見出し画像

おうちで「東海道五十三次」絵と絵の間の旅 #5 保土ヶ谷~戸塚

日本橋を出発して2日目。
保土ヶ谷宿の、帷子橋を渡ったところにある蕎麦屋で、お昼にもりそばを頂きました。

宿場を進んでいくと、現在のJR保土ヶ谷駅西口、保土ヶ谷税務署付近に、東海道と、「金沢八景」まで続く金沢道との分岐があり、この辺りが宿場の中心でした。

現在は横浜市内の金沢は、鎌倉にほど近く、すでに鎌倉時代から景勝地として知られていましたが、8つの景勝地を中国の瀟湘(しょうしょう)八景という名所に見立て、「金沢八景」と呼ぶようになったのは、江戸時代になってからです。
 
「金沢八景」は江戸からも近い行楽地として人気で、広重も8枚の浮世絵シリーズとして描いています。

歌川広重筆 『瀬戸秋月』 国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/pid/1305451)

さて、保土ヶ谷から次の宿場、戸塚までは2里9町、9㎞弱ですが、保土ヶ谷宿の京都側の外れに、この旅最初の難所が待ち構えています。
 
正月の風物詩、箱根駅伝で各校のエースが集う、鶴見から戸塚までの「花の2区」の難所としておなじみなのが、約1.5㎞で33mほど上る「権太坂」です。
 
ただし保土ヶ谷辺りで、現在の国道1号と合流した東海道は、少し進むと再び国道1号と分かれるため、東海道の権太坂は、箱根駅伝で知られる現在の国道1号の権太坂とは別物です。
 
ちなみに、旅人が坂の名を尋ねたところ、耳の遠い老人が「権太と申します」と、自分の名を答えたのが、坂の名前の由来と言われています。
 
東海道の権太坂は50mほど上るので、国道1号の権太坂よりも高低差があります。
坂の下から半分ぐらいまでが急坂で、ここを一番坂といい、その先で傾斜が緩やかになると二番坂と呼ばれました。

確かに坂の下から見ると、かなりの急勾配です。
ここは勾配を緩めるべく、ジグザクに上っていくことにします。

ゆっくり、ゆっくり。うーん、きつい。
昨日の今日なので、体が鉛のように重い。

気づくと勾配が少し緩やかになってきました。二番坂に差しかかったようです。

もう少し、もう少し…。

30分ぐらいかけて、何とか坂の上にたどり着きました。

坂を上りきったところは、ちょうど武蔵の国と相模の国の国境であることから「境木」と呼ばれ、ここまでが保土ヶ谷宿の管轄だったと言われています。
 
境木は西に富士山、東に江戸湾が望める、見晴らしの良い高台です。
加えて保土ヶ谷~戸塚間には、権太坂のあとも坂が続くことから、旅人や、物品の運搬を行う人足が休憩できるように、「立場」が設けられていました。
 
こちらは境木立場を描いた、保永堂とは別の版元から出された、「狂歌入り」と呼ばれる広重の「東海道五十三次」の保土ヶ谷です。

一立齋廣重(歌川広重) 筆『東海道五拾三次』[1],喜鶴堂, 国立国会図書館デジタルコレクション (https://dl.ndl.go.jp/pid/2554562)

あぁ、疲れた。
私も境木立場の名物、牡丹餅(おはぎ)を頂いて休息することにします。
普段はそれほどおはぎが好きというわけではありませんが、疲れた体にあんこは沁みます。

それと、どちらを向いてもいい眺めなので、ここまで上ってきた甲斐があったというものです。

一服したら、立場のすぐ近くにある境木地蔵尊で、この先の旅の安全を祈ってから出発です。

今度は下り坂。
江戸から来ると下り坂になるこの坂が焼餅坂です。
 
そして再びの上り坂。
ここからの上り坂、そして次の下り坂を併せて品濃坂とも言いました。
 
この上りの途中で通過する、江戸から9番目の「品濃一里塚」は、現在神奈川県内で、ほぼ完全な形で残る唯一の一里塚です。

一旦下ってから、また上るのは堪えます。
唯一の救いは、坂を上ると再び富士山が見えてくることです。

富士山って、見るだけで不思議と元気が湧いてきます。

やっと坂を下りきった所に、提灯立場が見えてきました。
ここは通過することにしますが、これで保土ヶ谷を出てからの坂続きという、この旅最初の難関を突破しました。


この先しばらく東海道は、柏尾川に沿って、比較的平坦な道を進みます。

そして、再びの上り坂となる不動坂に差しかかかる手前で、大山道との分岐が見えてきました。

神奈川県伊勢原市・秦野市・厚木市の境にある、丹沢山地の大山(おおやま)は、富士山のような三角形の美しい姿で、古くから庶民の信仰の対象でした。
山頂には、巨大な岩石を御神体として祀った阿夫利神社があり、大山と阿夫利神社は雨乞いの神ともされています。
 
江戸時代になると、大山に参拝する「大山詣」に、江戸のみならず、広く関東一円から人々が出かけるようになり、各地から大山への道は「大山道」と呼ばれました。
 
途中まで東海道を使った大山へのルートの1つが、戸塚宿手前の不動坂から分岐し、柏尾から大山へと続く、この「柏尾通大山道」です。

江戸時代にはとても有名だったというのに、私はこの旅に出るまで、大山も阿夫利神社も聞いたことがありませんでした。

でも、周りを歩いていた旅人の中には、この不動坂の分岐から大山道に入る人が結構いたので、江戸時代にはかなりの人気だったようです。

ここから緩い上り坂を越えたら、間もなく戸塚宿です。

つづく

いいなと思ったら応援しよう!