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ヤマケイ ―山の警察—(第5話-2)

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(第5話 雪崩-2)


   

 世界が真っ白だ。
「おおーい。花ちゃんこっちこっちー」
 遠くから祭先輩が呼んでいる。真砂岳の稜線から少し離れた真砂沢の近く。真っ白い雪の道のずっと向こうで花に向かって手を振っている。
「はーい。今行きますー」
 花はスノーシューズの足をバタバタ動かして急ぐ。この雪道、歩きにくくてしかたない。今の時期の沢筋は雪に埋もれてただの真っ白い道になるからだ。元が沢だから立木とか岩とかそういう障害物が一切ないひたすら長い雪の道だ。そして元が沢だから、この雪の道はずっとふもとまでなだらかな傾斜を持って続いていく。ということはつまりだ。
 そう。スキーの絶好のゲレンデになるというわけだ。
 祭先輩の隣に、青いウェアを着込んだおばちゃんがニコニコしていた。祭先輩がおばちゃんの肩を抱いておんなじような顔でニヤニヤしている。
 花は尋ねる。
「ええと……、こちらは?」
「えへへー。通報者の松さん」
 きょろきょろする。
「それで、要救助者は?」
「えへへー。あそこ」
 祭先輩が数メートル向こうを指差した。そこに新堂先輩がいて、背中を丸めて何かを引き上げている。何だろう、何してるんだろうと思って近づいてみたら、沢筋に沿ってできた雪道にボコリと大きな穴が開いていた。そこから黒い二本の腕がはみ出してバタバタしている。新堂先輩がロープを引く。すると腕が引き上がって雪面をつかんだ。雪を破るふきのとうみたいにニット帽の頭がにょっきり伸びてきた。バハアバハア荒い息をしている。新堂先輩が軽い感じで言った。
「はいご苦労さん。沢スキーは気をつけなきゃダメだよ」
「…………」
「あれでしょ? 滑ってたら急にボッコーって穴が開いてズボッとはまっちゃった感じでしょ? よくあるんだ。雪の下の沢まで落っこちなくて良かったよ。落ちてたら君、凍え死んでるからね。いやあラッキーラッキー」
「…………。ラ、ラッキーですかね。し……、死ぬかと思いました」
「ラッキーだよ。生きてるじゃん。だからラッキー」
 息も絶え絶えの要救助者と新堂先輩の会話が噛み合っていない。沢スキーでクレバスに落ち込んだスキーヤーがいるって通報で駆けつけてみたけれど、どうやら無事だったみたい。ほっと胸を撫で下ろす。
 祭先輩が通報者のおばちゃんと妙に打ち解けていた。
「やー、でも松さんの発見と通報が早くてよかったよ。だんだん穴が広がって、もし沢底に落ちてたらこんなんじゃ済まなかったから」
「ねえ。私もね、びっくりしちゃった。男の人の『うわ』の声の後に『ボン』で『助けて』の三段活用だったから」
「やー、松さん、いいことしたね。こりゃ年末ジャンボ宝くじ当たるね。三等くらいいくね」
「あらやだ。じゃあ年末海外で過ごす準備しなきゃ」
 記録を残さなきゃいけないし、とりあえず近くの山荘を目指すことになった。クレバスに落ちたスキーヤーの彼も擦り傷程度だし、背負うこともなしにみんなして雪の上を歩く。天気も悪くないし、何だろう。救助に来たっていうのに不謹慎かもしれないけど、雪の日のピクニックみたいな感じだ。
 松さんが慣れた感じで雪を踏みながら祭先輩に言っている。
「それにしても、こんなところ、一人で滑ったら危ないのにねえ」
 祭先輩がそれに答える。
「ねえ。まったく。自分は無敵だと思ってんだから近頃の若者は」
「やだ。祭さんも若者じゃないの」
「いやー。あたしはまあ、山に住んでる妖怪みたいなもんですから」
 笑っている。何だろう。祭先輩は、山で人と出会うと一瞬で仲良くなる。これも祭先輩の特殊技能なのかな。やっぱりそういうのずるいと思う。
「松さんは今日はどこ行くの?」
「私はねえ、今日は別山に挑戦するの。冬の別山、ずっと登ってみたかったの」
「そっかー。別山は今ね、沢筋がすごく不安定になってるから気をつけて。なんかあったら遠慮せずあたしを呼んでね」
「祭さん、すぐ来てくれる?」
「行く行く。そんでさ、頂上で鍋やろうよ。鍋」
 先行している新堂先輩が、振り返って「おーい」と手を振ってきた。遠くから言っている。「このまま稜線に出て内蔵助山荘を目指すよー」
「はーい」
 登山道寄りに数歩登り返したところで花は雪渓の斜面を振り仰いだ。かなり上の方でスキーヤーが数名、気持ちよさそうに斜面を滑っていた。真新しい雪の上を滑るために朝早くからやってきた人たちだろう。長く斜面を楽しみたいのか、かなりトラバース(斜面を横切ること)気味に滑っている。
 その瞬間、体が何センチか沈んだ気がした。
 花は「あれ?」と思う。なんだ今の感覚。踏んでいた雪原そのものがストンと下がったみたいな感じがした。階段の最後の一段を踏み外した時の感じに似ている。
 なに。
 前を行く新堂先輩がもう一度振り返った。新堂先輩のその顔に花は恐怖する。
 新堂先輩の口が大きく開いた。そして叫んだ。
「雪崩だ!」
 グンと何かに背中を引っ張られたみたいだった。花はバランスを崩して背中側に倒れそうになる。体をねじって振り返ったら、花のスノーシューズの数十センチ後ろのところで雪原に切れ目が走っていた。ナイフで切り取ったケーキみたいに鋭い断面が見えた。切り取られた雪原が、そのまま「ゾゾ」と滑った。後ろからくる祭先輩を真っ直ぐに見ていたはずなのに、要救助者に肩を貸している祭先輩の体が数十センチ左にずれていた。祭先輩が花から目を離し、バッと斜面を仰ぎ見た。大きな雪の塊がゴロゴロと落石みたいに転がり落ちてきていた。花も見る。
 一瞬、山全体を覆う濃すぎるガスかと思った。けど次の瞬間にはそれは間違いだとわかった。ガスを突き破るようにして、幾何学的に切り取られた雪の塊が猛烈な勢いで吹っ飛んできたからだ。
 ゾン。
 斜面側に強く体を引っ張られた。花は目を閉じられなかった。ガスに見えた白い霞は細かに飛び散った雪だ。斜面上部に降り積もったすべての雪が一気に剥がれたのだ。雪は雪を巻き込んで速度を増し、重量を増して、決壊したダムと化す。今の「ゾン」は、山を覆っていた雪の表皮が剥げ落ちた音だ。表層雪崩だ。
 思わず手を伸ばしていた。
「祭先輩!」
 だって先輩は、花の数メートル前にいるのだ。手を伸ばせば届きそう。真っ直ぐに先輩に向かって伸ばした花の手はそのまま左に傾いていく。要救といっしょにいる先輩が、雪原ごと左に流れていく。ババババとヘリのローターみたいな轟音が響いていた。雪が固まって雪を砕きながら落ちてくる音だ。すべて白い。目の中に細かな雪が飛び込んでくる。でも閉じられない。だって祭先輩が、
 花に向かって左手を伸ばしている。
 花は体を前に出そうとした。祭先輩が。先輩の手が。
 そこに。
「だめだ! 手を伸ばすな!」
 時が止まったような気がした。何もかもがクリアに見えた。祭先輩に覆い被さろうとするデブリ交じりの雪の塊。先輩のゴーグルに、ウインドサーフィンの巨大な波みたいに弧を描いた雪が映っていた。モンベルの赤いグローブが人差し指をピンと張って伸びていた。赤い繊維がパツンと一本、親指の付け根から真横に跳ねていた。黄色いウェア。ゴーグルの向こうの先輩の目が見えた。開いていた。花を見ていた。その目が助けてって、言っていた。
「花ちゃんも飲みこまれる! だめだ!」
 新堂先輩が叫んでいる。喉から血が出そうな声。
 伸ばそうとした右手がビクリと震えた。腕が上がらない。強靭な力で上から押さえつけられているみたいだった。
「花――」
 祭先輩の声が聞こえた。その瞬間、

 開いていた先輩の指が、ひゅっと岩になった。
 伸びていた先輩の腕が、ぎゅっと引っ込んだ。

「生きて」
 そう聞こえた。
 花は目を乾かせる。祭先輩が雪に覆われていく。
 あらゆる凹凸を全部飲みこんで、雪の洪水がすべてを浚っていった。山のハイマツも足から外れたスキー板もケガをした要救助者も。そして花のちっぽけな思い込みも。
 巨大な雪崩に、祭先輩は頭から飲みこまれた。
 右手をだらんとぶら下げたまま気がついた。
 今までずっと、わたしは救助なんてしていなかった。
 わたしはただ、上手に死のうとしていただけ。
 花の目の前を、祭先輩が流されていく。

 花は立ちすくんでいた。新堂先輩が大きく口を開けて何か叫んでいた。聞こえない。何を言っているのかわからない。新堂先輩に肩をつかまれて引きずられた。足が動かない。わたし、何やってんだ。
 何やってたんだ。
「花ちゃん、走れ!」
 新堂先輩はすでに雪原に駆け出していた。雪崩れた直後の雪の斜面を猛烈なスピードで駆け下りて行く。走ったまま叫んだ。
「二百メートル下にデブリが固まってる。そこでビーコン反応を!」
「は……、はい!」
 声を割って花も叫んだ。無線をつかむ。
「真砂岳西斜面で表層雪崩です! 遭難者多数。祭隊員も巻き込まれました。応援を願います!」
 必死だった。雪の上を尻で滑り降りる。先輩が雪崩に呑まれた。早く。早く見つけなきゃ。息ができない。早く掘り出さなきゃ。きっと怪我している。
 前に森口分隊長が言っていた。
 ――ようやく見つけて雪から引っ張り出そうと腕を引っ張ったら、その感触がぐんにゃりしててな。
 あの時、花は耳を塞ぎたくなった。でも聞かないわけにはいかなかった。経験は力だから。知ることで救える命だって増えるはずなんだから。
 ――全身の骨が折れてたんだ。だからぐにゃぐにゃしてたんだな。氷みたいに冷たいのに柔らかいんだ。その瞬間に、「だめだ」と思ったよ。
 やだ。
 生きてて。
 走った。祭先輩は装備品のビーコンをベルトに括り付けてる。ビーコンから発信される電波を受信すれば埋まっている場所がわかる。ビーコンの受信距離は機種にもよるけどだいたい二、三十メートル。だけどこれは半径の話だ。
 さっきの雪崩は大きかった。もし、雪の深いところに飲みこまれていたら、今度は深さが距離になる。それに雪はとても重いんだ。もし深いところに埋まっていたら、雪の重さが埋没者を圧迫する。仮にエア・ポケット(口と鼻を両手で被って、雪との間につくる空間のこと)を確保していたとしてももって数十分だ。鳴れ、ビーコンよ。鳴れ。鳴って。お願い。
 人が集まってきた。花はビーコンを手に雪の上を走り回る。どこ。祭先輩どこ。
 どこに埋まってる。
「花ちゃん!」
 新堂先輩の叫び声が聞こえた。「ビーコンの反応があった!」
 三十メートル下にいる新堂先輩のところに走った。足の下のデブリをザクザク踏み砕いて新堂先輩が血眼になって祭先輩を探している。ピッ、ピッと間を置いて鳴っていたビーコンが、ピピッと音を早めた。近くにいる。新堂先輩の背後につく。見えるはずなんてないけど、真っ白な雪原を睨みつけずにはいられなかった。何かないか。祭先輩のウェアの一部だけでも。祭先輩の痕跡を、どこかに。
 ビーコンが連続音に切り替わった。途端に新堂先輩がビーコンを雪原に投げ出してショベルを手にとる。雪に突き刺した。掘る。掘る。花も掘った。しゃにむに掘った。たとえショベルの先端で祭先輩の体を傷つけたって構わないと思った。生きてさえいてくれれば。生きてまた祭先輩に会えさえすればいい。死なずに済んだ後なら、何度だって、何万回だって謝る。祭先輩の気が済むまでなじられたって殴られたっていい。だから生きてて。お願いだから助かって。
 ショベルの下の、雪の表面が青かった。
「新堂先輩!」
 花はショベルを放り投げてしゃがみ込んだ。グローブの両手で雪を掻く。新堂先輩が花の隣にしゃがんで両手を雪に突っ込んだ。瞬きの時間すら惜しかった。青いのは腕だ。左腕だ。雪を跳ね除けてこの腕をつかむんだ。祭先輩を――。
 青いじゃないか。
 花の目にさっき見た祭先輩の姿が蘇った。
 黄色かった。祭先輩のウェアは黄色だった。
「新堂――、先輩」
 新堂先輩は雪を掻き続けていた。顔中に雪の欠片を張り付けて、必死で雪を掻き出していた。「ハッ、ハッ」という呼気といっしょに青いウェアの腕をガシリとつかんだ。グイと引いて埋没者を引きずり出す。
 松さんだ。真っ白な顔。閉じていた目が開いた。新堂先輩を見る。
「あああ」
 声が出た。生きてる。「息が息が息が」
 新堂先輩が松さんをガシリと抱きしめた。「大丈夫。ちゃんと生きてる。大丈夫」
 救助活動を見守っていたスキー客に新堂先輩が声を飛ばした。「この人をお願いします。救助隊員に引き渡してください」
 そして花を向いた。「行くよ、花ちゃん」
 花は立てなかった。祭先輩じゃなかった。埋まっていたのは先輩じゃなかった。今の救助に十分以上かかった。あんな深くに埋まっていた。今の人ですら死にかけていた。じゃあ祭先輩は? 祭先輩はどうなってるの。
「花ちゃん!」
 引っぱたかれた。「ビーコン反応を探すんだ! 急いで!」
 花はゆるゆると立ち上がった。ビーコンを胸の前に持ち上げる。ビーコンは電波を拾うもの。誰のビーコン反応であれ区別なく受信する。だから、運よく救助者の近くに埋まっていた人から助けられる。そういう機械だ。わかってる。それが正しいんだ。だけど。
 祭先輩。
 走り出した。新堂先輩はさらに斜面を下っていた。デブリが山になっているところに近づいている。スキーヤーたちが物珍しそうに新堂先輩を見ていた。花は泣きながら走る。
 先輩。
 心が砕けそうだった。先輩。なんでわたしをこんな目に遭わすの。
 わたしも同じ目に遭わせてくれれば、こんな辛い思いをしなくていいのに。いっしょに雪の下で、寒いね寒いね痛いねって言えたのに。
 なんでわたしに、生きろって言うの。
 ビーコンが鳴りだした。ピッ、ピッと短く鳴く。雪を踏んだ。足の下に祭先輩がいるかもしれない。この盛り上がった雪の塊の中に、祭先輩が凍っているかもしれない。
 いきなりビーコンが「ピー」という連続音に変わった。花はデブリに取りつく。母親にしがみつく猿みたいになって必死で腕を動かした。グローブなんて破けろ。腕だってどうなったっていい。だから助けさせて。祭先輩を見つけさせて。
 黄色いウェアが雪の下にチラリと見えた。
 見つけた。
 花は叫ぶ。「ああああああ!」
 新堂先輩がバッと花を振り返った。
 祭先輩は、真っ赤なグローブの両手で口元を覆っていた。蝋のように白い。まるで雪にすべての生気を吸い取られたみたいだった。ぎゅっと目を閉じている。
 睫毛が凍っていた。
「いやだいやだいやだ。祭先輩いやだ」
 花は両手で祭先輩を覆う雪を掻きだした。涙で前が見えない。上手く呼吸ができない。腕が空回りする。「いやだいやだ。生きて生きて生きてぇ」
 新堂先輩が花を跳ね飛ばした。祭先輩の体のすぐそばにショベルをつき立てる。雪を掻く。花の潤んだ視界に雪の欠片がバラバラと舞って落ちた。新堂先輩がしゃがみ込んで祭先輩の体を持ち上げた。祭先輩は抵抗しない。まるで掛布団を抱えたみたいにダランとしていた。ウェアのそこここに雪がこびり付いていた。新堂先輩が雪原に祭先輩を横たえた。祭先輩の顔に自分の顔を近づけた。呼吸を確認している。
 新堂先輩が、自分のゴーグルを放り投げた。そのまま祭先輩の上に覆い被さる。必死に空気を送り込んでいた。氷みたいな祭先輩の口に自分の口を重ねて、命を注ぐみたいにして人工呼吸を始めた。花は震える。
「祭先輩ぃ」
 死ぬ。祭先輩が死んじゃう。
「泣いてる場合か!」
 人工呼吸の途中で顔を上げた新堂先輩に叫ばれた。「走れ! 埋まっている人がまだいるんだ! ビーコン反応を探れ!」
 花は立ち上がった。足がガクガクする。
 舌を噛み切りそうな勢いで叫んだ。
「はぃい!」
 走り出した。ビーコンを翳して真っ白い雪の上を走る。命を救うんだ。いっしょに生きるんだ。助けなきゃ。埋まっている人を助けなきゃ。
「奥村、新堂ぉお!」
 太い声が聞こえた。森口分隊長の声だ。花は足を止めない。走るんだ。ビーコンが鳴る場所を探すんだ。
 隊員たちが駆け付けてきたのだ。デブリは広い。西斜面の雪原のほとんどが崩れ落ちた。この中に人が埋まっている。まだ何人もいる。見つけなきゃ。わたしたちが、助けなきゃ。
「巻き込まれたのは何人だ!?」
 舌が回らない。自分の頬を引っぱたいてから無理やり口を動かした。
「か……、確実なのは三人です。スキーヤーが大勢いたので他にも巻き込まれているかもしれません。二人、見つけました」
「わかった。捜索続行だ」
 森口分隊長の指示で、救助隊員たちが四方に散っていく。ビーコンが鳴る。鳴るってことは誰か埋まっているということだ。それが複数ある。まだ何人も埋まっているってことだ。助けなきゃ。ここにある命を、一つでも多く掘り出さなきゃ。
「奥村! 新堂!」
 森口分隊長の太い声があたりを揺らした。「お前たちは救助した埋没者を運べ! すぐに〝つるぎ〟がここにくる。要救助者を斜面下まで下ろすんだ!」
 叫び返した。
「り……、了解!」
 新堂先輩が走ってくる。祭先輩を背中に載せて雪面を駆け下りてくる。花は叫んだ。
「ストレッチャーをここに! お願いします!」

 雪を巻き上げてヘリが降りてきた時、新堂先輩は目を見開いて立ち尽くしていた。花はガタガタ震えていた。訳のわからない震えだった。恐怖でも後悔でもない。感情の昂ぶりでもない。ただ止められない震えだった。ヘリを見る新堂先輩の顔。それが怖かったのかもしれない。
 着地したヘリに二人を乗せた。まずは松さん。肩を抱き、励ましながら乗せる。
「大丈夫。落ち着いて。すぐに病院だから」
 松さんが歯をガチガチ鳴らしていた。花に縋り付こうとする松さんを無理やり引きはがした。新堂先輩が祭先輩の乗ったストレッチャーを押し込んできた。花はそれを受け取る。座席に固定する。うつむくと涙が湧く。それがこぼれないように何度も飲みこんだ。祭先輩。お願い。死なないで。声に出さずに願った。お願いだから、生きて。
 操縦席の伊波さんが声を張り上げた。
「離陸するぞ」
 花はヘリから飛び降りる。同時に振り返って頭を下げた。自然とそうしていた。新堂先輩が目を見開いて伊波さんを見ていた。
「伊波さん。頼みます」
 花と同じように頭を下げた。新堂先輩の声、顔、薄く張った氷みたいだった。指先で触れるだけで崩れてしまいそうだった。
「ああ、任せろ」
 ヘリが風を巻き上げて離陸する。新堂先輩は顔を上げなかった。ずっと頭を下げていた。腰を九十度に折って、ヘリが飛び去って見えなくなるまで、ずっと頭を下げ続けていた。


 

(「第5話 雪崩-3」へ続く)

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※涌井の創作小説です。


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