舞台『エリザベート』聖地巡りの中欧旅 2日目③(ウィーン観光)
⛪️13:00 カプツィーナ霊廟(納骨堂)
12:30頃に家具博物館を出て、来るときに通った大通りに戻り、Zieglergasse駅から地下鉄U3番 Simmering行きに乗って6分くらいで、東側の観光の中心地Stephansplatz駅に着きます。

これは、シュテファン大聖堂。夜10時まで入れるので、あとで行きます。

街のシンボル的な教会で、とても大きいうえに装飾が繊細!
初めてウィーンの中心にやってきたのですが、本当に街全体がきれいです。西駅側も十分きれいで治安がいいのですが……日本で例えるなら西駅側が新宿で、観光地側が丸の内って感じです。

おしゃれです。

路面店はお土産屋さんや、おしゃれカフェ、ブランドショップがメイン。
これから行く
✅カプツィーナ霊廟 10:00~18:00
✅ホーフブルク王宮(シシィ博物館)9:00~17:30
✅美術史美術館 10:00~18:00(最終入館17:30)
✅アウグスティーナ教会 10:00~17:00
✅オーストリア国立図書館 10:00~18:00
あたりは、すべてこの中心地にあり、徒歩5~10分くらいで回れちゃいます。
(なお、開館時間は季節や曜日によっても変わります。ご注意ください)
そんなわけで、googleマップを頼りに(本当は徒歩6分なのですが、途中でお土産屋さんを覗いたりして)10分ほど歩いていたら着きました。
入口は派手ではなく、普通の建物のような感じです。「KAPUZINER」の看板が出ていたのでわかりました!

ここは、カプツィーナ教会の地下にある、ハプスブルク家の棺が納められている墓所です。
150人の棺が納められていて、エリザベート、フランツ、ルドルフのご遺体も、ここに眠ります。
本物の墓所なのですが、チケット(13€)を買って入ることができ、写真も撮れます(もちろん、騒いだりしてはダメ)。
人も結構いて、みんな普通に記念撮影とかしているのですが、気分的には写真撮りにくくて少なめです。
入口から、階段を下りて棺の安置されている地下に向かいます。ロミジュリの霊廟に降りていくシーンのようです。

とても美しく、天井のドームから光が差しこんで神秘的です。

これは裏から見たところ。

向かって左手にエリザベートの棺、右手にルドルフの棺があります。
家族3人の棺が一つの部屋に並んでいます。

お花や写真、イラスト、手紙などがお供えされています。

3人とも、とても愛されてるのがわかって感動しました。
ほかにも、お花や手紙の供えられているお墓がたくさんありました。
なお、ルドルフの恋人マリーはここにはいません。
マイヤーリンクにて棺を見ることができます(急ぎ&秘密裏の埋葬だったため、最初は木の棺だったそうです。マリーの母親が、次の年に銅の棺に取り換えたとのこと)。
出口を出て、地上のカプツィーナ教会にも入ります。
入場無料の小さな教会で、亡くなったルドルフが運びこまれた場所。心中で亡くなったために本来はできませんが、皇太子なので「精神錯乱」で亡くなったことになり葬儀が行われたそう。
小さな教会&お祈りしている方がいたので写真は撮りませんでした。
🌭13:20 街をプラプラ
ここからシシィ博物館に向かいます。
歩いて7分ですが、天気が回復してきたので街をお散歩します。

後ろにモーツァルトとエリザベートもいます。
この二人は街中のいろんなところにいます。


奥に見えるウサギは、有名なソーセージ屋さんです。

昼間は行列ができていたので食べるのは断念。

ソーセージもパンも感動的に美味しすぎました。
肉そのもの、パンそのものの味が初めて食べる美味しさです。オススメ。
ちなみに、こういう屋台系もカード使えます。

ここは明日行きます。




建物内には入りませんでしたが、外から馬が見えます。
🏰13:30 シシィ博物館(ホーフブルク王宮)
さてさて、歩いていたらやってきました!
ホーフブルク王宮です💃



「王宮」自体は、さっきのアルベルティーナやスペイン乗馬学校、アウグスティーナ教会、国立図書館すべてを含めた広いエリアを指すようです。行政の中心で、皇帝一家が冬を過ごしたところです。
その中の旧王宮がこの建物で、中にシシィ博物館と皇帝の間(シシィ博物館から繋がってる)、銀食器博物館(2026年まで休業中)が入ってます。
中央の門を入った、ドームの右手側のところに入口があります。

料金はシシィチケットに含まれているので、バーコードを見せてそのまま入ります。日本語の音声ガイドもあるので、もらうのを忘れずに。
最初、撮影OKなのかわからず、あまり撮っていませんでした。
(途中でOKだとわかりました。フラッシュはNG)
ただし、館内は暗めのエリアが多く写真が撮りにくいです。
(※以下、あくまで個人が記憶で書いてる旅行メモです)
まず、エリザベートのデスマスクや葬儀の際のお花を飾ったリボンなどが展示されていました。
そして、彼女の生前の様子を伝える新聞記事や、亡くなった際の新聞記事たちです。
エリザベートは、(ルドルフの死の際に一定の同情は得つつも)生前は奔放すぎる皇后としてウィーン内では批判されてきたようです。フランツが勤勉で民のために尽くす理想の皇帝だったのに対し、エリザベートは旅を続けてウィーンに帰ってもこない。
ところが、彼女の悲劇的で劇的な死をきっかけに、一気に世論は反転したようです。
フランツの深い悲しみと、暗殺された絶世の美女のストーリーが人々の共感をよび、銅像や記念碑が各地に建てら始めます(なおウィーン国民庭園にあるエリザベート像は、宮廷の発案ではなく、国民からの要望で建てられたとのこと)。
銅像は、宗教画チックのものや王冠を被った凛とした立ち姿など、人々のイメージが反映されています。
「いろいろなイメージで語られるエリザベートが、本当はどんな人物だったのか?」という問いかけで、彼女の生涯を幼少期から辿る展示が始まります。
1837年12月24日にミュンヘンに生まれたシシィ。
弟と仲がよかったらしく、弟と一緒に遊んでいる絵などがありました。また、小さいころに来ていたワンピース(レプリカか本物か覚えてない)も展示されていた気がします。
のどかな景色の中で、のびのびと育った様子が伺えました。
そして1853年、姉ヘレネとフランツのお見合いに同行する形で、バート・イシュルへ行きます。
そこで、フランツはなぜかシシィのほうに一目惚れしてしまい、結婚が決まります。
フランツが23歳、シシィがわずか15歳のときでした。
当時、ハプスブルク家は母の決めたお見合い相手と結婚するのが仕来たりだったようで、皇帝自らが結婚相手を決めるのは異例だったようです。特にフランツは、母ゾフィーの意見やハプスブルク家の仕来たりに従順で、彼が生涯で唯一わがままを言ったのがこのときだったようです。
フランツからシシィへの直筆の手紙なども展示されていました。
フランツは、シシィのことを「まるでもぎたてのアーモンドのよう」と言ったらしいですが、もぎたてのアーモンドってあんまイメージつかないですね。

たしか、婚礼が決まったころのまだ若い二人の肖像です。

本物は、見せられる保存状態ではないらしい。

最初はフランツとの結婚を無邪気に喜んでいたシシィですが、ウィーンに着いてから一変します。
皇后としての最初の式典で、ミュンヘンとのあまりの違い(人の多さや視線など)に消耗し、突然泣き出し、広間を去ったそうです。
そこからも辛い宮廷生活に耐え兼ね、体調を大きく崩します。
ドレスの後ろに、当時のシシィが綴った詩が展示されています。
「自由こそが私の母で絶対に手放してはいけなかったのに、カッコウのような母は私を異国の巣に産み落とした。これが不幸の始まりです。」的な意味。
ちなみに、姑ゾフィーとの確執は最初はそこまでなかったようです。ゾフィーもシシィとフランツの結婚は歓迎していたとのこと。ただ、宮廷生活の中で徐々に溝が生まれていったようです。


すべてスワロフスキーのレプリカだった気がします。
シシィスターの本物はダイヤモンドでできていました。
そこから、ポルトガルのマディラ島で療養します。
ウィーンから離れた療養で驚くほど回復し、彼女本来の自信を取り戻していきます。ウィーンに戻ったシシィは、まったくの別人のようだったそうです。
そして1687年、フランツとともにハンガリーを訪れます。

パールとリボンが可愛すぎますよね。
後ろに肖像も飾ってありました(反射で写ってます)

政治にはほとんど関心を示さなかったシシィですが、唯一口を出したのが「ハンガリー解放」でした。
誇り高くて活発なハンガリー人が大好きだったシシィは、ウィーンよりもハンガリーを愛し、フランツが彼女のためにブダペスト郊外に建てたグドゥルー宮殿で多く過ごしました。ハンガリー語を勉強し、側近もハンガリー人で固めていたそうです。
エリザベートの尽力もあり、フランツは王朝内でのハンガリー独立を認め、「オーストリア=ハンガリー帝国」が成立します。

ここから、彼女の生活や美容についての資料がたくさん展示されていました。暗くて写しにくかったのであまり写真は撮っていません。
音声ガイドの解説がとても長く充実していました。
いくつか箇条書きにします。
シシィの美貌の逸話。エリザベートを訪問したどこかの国の王が、宮廷でのマナーを忘れ「なんて美女だ!」と叫んだ。
一日の大半を美容に費やしたのは本当。ただし、伝わっている美容法は眉唾なものもある。確からしいのは、薔薇のクリーム(お土産でも薔薇のリップクリームなど売っている)、コニャックと卵のシャンプー。
牛の生肉を絞ったパックなども伝えられているが、確か真偽不明と言っていた気がする?
172cm、50kg以下の体重、ウエスト50cmを保っていたが、食事が「卵1個にオレンジ3つ」は特定の日のみ。断食の日や流動食のみの日もあったが、毎日ではない。
むしろお菓子が好きで、お気に入りのスイーツ店からたくさん取り寄せていた領収書がある。朝食にクリームたっぷりのコーヒー、スープ、フルーツ、お肉料理、卵、蜂蜜、菓子パン2つなどたくさん食べていた記録もある。
歯は気にしていて、歯科医師を旅行先にも呼び寄せて定期的に検診していた。
体系維持は、運動によるものが大きい。乗馬がプロ級で、当時の大会(?)でトップになっている。スカートをはいた状態の横乗り(?)の体勢でこの成績はものすごいらしい。
ただ、当時の乗馬選手もやらないような危険な技に挑戦する傾向があり、自暴自棄になっているのではと心配する雰囲気もあった。
ほかにスイミングやフェンシングなども上手で、とにかく運動神経抜群だったよう。

ルドルフが亡くなってからは、喪服を身に着け、人前に出ることも減った。旅を続けたのですが、特に船旅が好きだったようです。
船のデッキのところに立ち、大海原に浮いているように感じるのが好きだったようで、雨の日でも船のデッキに出て「私を船首像のように船に縛りつけて」的なことを言っていたようです。
また「ウィーンから遠ざかれば遠ざかるほどいい」「かもめのようにどこまでも飛んでいけたら」などと言っていたそう。
そんなシシィのために、フランツはギリシャのコルフ島などいろいろなところに別荘を建てます。が、どこも永住の住処となることはありませんでした。
「旅がいいのは、次に行くところが見えないからだ。帰るところが決まっていたら、旅は面白くない」的なことも言っていたようで、結婚への後悔や、女性が軽率な結婚をすることへの戒めも語っていました。


右側にももう少しスペースがあります。広くて優雅です。
そして、ジュネーブのレマン湖付近を通った際に、無政府主義者のルイジ・ルキーニに暗殺されます。使われたのは、ナイフではなく、荒く削られた金属のやすりだそう。
そのとき、シシィはお気に入りのスイーツ店でスイーツを買い、船に向かう途中で、最初はぶつかっただけだと思い、刺されたことに気づかなかったらしいです。そのまま自分の足で船に乗り、船の上で倒れました。

シシィの死を知ったフランツは、「私がどれほど彼女を愛していたか、君にはわかるまい」と従者に呟いたそうです。
フランツの簡素な執務机に並んでいた写真や肖像の数々を思い出し、朝から晩まで執務に追われる中で、どんなに心が離れていてもシシィただ一人を思い続けていたのだな…としんどくなりました。
対して、シシィの従者の一人は、
「シシィは、彼女が最も恐れていた『ウィーンの病床での死』を迎えることなく、ただ一瞬のうちに痛みも感じずに死ぬことができた」などと語っていたようです。
この言葉から、トートの影を感じてしまいました。
悲劇的な死ではありますが、シシィにとっては理想的な死の形のひとつでもあったのかもしれません。あくまで感想ですが。
またまた長くなったので、
ホーフブルク王宮の続きは2日目④へ🏰
