恋愛小説【第17話】あの日、何も持ってなかったけど(揺れる温度)
【第4章】見据えるもの
あの日、届かなかった想いを、
僕はまだ胸の奥で握りしめている。
手を伸ばしても届かないなら、
今度は、自分の足で近づけばいい。
悔しさも、焦りも、
いつかは誰かを支える力になると信じて。
失った痛みの向こうに、
新しい光が、確かに見えていた。
📖前回のお話(第16話)
中学時代、陽翔は噂に傷つき、
「最低なやつ」と誤解されたまま卒業した。
その痛みは今も続き、誰も特別にしないことで自分を守ってきた。
けれど菜桜のことだけは、好きになってしまったからこそ、
“これ以上特別にしたくなくて”距離を置いてしまっている。
そんな揺れる心のまま、一生の言う“コーチ探し”が陽翔を少しだけ前へ動かしていく。
🧑🤝🧑登場人物紹介
🧁 長谷川 菜桜(なお):パティシエ志望の高校2年生。お菓子作りが得意。夢はフランスに行くこと。
🏐西岡 陽翔(ひろと):バレー部。恋に不器用で、ちょっと奥手。友達は多く社交的。
🎭佐々木 一生(いっせい):陽翔の親友。ふざけてるけど、いいヤツ。
🎧松田 彰(あきら):陽翔&一生とつるむ落ち着き系ツッコミ担当。ニヤニヤしながら恋を見守る茶々入れ役。
🎀 上原 綾佳(あやか):菜桜の親友。ズバズバ言うけど、実は繊細。
【第17話】揺れる温度
🕊️軽やかな背中
教室に戻ると、一生は綾佳を探していた。
綾佳は、陽翔の席に座り、菜桜とお弁当をつついている。
「あぁごめん、西岡。座る?」
陽翔たちに気づいた綾佳が、軽く顎を上げて言う。
「いや、いいよ。」
陽翔は、菜桜の顔を直視できず、わずかに視線を泳がせて答えた。
「綾佳、お前、今、兄貴と連絡取れる?」
一生が切り出した。
「え?お昼だし、多分大丈夫だと思うけど…どした?」
「俺らのコーチとかやってくんねーかな?」
「え?コーチ?バレーの?」
「他になにがあるんだよ?」
「賢くなるためのコーチとか?」
綾佳がくすくす笑いながらスマホを取り出し、耳に当てる。
「あ、お兄ぃ?今平気〜?」
綾佳の声から、兄妹の仲の良さが伝わってくる。
「あのね、一生がコーチしてほしいんだって。
え?違う違う。バレーの。」
綾佳の明るい笑い声が、ふっとこぼれた。
「なぁ、今絶対、兄貴も綾佳と同じボケしたよな?」
一生が横目で陽翔に囁く。
陽翔も思わず、綾佳の会話に小さく笑った。
綾佳がスマホを一生へ渡し、一生が説明し終えると、陽翔に代わった。
「綾佳のお兄さん、バレーやってるの?」
綾佳が再び箸を手に取ると、菜桜がそっと聞いた。
「うん、まぁ。ちびっこバレー教室をね。」
「そうなんだ、知らなかった。凄いね。」
菜桜が柔らかく微笑む。
綾佳は目を少し見開いた。
「え?どこが?選手になれなくて、始めたんだよ?」
その言葉に、菜桜は少しだけ眉尻を下げた。
「そう?凄いよ。自分がなれなかったとしても、バレーの楽しさを子どもたちに伝えたいと思ったんでしょう?それを実現してるのは、凄いよ。」
箸でお弁当のおかずをつまみながら、ニコニコと当たり前のように言う。
「…菜桜って……本当にいい子。大好き!」
「えぇ?急に何?」
ふたりは楽しそうに笑い合う。
陽翔はその表情に視線を奪われそうになり、そっと背を向けて話を続けた。
「はい、はい。じゃあよろしくお願いします。」
電話を切った陽翔は、袖で画面を軽く拭き、綾佳へスマホを返した。
「来てくれるって?」
一生が期待を込めた声で聞く。
「あぁ。まだ決定じゃないけど、一度見せて欲しいって。
俺、先生に許可取ってくるよ。上原、ありがとな。」
陽翔はほとんど勢いのまま教官室へ駆け出した。
「おい、ヒロ!お前飯食ってねーだろ!昼休み終わっぞ!」
一生の声に軽く手をあげて、陽翔は教室を出ていく。
その背中は久しぶりに軽くて、眩しいくらいだった。
「西岡くん、楽しそうだったね。」
菜桜が呟くと、「あぁ。」と一生と彰のほっとしたような声が揃った。
その様子がおかしくて、菜桜と綾佳は顔を見合わせ、思わず吹き出した。
🚶♂️遠ざかる背中
午後の始業前ギリギリに、陽翔は教室に戻ってきた。
(やべ…昼飯、食い損ねた……
数学かぁ…静かなんだよなぁ。腹鳴りそう…)
少し疲れた様子で、陽翔は着席した。
「西岡くん」
後ろから名前を呼ばれて、陽翔はハッとして振り返った。
そこにあったのは、小さく包まれたアルミホイル。

「お昼、食べてないんでしょ? もしよかったら……これ、食べる?」
中から顔を出したのは、チョコのパウンドケーキ。
菜桜が、小さな期待を隠すように笑う。
「…え?いいの?」
「もちろん。残り物でごめんね?」
そう言った菜桜の指先が、かすかに震えていた。
陽翔は、その小さな揺れに胸が詰まり、返事がすぐに出てこなかった。
「…ありがとう」
受け取った瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「どういたしまして。…急ぎすぎて、喉、詰まらせないでね。」
ふわっと笑う菜桜。
その柔らかさに、陽翔の胸がまたぎゅっと締めつけられた。
(可愛い……)
1切れだけ急いで食べ、残りはそっとしまった。
“あとで、ちゃんと味わって食べたい” と思ったから。
「おかげで授業乗り切れたよ。」
陽翔が言うと、菜桜は安心したように頬を緩めた。
「そ? ならよかった。」
そのまなざしに吸い込まれそうになって、陽翔は視線を急いでそらした。
「うまかった。マジで。腹持ちもいいし。
試験前とかに良さそうだな。……ほんと、サンキューな。」
言い終わるや否や、陽翔は立ち上がった。
「じゃ、行くわ。」
短く言い残し、逃げるように席を離れる。
「………」
菜桜は、返事をする間もなくその背中を見送った。
(……前は、もっと気軽に話せてたのに。
最近は、少しためらう……気のせい?それとも…)
(……やっぱり…避けられてるのかな。)
俯きかけた菜桜の表情に宿った寂しさを、
綾佳だけは見逃さなかった。
🫧静かに揺れた視線
「なーおっ!行こっ?」
満面の笑顔で綾佳が声をかける。
今日の最後の授業は、移動教室だった。
菜桜は荷物をまとめて、綾佳と廊下を歩く。
「菜桜、あのパウンドケーキさ。
西岡のために持ってきてたんだよね?」
突然の指摘に、菜桜は思わず足を止めて並んでいた綾佳の顔をみた。
「…わかる?」
「うん、私には、だけどね。
お昼に貰った時に余りなんてなかったし。
ラッピングしてないのも、わざとでしょ?
私のは、可愛かったじゃん?」
それを言われ、菜桜は小さく俯いた。
「…うん。そのほうが、受け取ってくれると思って。」
その声音は、ためらいと、隠しきれない想いがにじんでいた。
「ほんっとに可愛い子。」
綾佳はたまらず、菜桜をぎゅっと抱きしめた。
「え、ちょっと何?」
突然の抱擁に菜桜は戸惑いながらも、綾佳の腕を押し返す力は弱かった。
「何でもないよ。」
髪を整えるように優しく撫でられ、
菜桜は理由はわからないまま、その温もりに少しだけ救われた気がした。
次の授業は、プログラミングだった。
出席番号で割り当てられた席は、陽翔の隣。
今まではどこか嬉しさのようなものがあったのに、
最近の菜桜にとって、この時間は胸の奥が少しだけ苦くなる。
(…どうしよう。声、かけていいのかな…)
授業が始まり、各自で与えられた課題を進めていく。
(…えっと、これで…実行して…)
「あれ…なんで……」
コードがエラーで止まり、思わず声が漏れた。
眉間に自然と皺が寄る。
(……困ってる、な)
陽翔は気づかないふりをして、もう一度画面を見た。
けれど、手元のキーボードに置いた指は動かなかった。
ほんのわずかに息を止める。
そのまま、視線だけをそっと落とす。
ゆっくりと深呼吸しようとして、
結局、浅い息しか吸えない。
もう一度だけ、横目で菜桜を見る。
眉を寄せて、画面と向き合っている。
胸の奥が、ちくんと痛む。
(……ほんと、そういう顔……ずるいよ)
胸の奥で、小さく何かが揺れる。
「……大丈夫?」
抑えた声が、思わずこぼれていた。
左隣から落ちてきた陽翔の声に、
菜桜の胸は、小さく跳ねた。
「えっ!?…あ、エラーなんだけど、どこが違うのかわからなくて…」
「見てもいい?」
「うん…」
陽翔が体を寄せて画面を覗き込む。
その右腕が触れそうになり、菜桜は気づかれないように少しだけ身を引いた。
「ここ。括弧がひとつ多かったんだよ。」
指先が画面を示す。
その何気ない仕草さえ、心臓がまた勝手に音を立てる。
「…そうなの…?言われても、よくわからないけど…」
菜桜のきょとんとした声に、陽翔はふっと笑い、余分な括弧を消してエンターを押す。
「え、すごい…!」
思わず漏れた感嘆に、陽翔は控えめに肩をすくめた。
「ここまでできた長谷川も凄いよ。」
その横顔を見た瞬間、
キラキラした瞳と、真剣に画面を見つめる表情に、
陽翔はまた心を掴まれる。
「西岡くん、ITとか得意だよね。そっち方面進まないの?」
画面を見つめていた表情のまま、菜桜が陽翔の方へ顔を向けた。
思っていたより近くて、お互い息を飲む。
陽翔の心臓が跳ね上がり、菜桜も慌てて正面へ向き直った。
「あ…考えたこと、なかった…得意とか思ってなかったし。」
「そう、なんだ。
得意かどうかって……人と比べないと…わからないよね。
私、ITはよくわからないけど……
さっきも、ちょっと見ただけで原因すぐに見つけちゃったでしょ?
そういうの……向いてるって、思ったよ……」
その声はわずかに震えていたけれど、優しくて、真っ直ぐで。
陽翔は一瞬だけ固まり、そして小さく笑った。
「ありがとう…考えて、みるよ。」
「うん…」
その後は言葉が続かず、
ふたりは気まずさを紛らわせるように、それぞれ画面へ向き直った。
チャイムが鳴った瞬間、陽翔は勢いよく席を立つ。
(………なんで…)
跳ねていた胸に、急に冷たい風が吹き込む。
理由のない痛みだけが残った。

「なーお!」
綾佳が声をかける。 菜桜はいつものように笑顔を返したが、 その目の奥の揺れを、綾佳だけは確かに捉えていた。
その揺れが苦しくて、
綾佳は陽翔に何か言いたい気持ちを、必死に飲み込んだ。
見送った背中の向こうで、
陽翔もまた、言葉にできない何かを抱えていた。
