、それでそのまま今度は山登りって一本気過ぎるでしょ。ちょっとは浮気とかしなさいよ」
「浮気ってなにさ」
「遊べって言ってんの」
「休めとか遊べとか忙しいなぁ……。金沢は? どう?」
「またあんたはそうやって話変えようとして……。どうもないわよ」
「どうもないか」
「ないわよ。こっちのことはいいの。あんたの話を聞きに来たのよ母さんは」
「わたしの話か。わたしの話ねえ。うーん」
 先輩たちの話はいくらでも出てくるのに、自分のこととなると途端にわからなくなる。
「ねえ母さん。わたしがお山にいるのは嫌?」
 なぜかわからないけどそう尋ねていた。母さんがサクッと言う。
「そうねえ。嫌ね」
「はっきり言うね。やっぱそうか」
「そりゃそうよ。だって、死ぬかもなんでしょ?」
 否定できない。
「だいたい、なんであんたは山にいるのよ」
 ちょっと迷ってから答えた。自分でも自分の心がよくわからない。ぴったりの表現じゃないのは自分でもわかってるけど、比較的自分の心に近い言葉を選んだらこうなった。
「人を助けたいから、かなぁ」
 母さんが花を見ている。そしてやっぱり適当な感じで答えた。
「えらいわね」
 まるっきり心のこもってないリアクションだ。言った直後にズゾゾゾとそばを啜る。
「でもそれなら、町でいいじゃない」
「え?」
「あんたお巡りさんなんだから。町で、困ってる人を助ければいいじゃない」
「…………」
 そう。町にいたって人は助けられる。
 じゃあなんで、わたしは山にいるのだ。
 考えると、いつも花の思考はそこで止まってしまう。
「食べ終わったら、次どこ行こうか」
 母さんが天井に目を向けた。
「そうねえ……」
 次は駅の近くの市営温泉に行くことになった。こうしていざ二人で一日を過ごしてみようとすると、思いのほかやることが浮かばない。家に母さんと居る時は、ほとんど何も喋らなくたっていつの間にか何時間も過ぎていたのに。不思議だ。
「はい。母さん、これ入浴券だって」
「ああうんありがと。タオルも貸してもらえるんだ。助かるねえ」
「ねー」
 お湯につかる。炭酸風呂。いいな。
「あー」
 うめいたら、母さんが唇を尖らせて花を見た。
「花。ババ臭い」
「あー。いいんだ別に」
 人に向かってババ臭いとか言ったくせに、母さんもお湯につかって「うう」とかうなっている。ババ臭いを超えておじいちゃんかと思うけど言わなかった。
 声を重ねる。
「うー」
「あー」
 夕飯はどうするの? って聞いたら、途中で駅弁を買ってそれを食べたいからいらないって言われた。あんまりすぎる理由でかえってすっきりする。母さんらしいなって思う。
「なんか今日、何にもしなかったね」
「いいのよ。何にもしないために来たんだから」
 駅で、構内に消える前に母さんが立ち止まった。首だけ振り返って言う。
「花」
「ん?」
「あんた、死なないでしょうね」
 母さんが体を斜めにしたままこっちを見ていた。
「あんたは、死んじゃだめよ」
 花は笑顔を固める。
 もう十年も経つ。だけど花には昨日の出来事だ。
 十年前のあの日、母さんと再会したのは夜中になってからだった。
 父さんが死んだことを、母さんはすでに知っていた。
 ぎゅっと抱きしめられて思ったのだ。ああ、わたしだけ生きてるって。
 わたしだけ生きて、こうして母さんに抱きしめられてる。
 これって何だか不公平なんじゃないか。
 わたしは生きて、なぜ父さんは死んだのだ。父さんは人を救おうとして駆けずり回り、結果として死んだ。わたしは何もできなくてガードレールにつかまり、結果として生きた。
 逆なんじゃないのか? この結果は、何か不自然なんじゃないのか。
 母さんに抱かれながら、あの時花は、そんなことばかり思っていた。


(「第4話 道迷い-2」へ続く)


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※涌井の創作小説です。


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