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記憶を失くした年末年始。心が限界を迎えた私の撤退戦と消えない罪悪感【どん底編⑤】

この記事の続きです。


家族会議の結論

重苦しい空気の中、親やきょうだい、その配偶者まで巻き込んで開かれた地獄の家族会議。
そこで出された結論は、極めて現実的で、残酷なものでした。

「1日でも早く、その施設から撤退する(2号店を閉店する)こと」

開店する前は、この先ずーっと続けていく気でいました。
1号店のカフェは9年も続けてこれたのに、2号店は1年も経たずに店を閉めるなんて。あんなにたくさんの方にお祝いしてもらったのに……。
恥ずかしい。情けない。

前職を辞めてまで2号店の店長になってくれたスタッフに対して、申し訳なさすぎて顔向けできない。
そして、バックアップしてくれた有力者の方たちに、一体何と報告すればいいのか。

少し前に現状を知った有力者の方から、「勇気ある撤退もアリだよ」という言葉はいただいていました。
(※勇気ある撤退は本当に大事です)
だから撤退自体は理解してもらえるとは思いつつも、いざ現実となると、やはり言い出すのは怖かったです。

逃げたい。でも「契約」が許してくれない

でも、どう考えても、この先お店を続けていける未来は見えませんでした。
何より私自身がもう心身共に限界で、とにかくこの地獄のような状況から逃げ出したかった。
「既存店(1号店)の営業だけに集中することで、早くホッとしたかった」というのが本音でした。

しかし、ここで最大の壁が立ちはだかります。
施設側との「1年契約」です。
せめて冬の間だけでも、「土日のみの営業にする」「営業時間を大幅に短縮する」などの変更を受け入れてほしいと施設側に伝えてみましたが、「難しい」と断られていました。

そんな状況で、契約期間の途中で「閉店して完全撤退したい」なんて、果たして許してもらえるのだろうか。
その話し合いを切り出すことすら、ものすごく気持ちが重かったのを覚えています。


記憶を失うほどの最も暗い年末年始

その頃、すでに年末が押し迫っていました。
実は、私にはこの時期(概ね年末年始)の詳細な記憶がありません。
1号店も2号店も年末年始のお休みを取っていたと思うのですが…何をしていたのか覚えていないのです。

ただ一つ言えるのは、私の人生の中で、精神的に一番辛かった時期だということです。
「もうこれ以上、辛い思いをすることなんて人生で無いんじゃないか?」と今でも思います。

毎日毎日、不安と恐怖で眠れない。
やっと眠れても、目覚めた瞬間に絶望と不安が押し寄せてくる。
頭の中は常に「閉店」と「お金」のことでいっぱいで、とてつもなく大きな罪悪感に押し潰され、ただただ自分を責め続けていました。
まさか私が、こんな地獄のような状況に陥るなんて。

私の人生、どうしてこうなったんだろう。
私はあの時、どうして出店を決めてしまったんだろう。
なんてバカなんだろう。
なんてダメな人間なんだろう。
これからどうやって生きていけばいいんだろう。


生きた心地がしない「撤退戦」の始まり

それでも、立ち止まることは許されません。
開業する前、取引先の女性社長に、「始めてしまったらもう止まれないからね」と言われたのですが、本当にその通りでした。止まることが許されないのが経営者なのです。

この時期は、「どうやって撤退させてもらうか」「資金繰りをどうやって乗り切るか」ばかりを考えていて、もう一刻の猶予もありませんでした。

毎日、自分がどうやって息をして過ごしていたかわからないほど苦しい日々の中、私はボロボロになりながらも必死に動きました。
スタッフたちと話し合い、何とか頭を下げて理解してもらう。
必死の思いで施設側に状況と気持ちを伝え、撤退を懇願する。

そして、胃がキリキリする思いで、関わってくれた有力者の方々に報告をする。
残すは、施設側から撤退の許可をもらい、ギリギリまで営業した後に「閉店日」を決めて、少しでも早くお客様に告知すること。

「どうか、撤退させてください」
生きた心地がしない時間を過ごしながら、私はただ、その答えをもらえる日を待っていました。

次回、どん底編の完結編となります。

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