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「農村は不完全である」と断言した人類学者――レッドフィールドの大伝統/小伝統論を読む愉しみ

2002年にある大学院生によって書かれたゼミ発表原稿をもとに読み解く。

古い理論書を開く瞬間の興奮

人類学の古典を読んでいると、時折、思わず「え?」と声が出てしまう瞬間がある。現代の感覚からすればかなり大胆な、あるいは素朴すぎる主張に出くわすときだ。しかしそれは決して、過去の研究者を嗤うためではない。むしろ、彼らがなぜそのような議論を展開せざるを得なかったのか、その思考の軌跡をたどることこそが、知的な探求の醍醐味なのだ。

今回紹介するのは、アメリカの文化人類学者ロバート・レッドフィールド(1897-1958)が1950年代に提唱した「大伝統/小伝統論」である。一読すると、その大胆さに驚かされる。なにせ彼は、農村社会を「本質的に不完全な社会」だと断言するのだから。

レッドフィールドの奇妙な主張――「半分社会」という概念

レッドフィールドは、ラテンアメリカの農村研究から出発した人類学者だ。彼の議論の核心は、極めてシンプル、かつ大胆である。

農村を、「部族社会」と「現代都市」という軸の中間に位置づける。つまり、部族から都市へと発展する経路の途中段階として農村を見るのだ。そして驚くべきことに、「農民社会は半社会であるために、その文化は、したがって半文化である」と言い切る。

半社会。半文化。

この奇妙な言い回しに、50年代当時の人類学を代表する知性が辿り着いてしまったことに、我々は「ある種の感動」を覚えるのではないだろうか。たしかに、これは素朴な進化論的図式の「先祖帰り」とも言える発想だ。しかし、なぜレッドフィールドはこのような主張をせざるを得なかったのか?

「不完全さ」という問題設定

レッドフィールドが農村を「不完全」と見なした理由は、明確だった。

彼によれば、農民村落は「外部の人々や諸制度に関係づけられていて、非常に不完全な体系」だという。つまり、それ自体で完結していない。自律的ではない。儀式や伝統を遂行するためにさえ、外部の知識人の手助けを必要としている――そう彼は見たのだ。

ここで登場するのが「インテリゲンチャ」という概念である。

ブラジルの農村、ユカタンの村落、ヨーロッパの農村。いずれにおいても、都市の慣習や学問を身につけた人々が、農民と国家の間を媒介していた。学校の教師、役人、牧師。彼らは「地方生活といっそう広い生活との間の行政的、文化的媒介者」だった。

そして重要なのは、農民とこれらエリートとの間にある感情的な非対等性だ。レッドフィールドは鋭く指摘する。農民は自らが「田舎的であることを承知」していて、「共通な文化に関しては、自身を低いものとしてみる」。しかし同時に、生活様式については「道徳的に都市民の生活様式にまさっている」とも考えている――都市民を怠惰、欺瞞、奢侈なものとして見、自らは質素、古風、大胆であると。

この両価的な感情。都市への劣等感と道徳的優越感の共存。これは現代にも通じる感覚ではないだろうか?

大伝統と小伝統――二つの文化の螺旋

こうした観察から、レッドフィールドは有名な「大伝統/小伝統論」を展開する。

大伝統とは、「内省的なごく少数者」の伝統であり、「もろもろの学校ないしは寺院で培われている」ものだ。哲学者、神学者、文学者の伝統。意識的に培われ、伝えられる。文字で記録され、洗練され続ける知的世界。

小伝統とは、「主として非内省的な多数者」の伝統であり、「村落社会の無学な人々の生活の中で、それ自体を完成し、そして維持し続けている」ものだ。無文字の、意識化されない生活文化。

そして――ここが重要なのだが――「二つの伝統は相互依存的である」とレッドフィールドは言う。大伝統と小伝統は、「永遠に相互に流れ込み又流れ出る思想と活動の、二つの流れ」なのだ。

文明下にある村に入れば、「その村をみたこともない、遠く離れた時空の知的サークルのなかで仕事していた教師や手本から流れ込んできた」文化が一目でわかる。しかし同時に、大伝統の担い手たる教師たちの教えは、「意図されなかった方法で、農民に理解されてきた」。

つまり、一方通行ではない。螺旋的な相互影響関係がある。

イスラム世界における大伝統と小伝統

レッドフィールドの同僚グルネバウムは、この理論をイスラム世界に適用し、さらに鋭い観察を加えている。

イスラム世界では、大伝統は「権威を形成するもの」として認められている。書き物として明示され、社会的威光はそれを使用することで生まれる。一方、小伝統は「大衆の底流」として存在する。そして――ここが興味深いのだが――「大伝統が信仰であるとされる場所では、小伝統は迷信とみなされる」。

実際、「ひとの社会的地位は、そのふたつの伝統のうちいずれを選択するかにかかっている」のだ。

グルネバウムは、イスラムの思想家や教師の書いたものから、「地方の世俗文化に対する彼らの闘い」を読み取っている。つまり、大伝統は小伝統を意識している。攻撃もする。しかし同時に、小伝統に合わせて自己を改変もする。

この緊張関係。相互認識。「高さ」と「低さ」からなる同じ秩序を、両者が認めているという事実。

この理論の問題点――そして魅力

もちろん、この理論には多くの問題がある。

まず、素朴な進化論的図式への回帰。農村が「部族から都市へ」という発展経路の中間にあるという見方は、今日では受け入れがたい。

そして、「不完全さ」という価値判断。なぜ農村が「不完全」で、都市が「完全」なのか? この非対称な設定自体が、都市中心主義的な偏見を反映している。

さらに、知識人の役割を過大評価している面もある。農民文化が維持されるために都市との持続的連絡が「必要」というのは、本当だろうか?

しかし、この理論には抗いがたい不思議な魅力がある。

それは、抽象的な「文化接触」や「伝播」ではなく、具体的な行為者(教師、牧師、農民)を措定している点だ。彼らの間の感情的な関係、権力の非対称性、相互の認識のあり方に注目している点だ。

大伝統と小伝統という図式は、単純化されすぎているかもしれない。それゆえに、複雑な文化的ダイナミクスを可視化する道具としては、今なお人気があるのかもしれない。

冷戦の影――知識生産の政治経済学

ここで、レッドフィールドの理論が生まれた時代背景に目を向けてみよう。1950年代のアメリカ。冷戦の真っ只中だ。

レッドフィールドがシカゴ大学で「文化研究所」(Institute for Cultural Studies) を立ち上げたのは1951年。資金源はフォード財団だった。この研究所では「文明の比較プロジェクト」として、当初は中国、ヨーロッパ、イスラム文明の研究に取り組んでいたが、徐々にインドに焦点を絞っていく。レッドフィールドは当時、「研究資源のすべてを集中的にインドに投下する」と言明している。

なぜインドなのか? それは、戦後の政治的空白をめぐるソ連とアメリカとの覇権争いと無縁ではない。

1943年、シカゴ大学では政府によって二つの速修言語学習プログラムが始まっていた。軍隊用と一般用。両方とも「戦後すぐのインドに必要な人材を送り込むこと」に驚くほどの成功を収めたという。レッドフィールドはこの軍事的プログラムが戦後も有効とは考えず、代わりに「地域研究」という長期的な知的資源開発を提案した

1957年末のスプートニク・ショック後、1958年には米国議会が国防教育アクト(NDEA)を発令。外国語教育だけで63年までに7400万ドルの予算が投入された。フォード、カーネギー、ロックフェラーといった民間財団とともに、政府資金も潤沢に「地域研究」「異文化研究」に注ぎ込まれた。

この流れは日本にも及んだ。

1963年1月、京都大学に「東南アジア研究センター」が設立された(1965年に正式な研究センターとして官制化)。日本初の東南アジア総合研究機関だ。そして――興味深いことに――この研究所の初期の資金も、「フォード財団からの研究助成金」が主要な財源の一つだったのだ。

バンコクに連絡事務所が開設されたのは設立と同じ1963年10月。タイとマレーシアでのフィールドワークが直ちに開始された。人類学者による詳細なコミュニティ研究から、自然科学者による熱帯林、水田土壌、農業技術の調査まで(なお現在の研究所員たちはこの経緯を忘却してしまっている)。

レッドフィールドの議論も、こうした状況から自由ではなかった。都市と農村との連続的関係を知識の洗練と適用の相互関係としてとらえ直した彼の議論は、それまで独立していた農村研究を都市研究と不可分のものとした。そしてそれは、非常に応用力のある理論だった。

支配イデオロギーの起源と作動対象の分析に使えたし、規範的知識と実践のズレを理論化する強力なツールでもあった。都市問題ではなく、あえて農夫の生活をまず研究の第一のターゲットと設定したこと。そしてそこに「インテリゲンチャ」というロシアの語彙――周辺的知識人の役割――をからませたこと。これらすべてに、時代性を読むことができる。

学問は政治から自由ではない。しかし、だからといって、学問が政治に単純に還元されるわけでもない。レッドフィールドの理論は、冷戦という文脈で生まれたが、それ以上の何かを含んでいた。

古い理論を読む意味

なぜ、70年近く前の、問題含みの理論を今読むのか?

それは、過去の研究者がどのような問題に直面し、どのような概念装置を作り出そうとしたのかを知ることで、私たち自身の思考の前提を問い直すことができるからだ。

レッドフィールドは、ラテンアメリカの農村という具体的なフィールドワークから出発し、農村社会の「不完全さ」という問題に直面した。その解決策として、彼は大伝統/小伝統という二項対立的な図式を作り上げた。

この図式は、今日の目から見れば単純すぎる。しかし、単純であるがゆえに、文化の階層性、知識の権力性、伝統の複数性といった問題を鮮明に浮かび上がらせる。

そして何より、レッドフィールドの議論から浮かび上がってくるのは、「自らを田舎的であると承知」しながらも「道徳的に都市民にまさっている」と考える農民の複雑な自己認識だ。この両価的な感情は、決して過去のものではない。

グローバル化が進み、情報が瞬時に世界を駆け巡る現代においても、「中心」と「周縁」、「洗練」と「素朴」、「普遍」と「ローカル」という対比は、形を変えて存在し続けている。

レッドフィールドの古い理論を読むことは、そうした現代の問題を考えるための、一つの補助線を引くことでもあるのだ。

おわりに――文献探求の愉しみ、あるいは学問の複雑性

人類学的な文献探求の面白さは、こうした「発掘」にある。

古い論文を開き、時代の制約や偏見を感じ取りながらも、そこに込められた知的格闘の痕跡を読み取る。そして、それが現代にも通じる何かを語りかけてくることに気づく。文献史学に人類学的観点を持ち込むこともおもしろいし、その逆もしかりだ。今回は人類学史そのものを文献史学的なアプローチで検討したある大学院生のゼミ発表原稿をもとにこの原稿を書いている。

レッドフィールドの「大伝統/小伝統論」は、完璧な理論ではない。むしろ、多くの問題を孕んでいる。そしてその理論は、冷戦という政治的文脈の中で、フォード財団という資金源に支えられて展開された。

京都大学東南アジア研究所もまた、1963年という時代に、フォード財団の資金を得て設立された。東南アジアへの「知の浸透」は、決して純粋に学術的な営みだけではなかった。それは冷戦下における覇権争いの一部でもあった。→【6回の読み切りシリーズ『フィールド研究者の倫理学—歴史が教える42の教訓』として生々しい事例をたくさん連載中

しかし――そして、ここが重要なのだが――だからといって、そこで生まれた知が全て「政治的工作の産物」として退けられるべきなのだろうか?

レッドフィールドの理論には、資金提供者の思惑を超えた何かがあった。農民の両価的な自己認識への鋭い洞察。大伝統と小伝統の螺旋的な相互影響関係についての考察。これらは、冷戦の文脈に還元できない知的達成だった。

京都大学東南アジア研究所から生まれた数多くの民族誌的研究も同様だ。それらはフォード財団の資金で実施されたかもしれないが、そこで記述された人々の生活、文化、社会の複雑さは、単なる「情報収集」を超えていた。

学問は政治に埋め込まれている。しかし同時に、学問は政治を超える可能性も持っている。この両義性こそが、古い文献を読む意味なのだ。

レッドフィールドの理論と対話することで、私たちは以下のことを学ぶ:

文化の階層性、知識の権力性、伝統の複数性といった問題は、今も私たちの前にある。「自らを田舎的であると承知」しながらも「道徳的に都市民にまさっている」と考える農民の複雑な自己認識は、グローバル化した現代においても、「中心」と「周縁」の間で揺れ動く人々の感情として存在し続けている。

そして何より、学問が特定の政治的文脈で生まれながらも、その文脈を超える洞察を生み出しうることを、私たちは理解する。

古い理論書のページをめくる。そこには、過去の研究者の思考の跡がある。時に大胆すぎる主張に出会い、時に鋭い洞察に驚かされる。そして、その思考の軌跡をたどることで、私たち自身の立ち位置を相対化することができる。

資金源を調べる。設立の経緯を探る。政治的文脈を読み解く。これらはすべて、その理論をより深く理解するために必要だ。しかし同時に、そうした外的条件に還元されない、理論それ自体の内的論理と格闘することも必要だ。

これこそが、人類学的文献探求の、静かな、しかし確かな愉しみなのだ。

批判的に読み、文脈を理解し、それでもなおその理論と真摯に向き合う。この知的営みは、決して過去のものではない。


参考文献

  • Redfield, R. (1956) Peasant Society and Culture: An Anthropological Approach to Civilization. University of Chicago Press.

  • レッドフィールド, R.『農民社会と文化――文明の人類学的研究』(染谷臣道・久保田晴行訳)、創元社、1974年

  • "50 years of history at CSEAS" Center for Southeast Asian Studies, Kyoto University

  • 益田岳,「レッドフィールドの『大伝統/小伝統』議論をめぐって」,2002年, 筑波大学歴史人類学研究科文化人類学全体ゼミ発表原稿 https://www.researchgate.net/publication/281289305_reddofirudonodachuantongxiaochuantongyilunwomegutte

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