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どうして、この文章は誰にも届かないのだろうか

「書いて意味あるんかなー、この文章」


数え切れないほど、そう感じてきた。


「誰に向かって書いているの?」

文章を書く度、死ぬほど問われてきた。


「文章は、たった一人にラブレターを渡すように」

ラブレター渡したことないねん。そう思った。


でも、ただ発信するだけじゃビュー数は一桁を超えないし、多くても20とか30とか、喜ぶにしてはあまりにささやかな数字。


渾身の文章を書いても読まれない。
そんな文章を書き続けてきた。


読まれるように考えて書いたのか?

自分に問う。


考えに考えて、脳が擦り切れるほど考え抜いて発信した?



本当に?



こうやって「本当に?」と聞かれると、真っ直ぐ目を見て「はい」と答えられる人は少ない。


なぜなら、妥協しているからだ。

考えることを放棄しているからだ。


”届けよう”と本気で考えていないからだ。


「いやいや、何も考えずに発信してるわけないですやん」


そう思う人は、自分のnoteのタイトルを見返してほしい。
僕も大昔(4年前)のnoteのタイトルを見返してみる。

そう、今回着目するのはタイトル。


タイトルが9割。


ライティングを学び始めた初日に教えてもらった。

またまたー、9割は言い過ぎでっしゃろ。

そう思っていた。

が、本当にそうだった。


さて、何も考えず感覚でつけたタイトルを見返してみただろうか。


そして、冷静に観察する。
じーっと見てみる。
声に出して読んでみる。


膨大な情報の海にその言葉が漂流していて、偶然発見した僕たちはそれを見てどう思うだろう。

○○しました!
××へ行きました!
△△を体験しました♪
□□ということ


……夏休みの絵日記か?


読ませる気があるかないか、タイトルを見れば一発でわかる。


小学生の絵日記のタイトルじゃねーのよ。

ブログとかほんとに日記だったらいいけど、読ませようと思っているなら読者を舐めすぎだ。

誰がお前に興味あるねん。


ちなみに内容を短くまとめたメールの件名みたいなものをタイトルにする人もいるが、それも弱い。

見てみこれ。
埋もれるだろ。

自分事にならない文章は、これだけ魅力的な情報に溢れていたらそもそも興味の矛先が向かない。


かくいう僕は、まんまと今までずーっと感覚でタイトルをつけてきた。

過去記事はアーカイブせず全部残しているから、見てくれていい。

面白そうか?
まあ今でも修行中だからあんまり辛口で見られると困っちゃうけど。


全部、内容のまとめとか、伝わるはずのない意味深なフレーズとか、そんなのばっか。


でもよく考えたら、小説はタイトルが命。
電子書籍化している『小夏のブルペン』は物語が完結したのに、その後1ヶ月かけてタイトルを模索していたときもあった。(大学卒業直前)


このたった数文字に命を懸ける。
それぐらいの意気で決める。


noteは特に、届くか届かないかの明暗を分ける重要なポイントだ。


「感覚でタイトルを決めるな」


常に自分に言い聞かせている。


届けたいのは目の前にあるPCモニターではなく、その先の読んでくれる人。

人を想って仕事をするのだ。


読んでくれている人のことを想像するな。
同じ人間になれ。


机上のペルソナには一ミリも価値はない。


とはいっても、届けたい人はなんとなくイメージしていると思う。

どこまでイメージしている?

その人は、朝起きてまず何を思うだろうか?
何を考えながら出勤して、何を感じて昼休みに入り、午後も仕事を頑張るモチベーションは何なのだろうか。
やがて疲弊した身体で帰りの電車に乗り、最寄り駅のスーパーで惣菜を買って帰り、食べ、もう明日に備えなければと寝る準備をして、そんな一日を繰り返していることに本当はどう思っているだろうか。
でもこのループを抜け出すほどの何かきっかけがあるわけでもなく、満足と不満の狭間で今日も終えていき、休日を楽しみに待つ平日を過ごす。
寝る前にnoteやXやInstagramを見て、何か事業で結果を出している人のビジネスマンとしての有益な情報を取り、馬鹿をやってる誰か知らない若者のリールを見て、興味のある内容が波のように押し寄せてきて、3ヶ月で月収100万とか本当に自分に向いている仕事を見つけようとか、怪しいのか怪しくないのかわからない情報を浴び、まあ悪くないし明日も頑張ろうと感じながらネットサーフィンしている、そんな心地よいまどろみの中で、



僕の書いたタイトルに出会う。



たった数文字、心を込めてつけたタイトルの一文を見て、その人は一体何を思うだろう。

眠りに落ちる前に、このタイトルを選んでくれるだろうか。
まあ読んでみようかな、そう思ってくれるだろうか。


○○しました!
××へ行きました!
△△を体験しました♪
□□ということ

知らんがな。眠いねん。


そうやってスルーされる。

だから文章は届かないのだ。


きっとこの言葉は響くだろう。
自分もそう思うから、きっと他の人もそうだろう。
カッコいいフレーズを思いついたぜ。
簡潔でわかりやすいじゃん!

あんたの意見なんてどうだっていい。


アート作品だったら自我を貫き表現すればいいが、このネットの海の中、本当に必要な人に必要な文章を届けるには、タイトルに情熱を吹き込むしかない。


本当にその人を理解し、その人のことを想い、その人のためだけに届ける一文。


さしずめ、それをラブレターと表現するのであれば、皮肉にも非常に言い得て妙である。


僕はどうやら、まだまだ未熟ながらも、拙い文章ながらも、タイトルに情熱を注ぐ数だけラブレターを渡していたようだった。


文章は、誰かに届いて初めて意味を持つ。
誰かに届いて初めて価値を帯びる。


誰かって、誰?


頭に思い浮かんでいる、大切なその人は一体誰だろうか。

どんな一日を過ごしているだろうか。


僕たち物書きは、文章に触れた人をどうしたいのだろうか。


創ったものは、書いた文章は、大事な想いは、人に届けたい。

みんなそうだよね。


だったら考えよう。

人の想いは深い。
人の心は尊い。


あなただって同じ人なのだ。

きっとわかるはず。


たくさん考え抜いて、たくさん悩んで、たくさん言葉を紡ぎ、そして。


その文章は然るべき人の元へ届く。

情報の大海原の中で、一際輝いている、そんなタイトルをつけよう。


本文はそれからだ。

タイトルが、9割なのだから。




9割以外の書き方はこちら。
セルフブランディングしたい人はまあまあ役に立つと思います。

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