賑わいとのどかさの隣り合い|おうちで「東海道五十三次」旅 #5 保土ヶ谷
日本橋を出発して2日目。
芝生の追分から少し進むと、帷子川が見えてきました。
神奈川宿からわずか1里9町(約5km )、次の宿場である保土ヶ谷に到着です。
私は神奈川で1日目を終えましたが、この保土ヶ谷は、進みがゆっくりな女性や大名行列などが、江戸を出てからの1泊目とすることが多かった宿場です。
昔の人はみんな健脚ですね。

広重の「保土ヶ谷」には「新町橋」という副題が付けられていますが、新町橋とは帷子川にかかる帷子橋のことです。
画面手前が江戸方面で、新町橋(帷子橋)の向こう側に宿場の街並みが見えています。
江戸時代は、この帷子橋が宿場の事実上の入り口であり、また橋はその長さが27mという大きなものであったため、保土ヶ谷宿を代表する風景として、広重をはじめ、しばしば浮世絵の題材となっていました。
現在は帷子橋を渡ると相鉄天王町駅ですが、帷子川は昭和の改修で江戸時代とは流れが大きく変えられており、帷子橋も江戸時代からは場所が移っています。
かつての帷子橋は、天王町駅前の公園に位置しており、現在はミニチュアの橋が架けられています。
ところで画面右手が上流である、広重の描いた帷子川は、橋の左手で川幅が広がっているようにも見えます。
実は当時の帷子川は、この保土ヶ谷付近が、海へと繋がる河口だったのです。
1枚前の「神奈川」で描かれていた海は、神奈川宿の先で湾になっており、保土ヶ谷はこの湾の、かなり内陸に入り込んだ辺りに位置していました。
この為、神奈川宿から先の東海道が内陸を進んでいたにもかかわらず、保土ヶ谷は海に近かったのです。
重い体を引きずって、神奈川を何とか昼前に出発した私は、2時間ほどをかけて、ようやく帷子川までたどり着きました。
橋のたもとから左手を見てみると、その先には船がたくさん集まっています。
帷子川の河口には船着き場があり、神奈川湊に泊まる船からの荷をあげる場所の1つであったと共に、帷子川の流域から集められた薪や炭が、ここから船で江戸に運ばれたり、相模の国(現在の神奈川県)の小麦が、ここから現在の千葉県野田の醤油屋に原料として運ばれたりしていました。
保土ヶ谷も、神奈川のように陸運と水運(川、海)の中継として栄えていたのです。
ただし、江戸時代に帷子川の下流部の埋め立てが進んだため、江戸時代の末には、河口は保土ヶ谷の少し先になりました。

さて、帷子橋の上へと目をやると、深い編笠をかぶった男性と、駕籠を取り巻く一団が宿場の方へと橋を渡っています。
先頭を行く深い編笠の男性は「虚無僧」です。
虚無僧とは、普化宗という禅宗の一派の僧のことで、僧とは言っても髪を剃ってはいませんでした。
虚無僧は尺八を吹き、托鉢(物乞い)をして旅をしており、天蓋(てんがい)と呼ばれる深い編笠をかぶり、施しの米などを入れる箱を、首から下げているのが外見上の特徴でした。
虚無僧もまた街道では珍しくない旅人で、江戸時代にはあるじの元を去った、あるいは主を失った武士である「浪人」など、武士のみが虚無僧になることを許されていました。
また罪を犯した武士も、虚無僧になれば、刑をまぬがれ保護されたのだそうです。
こちらからは首から下げた箱や尺八は見えませんが、托鉢の際には藍色またはねずみ色の服を着ることとされている通り、この虚無僧もねずみ色の服を着ており、腰には替えの尺八と思われるものを差しています。
神奈川で見かけた六部とは異なり、虚無僧は時代劇等でも目にしたことがありましたが、深い編笠をしっかりと手で押さえ、顔の見えない虚無僧を実際に見かけると、何か顔を隠したい理由があるのでは、と疑いたくなってしまいます。
この虚無僧の後ろには駕籠の一団がいます。
二人の駕籠かきに担がれた駕籠の横には、羽織を着て、刀を腰に差した武士が付き添っています。さらに駕籠の後ろには、肩に担いだ棒の両側に、旅の間の着替えなどを入れた箱を付けている従者もいます。
六郷で川の対岸にいた、ちょっとだれた感じの漂う駕籠かきと比べれば、この駕籠周りの者たちはみな身なりがきっちりとしているので、この駕籠の中にはそれなりの身分の武家が乗っているのでしょう。
それでは私も橋を渡るとしましょう。
店が並ぶ対岸の人の多さに、この宿場のにぎわいを感じます。
対岸に、ちょうど橋へとさしかかろうとしている、笠をかぶった一団が見えます。江戸へと向かっている大名行列でしょうか。それとも何かほかの集団でしょうか。
ともかく橋を渡るのは、もう少し待った方がいいかもしれません。

ところで、宿場の家々の左奥には、田んぼが広がっています。
この田んぼの中ほどに目を凝らしてみると、農具を担いだ大人と子供の姿が見えます。
にぎやかな宿場をほんの少し離れれば、のどかな風景が広がる辺りに、江戸を随分と離れたことを実感します。
広重の「保土ヶ谷」では、田んぼにいくつか三角のものがあります。
これは「川崎」でも描かれていた、刈り取った稲の茎を乾かすために集めた「立ちわら」です。
この「立ちわら」が描かれていることから、この絵の季節も秋です。
また空の下の方が橙色になっていて、夕焼けを思わせますが、私の想像旅では今はまさに昼です。
ちなみに広重の「保土ヶ谷」では、宿場の家々の先に丸い形の山が描かれていますが、実際にはこのような山は存在していないようです。
橋の向こうのたもとには、「二八」の看板が見えます。
これは「二八そば」で知られるように、蕎麦屋の看板です。
店の前には客待ち女らしき二人も見えます。
保土ヶ谷の先には、この旅で最初の難所ともいうべき権太坂が控えていますので、橋の向こうの蕎麦屋でお昼を頂きつつ、休憩することにします。
つづく
