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「広告費ゼロ」の広報戦略?田舎のカフェが息を吹き返した「集客の正体」。

母とスタッフAちゃんの優しさに助けられ、なんとか廃業の危機(冬の閑散期)を乗り越えた私の店。

雪が溶け、春が訪れた頃。
私の店に、信じられないような「追い風」が吹き始めました。

「雑誌に掲載させていただけませんか?」
「テレビの取材をお願いできますか?」

広告費なんて1円も払っていないのに、地元メディアから取材のオファーが立て続けに舞い込んだのです。

なぜ、無名のカフェに取材が来たのか?


当時、SNS(Instagramなど)はまだ登場しておらず、せいぜいmixiくらいしか無かった。
私がやっていたのは、ブログとホームページ、そしてアナログな「ショップカード」や「手書きのフリーペーパー」をあちこちに置かせてもらうことだけ。

それなのに、なぜメディアの方々は、看板もない田舎の店を取材してくれたのか?

まず、ローカルな情報誌では、ニューオープンのお店はほぼほぼ掲載してもらえたという事情もあります。
加えて、私のカフェは当時は珍しかったメニューを出していたり、ハンドメイド雑貨の委託販売もやっていたりしたので、興味を惹かれたのかもしれません。

それと、後になってわかったことですが、私のお店の「ストーリー(物語)」と「隠れ家感」も大きな要因でした。

• 「女性が1人で、当時はまだ少なかったカフェを一から建てた」というストーリー

• 「看板もなくてわかりにくい場所にある」という希少性

地方でもカフェという業態が広まってきていたこの時期、個人(しかも独身女性)が新築でカフェオープンというのはとても珍しかった。

そして、私が弱点だと思っていた「わかりにくい立地」が、メディアにとっては「教えたくなる隠れ家」という魅力的なネタになっていたのです。

「弱み」は、見方を変えれば最強の「強み(ネタ)」になる。
これは、私が経営の中で学んだ大きな教訓です。

嬉しい悲鳴と、肉体の限界


メディアの効果は絶大でした。
春の陽気とともに、お客様がどっと押し寄せ、店は再び戦場となりました。
冬の暇さが嘘のような忙しさです。

しかし、ここでまた新たな問題が発生します。

「私の体力が持たない」

オープンから半年以上、ほぼ休みなしで走り続けてきたツケが回ってきました。
プライベートな時間はゼロ。
週1回の休みも、いつもより多めに寝て、仕入れや仕込みなどをしていると1日が終わってしまう。
どこにも行けない。友人と会う暇も無い。
(でもお店に来てくれれば会えたのでその点は実店舗の良いところ)

体重は15歳の頃と同じくらいまで激減。
美容やオシャレに気を遣う余裕は皆無。
キラキラしたカフェ店主の生活とは程遠い、完全なる「1人ブラック企業」の状態でした。

レジ前での「寝落ち」事件


そんな限界ギリギリの私を助けてくれたのが、新しく入ってくれた男性スタッフ、Bくんでした。
彼は飲食経験があり、とても頼りになる存在でした。

ある日の閉店後。
私はレジ締め(売上の計算)をしていました。
でも、疲れすぎて眠すぎて意識が朦朧としています。お札を数えながら、座ったまま何度も船を漕いでしまう……。また最初からやり直し。

もはや、コントのような光景です。
なかなか精算が終わらない私を見て、Bくんはこう言いました。

「凛々子さん、もう寝てていいっすよ」

彼は、自分の契約時間はとっくに過ぎているのに、ボランティアで片付けや締め作業を手伝ってくれたのです。
その優しさに、私はまたしても救われました。

※本来なら優しさに甘えてはいけない事案です。
彼には足を向けて寝られません。

「人」に生かされている


冬はAちゃんと母に救われ、春はBくんに救われ。
私はつくづく、「金運」や「恋愛運」はなくとも(笑)、「人運」だけは最強なのだと思い知らされました。

こうして、多くの人の支えで「廃業の危機」を乗り越えた私。
ですが、やはり体力的なキツさと、時間に追われ、やりたいことが思うようにできないジレンマに悩むようになりました。

「もう少し、休みが欲しい…」

でも、定休日を増やしたらその分売上が減る。
今より売上減ったら、人件費も再び増えたので
かなり厳しい。
どうしたらいいのか…

次回は、当時周囲に驚かれた(私自身も驚いた)、私の働き方改革とその成果についてお話しします。

(つづく)

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