おうちで「東海道五十三次」絵と絵の間の旅 #6 戸塚~藤沢
江戸時代の東海道を、日本橋から旅する想像旅の3日目。
2日目は神奈川~戸塚の15㎞程度しか進めず、広重の「戸塚」で描かれていた大橋のたもとから少し進んだ、戸塚宿の中心部にある旅籠に泊まりました。
旅籠に入ってから、ご飯も食べずに泥のように眠り、今朝は何とか、周りの旅人と同じように早朝に出発できました。
しかし今日も、体中が痛くて仕方ありません。
旅籠を出て少し進むと、富塚八幡宮が見えてきました。
富塚八幡宮は、1072年に源頼義・義家親子により建てられたと言われ、この「富塚」が「戸塚」という地名の起こりなんだとか。
現在、その境内には松尾芭蕉の「鎌倉を生きて出でけむ初松魚(はつがつお)」という句碑が残されています。
江戸の人は「初物」と言われる、その季節に初めて収穫された野菜や魚介類が、それはそれは好きだったことで知られていますが、江戸時代には鎌倉で獲れる鰹が一番いいと言われており、相模湾で捕獲された初鰹(初物の鰹)が、江戸へと運ばれていたのだそうです。
鎌倉と言えば鰹。
今ではそういうイメージは、なかなかありませんねぇ。
この鎌倉へは、大橋の手前から分岐する鎌倉道で行くことが出来ました。
東海道はここから右手に曲がり、全長2.3㎞と長めの宿場もまもなく終わります。
次の藤沢までは2里、約8㎞です。
戸塚を後にすると、まもなく「大坂」となります。
大坂もかつては2つの坂から成り立っており、一番坂が110mほど、大坂台を経て二番坂が54mほどの長さだったそうで、距離的にはそれほど長くないにもかかわらず、その間に50mほど上ったというので、かなりの急坂です。
現在は、頂上を削り、下の方には土を盛って、江戸時代よりもなだらかな坂になっています。
実は私、昨日戸塚宿で杖を購入しました。
周りの旅人を見ていたら、杖を持っている人が結構多かったんですよね。何しろこの先も坂が多いですから、杖が必要だと思って買い求めました。
で、杖もあるし、今日もジグザグ上りで何とか乗り切ろうと思ったのですが、なかなかうまくいきません。
道の端には近くに住む村人なのか、旅人を待ち構えている者もおり、旅人のお尻を押してあげる代わりに、駄賃をもらっています。
でも私は、ここは一人で頑張りたいなという一念で、必死に上りました。
そういえば、いつの間にか、街道の両側には松が並んでいます。

こちらは「行書東海道」と呼ばれる、保永堂とは別の版元から出された、広重の「東海道五十三次」の「戸塚」です。
坂の下に戸塚宿の家並みが見えます。
大坂では、松の間から富士山が見えるらしいのですが、今日は天気がイマイチなので富士山は見えず。残念。
大坂を上りきり、一息ついたかどうかで、再びの上り坂です。
この坂は「女コロビ坂」というのだとか。
そりゃ、あれだけの急坂の後で、また10mぐらい上るんですから、女性じゃなくても転びますって。
もう杖にもたれかかるように、へっぴり腰で、ちょっとずつ、ちょっとずつ進みます。
ようやく、この区間の最高到達点である吹上に到着しました。
もう足はガクガクです。
ここから、今度は一気に20mほどを下る「牡丹餅坂」が待ち構えています。
上りもきついですが、急な下りほど危ないものはありません。
これまたジグザクに下りましたが、途中で足がもつれて、転びそうになりました。
こうして2時間ほどをかけて、ようやく戸塚宿からの坂地獄から小休止できる、現在の国道1号の原宿交差点の辺りにある、原宿立場に到着しました。
この辺りは見事な松並木ですが、現在では国道1号の拡幅により、松並木はわずかにその面影がしのべる程度になっているだとか。
しかし、とにかく座りたい・・・。
あまりの疲れで、小1時間ほど、立場の茶屋にへたり込んでしまいました。
しかしこのままここにいるわけにもいきませんから、先を目指します。
少し進むと、戦国時代に出来た、ここから玉縄(現在の鎌倉市玉縄)、そして鎌倉へと進む道との分岐が見えてきました。
さらにこの辺りで、今まで松並木だった街道脇が杉並木に変わり、ここからの東海道は、現在の国道1号をなぞり、ほぼ西南の方向へ真っ直ぐに進みます。
しばらく進むと、いつしか街道脇がまた松並木に戻っていました。
この先、藤沢宿へと再び下っていく手前に、影取立場があります。
私は原宿立場で休んだので、ここは通過ですが、私とは逆に、藤沢から戸塚へ向かう旅人は、急坂を上り終えたこの立場で休んだのでしょう。
現在の国道1号と重なっていた東海道は、この辺りから再び国道1号と別れ、南に進んでいきます。
そして今度は、長い下り坂です。
現在は正月の箱根駅伝の名所の1つとなっている、長い遊行寺坂を下っていくと、右手に遊行寺(ゆぎょうじ)が見えてきました。
通称遊行寺こと、清浄光寺(しょうじょうこうじ)は、鎌倉末期に一遍上人によって開かれた時宗という宗派の総本山で、遊行上人第四代呑海というお坊さんによって、1325年に開かれたお寺です。
遊行上人が住んでいたことから、「遊行寺」と呼ばれるようになったのだとか。
藤沢はこの遊行寺の門前町として発展し、江戸時代には宿場となりました。
もう間もなく藤沢宿です。
つづく
