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【中編】国々を繋ぐシルクロードの胃袋――大釜のプロフとノンのグラデーション

前編では、ウズベキスタンという国がムガル帝国の建築美、ひいてはインドのタージマハルへと繋がる「美の遺伝子」の源流であることを、一枚のブロンズ像から紐解いた。

しかし、この国が持つ「大陸の繋がり」のロジックは、何も見上げるような青い建造物だけに宿っているわけではない。むしろ、僕たちの最も身近な場所――日々の「胃袋」の中にこそ、シルクロードが何千年もかけて編み上げてきた、壮大でグラデーション豊かなカルチャーのロジックが隠されている。

今回は、僕の旅の記憶とともに、この大陸を繋ぐ「食の解剖学」へとお付き合いいただきたい。

1. ユーラシア大陸を貫く「小麦と肉」のグラデーション

ウズベキスタンの食堂に入り、メニューを開いたとき、僕の中の「農学徒の眼鏡」が激しく反応した。そこに並ぶ料理たちが、あまりにも見覚えのある姿をしていたからだ。

例えば、この国の代表的な麺料理である「ラグマン」。 手打ちのコシのある太麺に、羊肉とトマトベースの野菜スープをたっぷりとかけた料理なのだが、これを一口すすると、脳内にユーラシア大陸の地図がぶわっと広がる。東を見れば中国の「拉麺(ラーメン)」があり、西を見ればイタリアの「パスタ」がある。中央アジアのラグマンは、まさにその文字通りの「真ん中」で、小麦文化が東西へと枝分かれしていく分岐点のロジックを体現している。

ラグマン。具沢山で隠れてしまっているが、コシのある太麺である。上にはディルのトッピング。


この「地続きのグラデーション」は、あらゆる粉モノや肉料理に息づいている。

薄い小麦の皮でジューシーなひき肉と玉ねぎを包んで焼き上げた「サムサ」は、インドに渡ると誰もが知る揚げスナック「サモサ」になり、さらに西へ渡るとポルトガルの「パステル」やピロシキの源流へと繋がっていく。 大ぶりなひき肉を包んで蒸しあげた「マンティ」は、東の「饅頭(マントゥ)」や日本の「小籠包・ギョーザ」の同胞であり、西のトルコへと繋がる、まさにユーラシアを跨ぐ「包みもの文化」のミドルポイント。 そして、串に刺した羊肉を炭火で豪快に焼き上げる「シャシリク」は、インドのタンドリーチキンや中東のシシカバブを想起させ、「肉を直火で育てる」という人類共通の全能感を味あわせてくれる。

マンティ。ジューシーなお肉と、爽やかなサワークリームとディルとの組み合わせが絶妙だった。
シャシリク。牛や羊など種類があり、部位やミンチなども選べる。


そして、この国の主食であり、丸くて美しい模様が刻まれたパン「ノン」。 タンドール(粘土製のオーブン)の壁面に貼り付けて焼かれるこのパンは、インドの「ナン」の先祖であり、同時にヨーロッパの「ハードパン」の親戚でもあるのだが、実はこのノン、「どの都市で食べるか」によって驚くほどそのグラデーションが変化する。

サマルカンド・ノン。シンプルだが、モチモチで小麦の芳醇な風味が鼻を抜け、本当に美味しい。小さな座布団くらいの大きさであったが、あっという間に完食。

なかでも、古都サマルカンドのノン(サマルカンド・ノン)は完全に別格の王座に君臨している。 首都タシケントのものが比較的軽くてふんわりしているのに対し、サマルカンドのノンは、ずっしりと重く、表面は美しい黄金色の艶を放ち、中は目が詰まっていて信じられないほどモチモチしているのだ。現地の人々も「サマルカンドの水と空気でなければ、あの味は出せない」と誇らしげに語る。実際、僕がサマルカンドの青い空の下でちぎって食べたあの味は、五感が震えるほど美味しかった。

後日、日本に帰国した際、東京の中野にある中央アジア料理店でノンを食べたとき、確かに美味しくはあったのだが……あのサマルカンドの地で受け取った「胸を突くような感動」には、どうしても届かなかった。食とは、単なる栄養素の配合ではなく、その土地の風土と記憶が渾然一体となって完成するロジックなのだと、中野の空の下で改めて痛感したのを覚えている。

国境という境界線は人間が勝手に引いたものだが、人間の胃袋と食の文化は、シルクロードという一本の頼もしい大河を通じて、何ひとつ途切れることなく、繋がっている。

2. シヨブバザールの熱気と「スパイス×ハーブ」の方程式

この目に見えない「食のグラデーション」が、物質として暴力的なまでの熱量で目の前に現れる場所がある。サマルカンドの胃袋を支える巨大市場、「シヨブバザール」だ。

バザールに足を踏み入れると、まずその色彩に圧倒される。山積みにされたみずみずしいトマトやパプリカを始めとした野菜。そして何より、美しく盛られた無数の香辛料の香りが、乾いた空気に溶け込んでいる。

野菜たちは非常にカラフルで、新鮮そうだった。
スパイス売り場。塩などの調味料も置いている。
ドライフルーツなど。

ここで、インド在住の僕として見逃せなかったのが、ウズベキスタンにおける「香りのロジック」である。

インドのカレーのように何十種類ものスパイスを複雑に調合する文化とは違い、ウズベキスタンの味付けは驚くほどシンプルだ。ベースにあるのは塩、そして「クミン(ジラ)」である。バザールの一角には、この茶色いクミンのシードがそれこそ麻袋に山盛りにされて売られており、プロフにもシャシリクにも、これがこれでもかと使われる。大地を思わせる力強い香りが、羊肉の野生的な旨味を極限まで引き立てるのだ。

しかし、ウズベキスタン料理が「ただの無骨な肉料理」で終わらないのは、もう一つの主役――「ディル(ウクロープ)」をはじめとする新鮮なハーブ使いの巧妙さにある。バザールの野菜売り場を覗くと、青々としたディルやパクチーが、まるで花束のような巨大な束で投げ売りされている。

スープやサラダ、あるいは肉料理の仕上げに、この刻んだディルが信じられないほどの量、ドバッと惜しみなく散らされる。 羊の脂や炭火の重厚なパンチに対して、ディルが持つあの特有の「ツンとした、爽やかで清涼感のある青い香り」が加わることで、口の中の油っぽさが一瞬でリセットされるのだ。

クミンという「大地の重低音」に、ディルという「高音のクリアな旋律」を掛け合わせる。バザールで見かけたあの無数のスパイスとハーブの方程式があるからこそ、僕たちは飽きることなく、巨大な肉や大量の炭水化物を平らげることができる。

3. 胃袋の巨大兵器:タシケントの「プロフセンター」

そんな食の方程式の頂点に君臨するのが、中央アジアの国民食であり、僕たちの今回の主役でもある炊き込みご飯「プロフ(Plov)」だ。

プロフの凄みを最も純粋に体感できる場所が、首都タシケントにある「中央アジア・プロフセンター」である。 そこに一歩足を踏み入れた僕は、その圧倒的な光景に言葉を失った。

カザンでプロフを調理中。

厨房に並んでいるのは、調理器具というよりはもはや「戦車」か「兵器」と呼ぶにふさわしい、人間が丸ごと一人入れそうなほどの巨大な鉄製の大釜(カザン)。 その中で、大量の羊の脂、眩しいほどの黄色いニンジン、大粒のレーズン、ひよこ豆、誠に厳選された米が、もうもうと立ち上る湯気の中で渾然一体となって踊っている。

このプロフセンターのプロフは、いわば「都市のエネルギーの結晶」だ。ガツンと重く、羊の旨味とクミンの香りが米の一粒一粒の芯まで完璧に染み込んでいて、強烈なパンチが脳を揺さぶる。「これぞ、シルクロードを旅する男たちの渇望を満たしてきたロジックの味だ」と、僕は夢中でスプーンを動かした。

プロフセンターのマトンプロフ。マトンの野生味溢れる香りや、ニンニクのパンチ、オイリーさがブーストをかけ、旨みがずっと押し寄せてくるのだ。

だが、この時の僕はまだ知らなかった。 この後、サマルカンドの地で、この暴力的なまでに美味い「都市のプロフ」とは180度違う、もう一つの「プロフの真実」に出会うことになるなんて。

4. 大陸を横断する「文明のハブ」としての相似形

タシケントからサマルカンドへ、そしてさらに西へと移動していくにつれ、僕はある確信を深めていった。それは、「この大陸の食文化は、中東や地中海を大いなる起点とし、東へと伝播する過程で美しくローカライズされた『相似形』である」ということだ。

決して、ここ中央アジアからすべてが東西に広がったわけではない。むしろ、歴史のロジックはその逆だ。 小麦の原産地である中東の「肥沃な三日月地帯」やローマ帝国周辺で生まれた食の礎が、シルクロードという大動脈を通じて東へと運ばれた。そして、移動を繰り返す騎馬民族(遊牧民)たちの生活様式と激しく融合しながら、姿形を変えていったのである。

例えば、このプロフ。羊の脂で米を炊き込む調理ロジックは、古代ペルシャの宮廷料理をルーツとし、それが北へと上がってこの地で無骨な「プロフ」になり、南へ下ってインドの宮廷料理「ビリヤニ」になり、西へ渡ってスペインの「パエリア」へと変貌を遂げた。

小麦の皮で肉を包むマンティも、中東やトルコ圏の包みもの文化がベースにあり、それが遊牧民の移動によって東へと運ばれたことで、中国の「餃子」や日本の「肉まん」へと繋がる強力なブースターとなった。唯一の例外である麺料理「ラグマン」にしても、西から伝わった小麦が、東(中国)で高度に発達した「手打ち麺の技術」と出会い、シルクロードを逆流する形で中央アジアで正面衝突して生まれたハイブリッドだ。

ウズベキスタンという地は、文化の発信源というよりも、「西からの波と東からの風が交差した、壮大な文明のハブ(交差点)」なのだ。 だからこそ、ここで食べる料理には、東西南の国々の影が奇妙に、そして愛おしく映り込む。人間の胃袋が証明する「大陸の連続性」を遮ることは、誰にもできないのだ。

5. サマルカンドの絶望と、ピカピカのタクシー

しかし、そんな「壮大な文明のハブ」のロジックを、机上の理論ではなく、人間の圧倒的な温かさという「血の通った体験」として僕の胃袋に叩き込んでくれたのは、ある絶望的なピンチの瞬間だった。

それは、旅の最終日、サマルカンドからタシケントへ戻り、そこから夜発のフライトでインドへ帰国する予定だった日の朝のことだ。早朝の特急電車に乗るため、スマートフォンでいつものようにタクシーアプリ「Yandex Go」を開いた。……が、なぜか一向に車が捕まらない。

「おかしいな」と首を傾げながらも、電車の時間は刻一刻と迫っている。僕は仕方なく通りに出て、流しのタクシーを探した。運よくすぐに足を止めてくれたのは、優しそうなしわを刻んだおじいちゃんのタクシーだった。

一安心しておじいちゃんに行き先を告げ、車は走り出した。しかし、すぐに異変に気づく。 大通りに出ようとするたび、屈強な警察官たちに進路を塞がれるのだ。なんとその日は、サマルカンドの街を舞台にした「ロードバイクの国際大会」の当日。主要な道路が完全に、かつ容赦なく全面封鎖されていた。

焦ったおじいちゃんは、裏道という裏道を通り、あらゆるルートを試して駅へ近づこうと奮闘してくれた。車内を包む焦燥感。しかし、どこへ行っても警察官に静止され、冷酷な「無理だ」のひと言を突きつけられる。言葉も通じない異国の地、帰国当日の朝。街の全容がロードバイクのために閉ざされている現実を前に、僕はついに悟った。

「あ、これ、頑張ってもらったけど完全に詰んだわ」

電車にはもう間に合わない。僕は途方に暮れ、ダメ元でおじいちゃんに最後の無茶振りを持ちかけた。 「12時に道路封鎖が解除されるらしいんだ。解除されたら、もう電車は諦める。ここから300キロ先のタシケントまで、車をぶっ飛ばしてくれないか?」

おじいちゃんはロシア語とウズベク語しか話せず、英語はほぼ通じない。そこで彼はスマートフォンを取り出し、誰かに電話をかけた。スピーカーから聞こえてきたのは、流暢な英語を話す彼の娘さんの声だった。 この家族の中で英語が話せるのは、娘さんとその子供(孫娘さん)だけ。僕は、おじいちゃんが握るスマホから聞こえる娘さんの声を介して、タシケントまでの気の遠くなるような長距離の金額交渉を行うという、少しシュールで現代的なラリーを繰り広げた。

交渉は無事に成立。すると、おじいちゃんは時計を見て、娘さんの通訳を介してこう言った。 「でも、解除までまだあと4時間くらいあるな。それまで、俺のうちに来いよ」

――こうして、僕は予期せぬまま、サマルカンドのローカルの家庭へと誘われることになった。

6. 世界で一番優しい、ファミリーのプロフ

おじいちゃんが案内してくれたのは、中庭をぐるりと囲むように建てられた、離れもある驚くほど立派で大きなお宅だった。僕はその広々とした離れへと案内され、道路が解除されるまでの約4時間、彼らの家族の一員として過ごすことになった。

大きな邸宅。中庭ではぶどうを栽培していた。

突然連れてこられた、言葉の通じない見ず知らずの外国人。しかし、娘さんや孫娘さん、そして子供たちは、まるでお盆に帰省した親戚の孫かのように、大歓声で迎え入れてくれた。 途中、娘さん夫婦が「ちょっとスーパーに行こう」と車に乗せてくれ、地元の生活感が詰まったスーパーマーケットへ買い出しに連れて行ってくれたりもした。旅のトラブルが一転して、最高のローカル体験へと変わっていく。

お屋敷に戻ると、中庭のテーブルには、庭で採れたばかりのみずみずしいスイカやブドウが次々と並べられていた。

そして、奥の台所から「お待たせ」と運ばれてきたのが、大きなお皿に盛られた、出来立ての「自家製の家庭のプロフ」だった。

心身ともに大満足だった。

一口食べて、僕は驚いた。 タシケントのプロフセンターで食べた、あの暴力的なまでの油と羊のパンチとは、全く違う乗り物だったからだ。 お米の自然な甘み、じっくり炒められたニンジンの優しいコク、臨場感を持って香る上品なクミン。それはまさに、この国の人々が何世代にもわたって家庭の中で受け継いできた、「おふくろの味」そのものだった。

大釜のプロフが「ハレの日のエネルギー」なら、この家庭のプロフは「ケの日の癒やし」。 どちらも同じプロフでありながら、そこには食べる人を想う異なるロジックが存在していた。絶望的なピンチの中で出会ったその優しい味は、僕の胃袋だけでなく、心までを極上の温かさで満たしてくれた。

7. エピローグ:僕たちはもう、ファミリーだから

12時になり、遠くからロードバイクの歓声が消え、無事に道路封鎖が解除された。

出発の時、おじいちゃんはまっすぐ目を見てこう言った。 「またサマルカンドに来るときは、絶対に俺に連絡しろよ。いいか、俺たちはもうファミリーなんだからな」

張り詰めていた旅の終わりに、こんなにも純粋で、温かい言葉をもらえるなんて思ってもみなかった。危うく涙が出そうになるのを堪えながら、僕は何度も「ありがとう」と伝えた。

まあ、いざ車に乗り込んでタシケントまでの300キロの長距離ドライブが始まってみると、実際に高速道路を猛スピードで運転してくれたのは、おじいちゃんではなく、若くて体力のある義理の息子さんだったが…(笑)。

それでも、車窓を流れるウズベキスタンの広大な景色を眺めながら、僕の胸には、あの優しいプロフの味と、出会った家族の笑顔が、いつまでも消えない確かな体温として残り続けていた。

大陸を渡る食のグラデーションは、ただの知識としてのロジックではない。それを手から手へと、胃袋から胃袋へと繋いできた、温かい「人間たちの物語」そのものなのだ。

そして、この豊かな食のロジックを支えているのは、他ならぬこの大地を流れる「水」と、それをコントロールする農学の数式である。しかし、僕たちが美味いプロフを頬張り、豊穣なグラデーションに目を輝かせているその裏側で、この国の「水」は、ある悲劇的なロジックによって今も消え去ろうとしている。

次回は後編。地理の教科書で誰もが一度は目にした、あの消えゆく「アラル海」の悲劇と、ウズベキスタンを縛り付ける綿花(コットン)の冷徹な方程式について、僕なりの農学の眼で解剖してみたい。

(【後編】二大河川の悲劇と農学の眼――消えゆくアラル海と綿花のロジックに続く)


最後までお読みいただきありがとうございました。
旅先や日常の経験を、知識をもって深く腹落ちさせる――そんな農学徒の眼鏡を通して見た世界のロジックを、これからも独自の視点で切り取っていきます。
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