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神威 --KAMUI--序章

あらすじ

 ”まだ、思い出せないのですか?
それとも忘れてしまったの?”
 
一人の男が気紛れに訪れた北の海。
荒波と強い風が、彼の裡からあるはずのない記憶を呼び覚ましていく。
時は遡り、そして今へと繋がっていく。
筆者が生まれ育った北海道、忘れられた歴史を辿り、
小さな、しかし忘れてはいけない歴史が
物語となって現れていく。



神威 --KAMUI-- Prologue ~ 疾走への序曲


北の海へと迫り出す様に、あるいは突き抜ける様に、
岬とその眼下の岩は反り立っている。
強風に煽られ、よろけそうになるのを堪えながら、
目を足下から水平線へと向ける。
空と海との境目は、球体の一部を切り取った様な形で弧を描いている。
海が空を抱き留めるのか、空が海に溶け合おうとしているのか。
その切れ目ははっきりとは分からない。
ただ、コバルトの蒼だけがそこにある。
辛うじて身を支える足下には、小さな黄色い花が咲いている。
一輪なら気付かないだろう程に小さな花弁は、
岩肌を黄色に染めて群生していた。

傍らでは無邪気な子供の声がする。
写真を撮り合うカップルの笑い声が響く。
日常の声。それをも又、風が奪い去ってゆく…。

「エゾカンゾウは、忘れ草とも呼ばれるのだそうですね」

いつの間にか傍らに立っていた女(ひと)が語りかけてくる。
何故そこにいるのだ、何処からやってきたのだ……。
当たり前に問うだろうその言葉は、
そのときの俺の口からは出てこなかった。

「この花だけは変わらない。いつもここにいる。
小さくて可憐な様でいて、この強い風に負けず、
もぎ取られもせずに咲いているのだから、
本当はしたたかな程に強いのでしょうね」

初めて聴くはずの声。
その声に感じる不思議な懐かしさに捕らわれ、
俺は言葉を失ったままで突っ立っていた。

「…そう、あの時と同じ姿で咲いている」
 
「あの時?」
 
「忘れてしまったのですか。まだ、思い出せないの?」

思い出す?何を思い出せというのだ。
俺は単なる旅行者で、気まぐれにここに来ただけだというのに。

疑問は風にかき消された。
神威岬に吹く風は、海から岬へと吹き上げてくる。
まるで来る者を拒むかのように。
耳元で一瞬、笛が鳴った。……いや、あれは虎落笛だ。
空を切って風が鳴る。夏なのに、冬を呼び込むようだ。

* * *

突然、眼前に濃紺の水が拡がった。
体を強かに水面へと叩き付けられ、
一瞬、自分の居る場所を見失いそうになる。

「何をする!」

レンカだ。背後には火の海が立ち上っている。
コタン(集落)のチセ(家)が焼け落ちてゆく。
火矢が家々の屋根に射かけられているのだ。その数は幾百とも知れぬ。
村の端に築いたチャシ(砦)のほど近くに敵兵は本陣を構えたらしい。
こちらの砦が破られるのも時間の問題だろう。
侍たちの騎馬隊が押し寄せるまで、あと幾ばくもない。

「早く逃げろっ!そこで何をしているのだ!」

「あんたこそ、どうしてそこに居るの?まだ」

「……。」

「突き落とすなんて、荒っぽい事して悪かった。
でも岸からの方が早く逃げられる。
ここから一刻も行った先に小舟がある。
あんたの家来サンとらに話しておいたから、 先に行ってる筈だ。
コタンのオトナ(村長)が渡りを付けてくれた。
しばらくは、奴らはあそこには来れないよ。
さ、早く行くんだ、ツネさん!」

「お前はどうする?……俺と一緒には来ないのか?」

北の鷹の様に鋭い光を放つレンカの目が、一瞬、曇りの海の色に陰った。
そして、右腕がゆっくりと弧を描いて彼方を指し示す。

「 あんたの行く先は、あそこ」

白い指の先には、蒼い水面が拡がるばかりだ。

「あたしは……。このモシリ(大地)で生きる。
モシリが無くなったら、あたしはあたしで無くなる」

ヒュン、と音を立てて、火矢がレンカの足下に突き刺さった。
遠くから鬨の声が聞こえる。土が揺すぶられる。
蹄の音が重なり合って大地の底に響いた。

「俺に見捨てろと言うのか、此処を。
俺が余所者だからか。あいつ等の国の者だからか。
だから、共に居られぬと言うのか…?」

赤い唇がゆっくりと開く。いつになく静かな口調で。

「聞いて、お願いだから。
 …ツネさんも エカシ(長老)のカムイユカラ(神話)を
聞いたでしょう、あたしと一緒に。」

フクロウの神様は見ているの。
遙か流れの向こうから、今のモシリの全てを。
神様が生まれたばかりの時と、今とは、人は逆さまになっているんだよ。
生きる姿が。
全てを手に入れたと喜んでいた人も、
流れを下れば、大切なものを無くして何処かで泣いている。
昔、何も持っていないと自分を嘆いていた人も、
時を下れば、本当の喜びに出逢っている。
 
……ツネさん。逢えるよ、必ずまた。
あんたは、あの荒ぶる潮の河を下ってあたし達の所に来た。
けれど、それは此処で終わりじゃない。
大地が待っているよ。あんたが翔る、人間の大地が。
そして、その役目が終わったら、流れを下ってまた巡り会える。
人は大地で生まれて、神様の地に還る。そして、また生まれるんだ。
人間の地に。
今度は、和人(わじん)もエゾも無い世界に。そうしたら、必ず……。

* * *    

「エゾカンゾウは、散ることなく花を閉じてゆくのですね、静かに……」

女の声が、俺の意識を引き戻した。
相変わらず風は荒れ狂い、黄色い花は強風に揺すぶられながらも、
大地にしっかりと根を張って咲いている。
静かな声を俺の胸うちに響かせて、長い髪の背中が遠ざかってゆく。

……名を訊いておけばよかっただろうか。
いや、いいだろう。今は、ただ……。

  カミノコエヲ、ワスレルナ。

音無き声が聴こえる。虎落の強さに打たれ続けて、痺れた耳の幻聴なのか。
確かなのは、言葉にならぬ思いが胸うちに泡立っているという事だけだ。

風は止む気配を見せず、蒼の海に潮を波立たせていた。



 全章の索引・目次として:

序章:この頁
第一章 神威--KAMUI-- 第一章|春永睦月 (note.com)
第二章 神威-Kamui-第二章|春永睦月 (note.com)
第三章 神威 --KAMUI-- 第三章|春永睦月 (note.com)
第四章 神威 --KAMUI-- 第四章|春永睦月 (note.com)
エピローグ 『神威』-Kamui- エピローグ|春永睦月 (note.com)
補記 神威・補記|春永睦月 (note.com) 


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