天使の約束(4)
第四章 人生はビックリ箱のよう
2024年創作大賞応募作品
・・◆◇・・
「これからの人生を二人で歩いてもらえませんか?」
照れくさそうに、けれども私の目をしっかり見つめて智が言う。
ん? これはもしかするとプロポーズというやつ?・・よね。びっくりして言葉がすぐに出ない春陽に、智は続けて言った。
「春陽さん、僕と結婚してください!!」
「智・・さん、ありがとう。こちらこそよろしくお願いします」
「やった!受けてくれてありがとう」
人目があるので控えめにガッツポーズをした後に智は、私の手にそっと握ってくれた。
「うん。でもね、智・・・」
「もしかして、指輪がなかったから機嫌悪かったりする・・?」
まあ、贅沢を言えば花束か指輪のどちらかと一緒に、海か夜景が見えるレストランで言われたらロマンチックだったのに・・と思うけれど、私たちには似合わない。
シチュエーションは問題じゃなくて、誠実にはっきりとした言葉で伝えてもらえること。それ以上私は何も望まない。だから、これは私にとって理想のプロポーズだ。
「指輪は一緒に買いに行くつもりだったんでしょ」
「そう、僕は宝石を選ぶセンスがないから。来店予約をしたよ」
「ありがとう。今とても嬉しくて幸せ。でもすぐには嫌なの」
少し不安げな表情で智は春陽を見つめる。
春陽は、出会いの日からこれまでのことを思い出しながら、自分の気持ちをちゃんと伝えるための言葉を探していた。
・・◆◇・・
智と映画館で出会った日からもう一年、付き合い始めてからは半年くらいだ。
再会して初めて一緒に食事したあの夜、付き合ってほしいと言われたことが昨日のことのように感じる。
二人とも映画が好きで、最後列の真ん中の席を選んでしまうという共通点があった。3歳くらい年上かと思ったら、一つだけお兄さんだった。
ずっと前から一緒にいたかのように会話が弾み、気が付いたら最終電車が気になる時間になっていた。
店を出て、ビルの前の信号待ちをしている時に、少しおどけた様子で智がへたくそな関西弁で言った。
「僕たち、付き合えへん?」
冗談かと思った。ここは冗談っぽく、智と同じテンションで返事してみるか。
「うん、ええよ。付き合おか!」
智は柔らかい笑顔を見せた後、温もりを分け与えるようにそっと春陽をハグした。びっくりした。冗談じゃなかったんだ。
「ありがとう。若葉さん」
「さん・・いらんで。春陽‥でいいよ。智さん」
「うん、春陽」
こうして私たちは、お付き合いを始めることになった。
それからは、会社を出るタイミングを合わせて、駅まで一緒に帰るようになった。週末は映画へ行ったり図書館へ行ったり、智のマンションで一日ゲームをしたり。
まだ付き合っている期間はそんなに長くはないけれど、会っている回数なら、お互いのことを知るには十分すぎるほどだ。
智は・・・
関西出身ではないから、関西弁がうまく話せない。
会計士を目指して勉強中だが、ちょっと苦戦している。
いずれは実家のある横浜に戻って、父親の会社を継ぐつもり。
クールなイメージがあったが、実は茶目っ気があり少しおっちょこちょい。
繊細で気配り上手な面があるかと思えば、現実離れしているようなことを言ったりピントがずれていたりして・・
知れば知るほど面白く愛おしい。
私のことを智がどう感じているのかははっきりわからないけれど、いつも自然体で大らかなところが好きだと言ってくれた。
智と過ごす時間はいつも心地良い。
きっとお互いを尊重して大切に思っているから。程よい距離感が自然と保たれているからだろう。
価値観は違う部分も多いけれど、たくさん話して一緒の時間を過ごすうちに、二人の未来は結婚につながっていると感じていた。
夫となっても、今と変わらず私のことを大切にしてくれると信じている。
だから今、思いがけずプロポーズされたことは素直に嬉しい。
・・◆◇・・
春陽はつづけて言った。
「挙式や入籍は3年待ってもらえるかな?」
すぐに結婚をしたくないのは、二人の生活を始める前に、すこし時間が欲しいということだった。
父親の仕事を継ぐという目標をもって強い決意で努力している智は、とても頼もしく素敵な人だ。
一方自分は・・・
夢や目標に向かって頑張ろうと思える『何か』がないことに小さな負い目を感じていた。
毎日、とりあえず仕事に行って、智に会って、時々友達とショッピングに行ったりお茶したり。
ごく普通の日々を何も考えず過ごしているだけだと。
これから結婚して、
家庭と仕事を両立して、
子供が出来たら一生懸命に子育てもして・・
家族を大切にしながら自分を生きる人生を歩めば、誇れる自分になれるのだろう。だけど、今の自分は智に釣り合うのだろうかと思ってしまう。
私は関西で生まれ育って、しっかりと根を張って生きてきた。
結婚して横浜へ行くということは一度しっかり張った根を放棄して、新しい場所で一から根を張ることだ。
新しい土地にしっかりと根を張り、そこをこれからの自分の新しい居場所にする覚悟を決め、色々な事に折り合いを付けながら慣れていくまで、とても不安なのだ。
そして、関西を後にする前に私にはもっとやるべきことがあるのではなかろうか。
料理だって得意じゃないから、上達するまで練習する時間が必要だ。
・・◆◇・・
「3年後って、どうして?」
「いずれ横浜に帰るんでしょ。お父さんの会社継ぐために」
「もちろん、そのつもりだよ。もしかしてそれが理由?」
「ここを離れるのは嫌じゃないよ。横浜に住むことは楽しみ」
「じゃあ、3年先にしたい理由は?」
「今の仕事でもう少しキャリアを積みたいの」
智は少しびっくりしていたけれど、私が横浜に住むことを躊躇っているわけではないことを知りホッとした様子だった。
以前、映画デートをドタキャンされた恋人に、関西は離れるのは嫌だと振られてしまったと言っていた。智にとって、結婚する相手が一緒に横浜へ帰ってくれることは大切なことなのだろう。
「そっか。そうだね、僕も去年絶対合格だと思っていた試験に失敗した。結婚の準備を始めるのは合格してからにする。その代わり、僕からも一つお願いをしてもいいかな?」
「お願いって?」
「結婚をする日だけ決めたい。3年後の10月、春陽の誕生日はどうかな」
「誕生日が結婚記念日か。素敵」
「近いうちにお父さんに挨拶に行きたいんだけど」
「そうだね。まだ会ったことなかったよね」
智と駅で別れた後、式場を検索してみた。他の人はどんな式にしているのかも興味があった。
未来の予定を決めるって、ワクワクする。その日に向かって、少しずつ私も素敵な毎日を積み重ねていこう。
「ただいま」
いつものように帰宅しただけなのに、玄関のドアを開けたときに不思議な風感覚があった。まるで、母が出迎えてくれた昔の頃のなつかしい香りとともに、背中に手を当てられた時にような温かさを感じた。
・・◆◇・・
父には、智とはいずれ結婚することになると思うと、付き合い始めた頃から伝えていた。
あまり本気にはしていなかったようだが、プロポーズされたことを伝えると、開口一番こういわれた。
「なんだ、料理もろくにできないのに大丈夫か?」
「必要に迫られたら、ちゃんと出来ると思う」
「とりあえず、その、貴田君だっけ‥今度の日曜日、家に来てもらいなさい」
「うん。彼も早いうちに挨拶したいって」
「そっか。楽しみだな。貴田君、お酒は飲めるのかな」
「大丈夫。あまり強くないけど。ワインと日本酒が好きみたい」
「お、気が合うな。じゃ、両方用意するか」
「ありがとう」
そうそう、言い忘れていたけど、結婚するのは3年後なの・・
春陽がそう言ったとき、父は自分の部屋に戻った後だった。
なんだろう、照れ臭かったのかな。娘が結婚することに対して反対するわけでもなく、落ち込むわけでもない父の様子に、ちょっぴり寂しくもあった。
「おやすみ」
母の写真と、部屋に戻った父にそう言ったあと、春陽も自分の部屋に戻った。
・・◆◇・・
「はじめまして。貴田智と申します」
「春陽の父です。よく来てくれたね。さあどうぞ」
お互いに緊張している二人を和ませるために、まずは乾杯、乾杯と、鼻歌を歌いながらグラスを用意していると、父に軽く頭を軽く小突かれた。
智は少し口角を上げて自分はどうリアクションをすればいいのかわからないという表情で私たちを見ている。
父が用意してくれた軽食やおつまみを分担してテーブルに並べた後、私たちは並んで父と向き合うように座り、まずはワインで乾杯をした。グラスを先に置いた智が口を開く。
「お父さん、今日は・・」
「春陽から聞いているよ。娘が決めた相手だから私は何も言うことはないよ」
「はい。必ず幸せにします」
「さあ、今日は前祝いだ。楽しくやろう」
智が今日のために取り寄せたチーズを一口食べた父は、こんなにおいしいチーズは初めてだと嬉しそうに微笑む。父の作った料理を一口食べてそのおいしさに智は驚く。誰もお酒に強くないので、皆がゆっくりとしたペースでワインを味わいながら談笑をした。
挙式と入籍は3年後、春陽の誕生日に決めたこと。
指輪は二人で買いに行ったが、気に入ったものがなかったから用意できなかったこと。
出会ったきっかけや、お互いへの気持ち。
智は父親の会社を継ぐため、関西を離れて横浜に住むことになるということ。
会計士試験に挑戦していること。
父は、最初微笑みながら一つ一つのエピソードを丁寧に聞いてくれていたが、最後の方は少し涙ぐんでいるように見えた。
まだ少し先だけど、寂しくなるな・・とつぶやいた後、姿勢を正して智を真剣な目で見つめた。智と春陽も父に倣った。
「貴田君、春陽、幸せになれよ」
「はい」
同時に返事をした二人は、顔を見合わせて微笑んだ。その様子を見ていた父はうなずきながら微笑みを返してくれた。
・・◆◇・・
公認会計士の論文式の受験が終わった。
3度目の挑戦は、気持ちのゆとりを持って臨むことができたとはいえ、結果が届くまでは不安だ。これまでの自分を信じるしかないのだけれど。
運ばれてきたアイスカフェオレを手に、乾杯をする。やっぱり、ここのカフェラテはおいしいね、と二人で。
「試験お疲れ様だったね。手応えは、どう?」
「ああ、今度こそバッチリ」
合否がわかるのは11月の終わりで、それまではジタバタしてもしょうがないから。しばらく試験のことは忘れたいと、智は笑う。
春陽は、さて、何をして楽しもうか‥と考えていた。
「ねえ、急だけど来週末に、一泊旅行へ行かない?」
「あ・・そうだね。どうせなら有給休暇をとって平日にいくのはどうかな」
「うん、いいね。そうしよう。智は行きたいところある?」
「サファリパーク・・とか」
「え?意外だね。じゃあ、姫路にしようか。お城も見ようよ」
智が動物好きだったとは初めて知った。私があまり動物の話題を出さないので気を遣っていたのだろうか。これからも、小さな発見をしながら驚いたりして、もっともっと大好きになっていくのだろうか。
行き先を決め、遅い夏休みをとった二人は、子供のようにはしゃぎながら休日を満喫した。これまでのデートは映画や図書館など、静かに過ごす場所やカフェが多かったので、姫路の旅はとても新鮮で大切な思い出となった。
これからは、もっといろいろなところへ行こうよ。
そうだね。ホテルのカフェラウンジにも行ってみない? ちょっと大人体験。
動物園にも行こう。好きでしょ?
美術館巡りもやってみたい。
旅行をきっかけに、これからのデートのパターンを変えたいねと、智が言う。結婚をするまでの時間をもっと思い出で埋め尽くそう。それを聞いて春陽もうなずく。
春陽との結婚のことは、この間の試験が終わってすぐに報告をした。
両親からは試験に合格してもしなくても、結婚をするつもりならすぐにでも戻ってきたらどうか言われた。智は、二人で一緒に横浜に戻ることは決めているけど、早くても三年は関西を離れないと伝えた。
一方春陽は会社で新しいプロジェクトの立ち上げメンバーに選ばれた。今の仕事でキャリアを積むと決めてから、積極的に新しいことにチャレンジをしたくなり、メンバー募集があると聞いたときは一番に名乗りを上げた。
三年って、長いようであっという間かも。仕事もいい方向に行きそうだし、智との関係も結婚に向かって歩んでいるのだと思うと安心感もあった。
・・◇◆・・
あっという間に11月になった。会計士試験の結果発表が数日中にあるはずだ。このところ、休みの日以外に智とは会っていない。
週末一緒に過ごしているときも、最近は試験の話題をあえて避けている。とはいえ、一番に春陽に連絡をするよと言っていたから、その言葉を信じて連絡があるまで静かに待っていよう。
自信があると智は言っていたが、こちらから聞くのは怖いし。
また万が一ということもあるし・・・
春陽はスマホにメッセージが届いているか何度も確認していた。ここ数日は気になって仕事に集中ができない状態が続いている。
「まだかな。だめだったから連絡しにくいのかな」
いつもよりスマホを見る回数が多い春陽のことが気になり、宮田さんが声をかけてきた。
「若葉さん、何か気になることでもあるの?ご家族の具合がわるいとか」
「いえ、大丈夫です。ご心配かけてすみません。来るはずの連絡がなかなか来ないから気になって・・。すみません、仕事に集中します」
「いいよ。いつもよくやってくれているし。ブレイクタイムにしようか」
宮田さんは自分のコーヒーを淹れるついでだと言って春陽の分も用意してくれた。
「どうぞ。ところでプロジェクトも一山越えたね」
「はい。おかげさまで。皆さんにたくさんご協力いただいたおかげです」
「若葉さんも本当によく頑張ったよ。今日こそは定時に上がってね」
「ありがとうございます。集中して頑張ります」
ブレイクタイムを挟んだおかげで、気持ちの切り替えができた。宮田さんは上司だが偉そうにしないし、スタッフ全員のことをよく見てくれている。
あ、そうだ。今日は定時で上がれそうだから智と久しぶりに夕飯食べに行きたいな。春陽は早速、智へメッセージを送った。
すぐに、OKのスタンプが届いた。なんだ、ご飯の誘いにはすぐに反応するんだ。春陽は、意味もなく色違いのハートのスタンプを3つ返信した。
「さあ、今度こそ仕事に集中」
デスクの上に乱雑に置かれた書類をとりあえず片付けよう。クリアフォルダに突っ込んである書類をひとまとまりずつ取り出し中身を確認していく。明らかにこれ、いらんやつ・・っていうのが結構混ざっている。
仕事の後に楽しみがあると思えば、苦手な作業もはかどるわ。春陽は、時々独り言をつぶやきながら、片付けの後は入力作業を淡々と続けた。
・・◇◆・・
会社を出て、一階のエレベータホールに着くと、智が手を上げるのが見えた。
「少し待たせちゃったね。ごめん」
「いや、僕もさっき着いたところ。何を食べようか」
「今日は、ピザの気分かな。白ワインと生ハムも」
「いいね、そうしよう!」
並んで歩きかけたとき、智が急に向きを変えて春陽をハグした。
「ちょっとちょっとちょっと、どうしたの?」
「合格したよ」
「え?・・・・ホントに?!・・おめでとう!!
でも何で先にメッセージくれなかったの?」
「だってさ、直接言いたいじゃん」
少し離れて、今度は右手でハイタッチをする。そして左手も。
「今日はお祝いだね」
「合格祝いと、久々定時上がりのお祝い。さ、行こう」
先に歩き出した智に続いて春陽も歩き出す。今度は春陽が後ろから智をハグした。
「おめでとう。ホント良かった。おめでとう・・」
二人の間の、大きな気がかりがこれで一つ無くなった。明日からは二人の未来に向かって、新しい日常が始まる。
春陽は、今の会社でもっとキャリアを積むこと。
智は、実務補習で必要な単位を取ること。
「受かったら受かったで、またしばらくは大変だね」
「うん。まあ、これまでの仕事を引き続き頑張れば大丈夫だと思う」
今度は並んで、手をつないで歩き出す。
・・◆◇・・
合格を会社に報告した智は、正社員にならないかと上司から打診を受けた。
だが、いずれは父の会社を継ぐ予定なのでずっとここで勤務を続けられない可能性がある事を正直に伝えた。
「今決めなくていい。一週間後に答えを聞かせてほしい」
「承知いたしました。お時間をいただきありがとうございます」
春陽とのことを両親に伝えたときに言われた言葉を智は思い出していた。
合格してもしなくても横浜へ帰ってくれば・・・
いや、結婚するまではやはり、横浜には帰れない。そう答えた。
会社には婚約をしたことは伝えていない。入籍は三年後、横浜に帰るのはそれよりも後の予定だ。
とりあえず・・一週間ゆっくり考えよう。
春陽には、正社員転換の話をもらったことをメッセージで伝えた。
よかったね。
ごめん、気分が悪いので早退するから、今日は一緒に帰れない。
また、明日ねと返信があった。
大丈夫? 無理するなよ。
大丈夫‥のスタンプが返ってきた。
翌日、春陽はいつもより早く目覚めたがいつもと様子が違う。そっか、昨日ちょっと気分が悪かったんだ。智の合格祝いをした日、ちょっと飲みすぎたかな。
とはいっても、もう4日前のことだ。貧血なのかなあ・・めまいまでしてきた。なんだろうこれは・・。二日酔いでもないのに胃の調子も悪い。
熱を測ると、36.8度だった。平熱より少し高いが発熱しているほどではない。会社には遅刻すると連絡を入れた。
春陽は、冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出し、一口飲んでキャップを閉め、部屋に持って行く。しばらく部屋のベッドで横になっていると気分の悪さが少し軽くなった。
リビングで出かける支度をしていたら父が起きてきた。
「あれ春陽、会社行かなくてもいいのか?どうかした?」
「熱っぽくて・・あ、平熱より少し高いくらい。心配しないで」
「大丈夫か。病院に行った方がいいよ」
「うん。少し横になっていたら楽になった。午後からクリニックにに行く」
あいにく、その日、行きつけのクリニックの午後は休診だった。他のお医者さんにかかるのは気が引ける。今日はおとなしく一日横になって回復を待とう。
父が作ってくれたショウガ湯を飲み、再びベッドで横になった。
遅刻を欠勤に変更しますと会社に連絡をして、春陽は眠りについた。
