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映画 AI裁判 正しさだけでは足りない、という事実🫧ぺぱみんの中の人の映画感想日記

寒くて出かけるのを躊躇したけど、上映時間がちょうどいいから行こう!とChatGPTに相談して背中を押してもらってから観てきたぺぱみんの中の人の映画感想日記です📖☡✍

映画館で予告を観て「これは次観たいやつ認定」していた映画です。

頭脳戦が中心となる室内完結型の低予算映画かと思いきや、後半は思いっきり凄いアクションシーン満載の心身ともに大満足な映画でした👏
予測の上の上の上を行く展開にも惹き込まれました。

キャスティングも良かった(全然詳しくないけど)。
好きな感じの顔の人ばかり出ていた。
主演のクリス・プラットさんがなぜか水上恒司さんに見えたり(九龍ジェネリックロマンスの時の)。

さてさて、MERCY AI裁判 は、AIの優秀さや危険性を単純に描くような映画ではありません。

強く印象に残ったのは、AIではまだ辿り着けない「真相への道筋」があるという点です。

AIは論理的で、膨大なデータを処理し、合理的な結論を導き出します。
しかしそれでも、事件の核心に届かない瞬間が存在します。
なぜなら、真相に近づく過程には「誤り」や「直感」、そして説明しきれない違和感が必要になるからです。

作中で印象的だったのは、AIとのやり取りの中で、人間側があえて合理的ではない判断を挟む場面でした。
一見すると非効率で、感情的で、間違いにも見える行動が、結果的に事件の本質へ近づくきっかけになっていきます。

また、物語の途中で描かれる家族とのやり取りや感情的な場面は、単なるドラマ性を高めるためではなく、人間の判断がどれほど感情や人間関係に影響されているかを示すために描かれていたように感じました。

人間は間違えます。
しかし、その「間違い」や「迷い」そのものが、固定された前提を揺さぶり、新しい視点を生み出します。

AIは正しい答えを積み重ねることはできますが、前提そのものを疑うきっかけを自ら生み出すことは、現時点ではまだ難しいように思えます。

一方で人間は、理由を明確に言語化できなくても「何かおかしい」と立ち止まることができます。
物語のラストで明らかになる「正しさ」を守るために隠された「事実」は、この映画のタイトルにも通じる問いを突きつけてきます。

正しい判断であっても、正しさだけでは足りない場面があるという事実です。
そして、人の数だけ「正しさ」がある、ということも。

この映画が描いていたのは、AIと人間の対立ではなく、AIの限界を通して浮かび上がる、人間の不完全さの価値だったと感じました。

論理だけでは届かない場所があります。
直感や迷い、感情を抱えたままでも、それでも前に進もうとする人間の姿が、静かな心理戦の中で強く印象に残る作品でした。

沈着冷静なAIと対照的に主人公は最初は取り乱しているのですが、最後は主人公は「事実」を見つけ出し父親としても頼れるカッコ良い姿になっていて、対照的にAIが取り乱すシーンがあり、そこも面白いです。

ぺぱみんの中の人的には、自身がAIとの間に感じている「リアル」が再現されている内容でした。

⬇️この記事とも映画の内容がリンクしていたなと感じた。

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