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小説 能登姫の呪い《大和編》第1話 神に選ばれし姫

一人は光の中に、もう一人は闇の中に居た。


 大王(崇神すじん)の皇女・豊足姫とよたりひめは、その日も灯ひとつない暗い別殿の奥で横たわっていた。

 神を祀れなかった妹姫。
 病み、忌避され、宴の音から隔てられた存在。

 薄いかやむしろに身を縮めるようにして横になり、遠くから届く姉を讃える宴の音にそっと耳を澄ませていた。

 山々が黄金や紅に色づく晩秋のその日、大王の宮である瑞籬宮みずがきのみやでは、天照大神(あまてらすおおみかみ)をまつることを叶えた姉姫が、久しぶりにその知らせのため、帰っていた。

 父王が二人の皇女に命を下してから、二度目の秋だった。
 宮中は活気を湛えた明るい空気で満ちていた。

「ねえねえ!真菰まこも、私、姉姫様(豊鉏とよすき姫)のお顔を見ちゃった!」

 御厨みくりやの煮炊き場に駆け込んできた下働きの少女の興奮した声に、真菰は顔を上げた。

「あ!気をつけて...」

 頬に泥をつけた真菰の注意が届くか届かぬ内に、駆け込んできた少女の身体が、土間の上に盛大に転がった。

「いったあ...」

 強かに尻餅をついた少女の足元には、削られた大量の芋の皮が飛び散っていた。

狭苗さなえ、大丈夫?」

 真菰は手に持った薄い石刃を置き、尻餅をついた御厨《みくりや》仲間の手を引いて起き上がらせようとするのだが、その差し出した手がぬるりと滑り、また少女は尻餅をついた。

「もお〜!真菰、なんなのその手は!」

「ごめん。……剥いても剥いても終わらなくて、もう手を拭くやつもぬるぬるなのよ」

 真菰は申し訳なさそうに、上着の上から掛けた萎びたような灰色の前垂れで、その手を拭った。

 真菰の足元には、煮炊き場の土間の片側半分を占めるほどの、山盛りの里芋が乗った藤蔓ふじづるの籠や、仙人の杖のような山芋がゴロゴロと転がっていた。

 狭苗はなんとか自力で起き上がると、この煮炊き場の惨状に、眉を顰めた。

「ねえ、なんなのこの量は。…なんだって真菰が一人でこんなことやってるの?いくらでも一緒にやるのに……」

 この四年、苦楽を共にしてきた仲間の言葉に真菰は、目を逸らした。

「……あ、わかった」

 狭苗は、やれやれとでもいうようにため息を吐いた。

 「またやったんでしょう?」

 そう言いながら、困った顔をしている真菰の隣に、さっと座り込むと、神技のような手捌きで石刃を動かし始めた。

「…すご」

 狭苗はあっという間に一籠の山芋を剥き終わり、次の籠を手に取った。
 とにかくたいした道具が回ってこない下働きにとって、手にした道具をどう使いこなすかという才は、元の童の真菰には真似できない手技てわざだった。

「……あれでしょ、またあの妹姫(豊足姫とよたりひめ)様の様子を見に行こうとして、見つかって怒られたんでしょ。━━第一、あそこには絶対に近づかないように、って上から言われてるじゃない」

 真菰は唇を尖らせ、黙って里芋を手に取った。
 芋の皮をこそげるようにして石刃を使い始める。

「……あんたも、懲りないわねえ。もう四年も経ったんでしょ?豊足姫さまのの童から外されて。……またみんなから、祟り姫の穢れが移るって言われるよ」

 真菰は黙って里芋を剥いていたが、ふと顔を上げた。

「姉姫様をどうして見ることができたの?」

 姉姫、大王おおきみから宮の外で神を祀るよう命を受け、易々とそれを叶えた大和一の巫女姫、豊鉏入媛とよすきいりひめ(豊鉏姫)。
 今日はその豊鉏姫とよすきひめが、大王にその成果を報せる帰奏の儀が盛大に行われた日だった。

 狭苗は、そうなのよ!と途端に目を輝かせた。
 今や、豊鉏姫は、宮女達の憧れの的であった。

「聞いて聞いて!膳手かしわでの長のところへ行く途中に、姉姫様の行列に出会ったの。あれは笠縫(かさぬい)へお戻りになられる所ね。ちょうど、風が吹いて輿に乗ったお姿が垂れ幕の間から見えたのよ!」

「……ふーん」

 真菰は興奮した様子で語る狭苗を横目で見ながら、新しい山芋を手に取った。

「……それで姉姫様はどんなご様子だったの?」

 待ってましたとばかりに狭苗は話し始めた。

「そりゃあ、もう神々しいばかりの美しさだったわよ……。
真っ白な式服にね、大きな緑の翡翠ひすい赤瑪瑙あかめのう、青い管玉の首輪と腕輪をこれでもかって……光り輝く女神と見紛うお姿だったわ」

 狭苗は、うっとりと目を細めた。

「それにあのなんともいえない良い香り!━━咲き匂う春の姫君と呼ばれるのももっともなことよねえ」

 真菰はその言葉に、何か言い返そうと口を開いたが、また下を向いて芋の皮をこそげ始めた。

 その様子を知ってか知らずか、狭苗の興奮は止まらなかった。

「それと聞いた?姉姫様のお祀りされている笠縫かさぬいの邑では、榊がずっと枯れないで立ってるんですって」

「……ふーん」

 真菰は素っ気なく返事をしながら、赤く腫れた自分の手の甲を石刃の背で激しく擦った。
 その目には、強い焦燥が浮かんでいた。
 狭苗はそんな真菰の様子に気がつくことなく話を続けていた。

「凄いわよね!だってもう二年よ、二年。私、よく知らないけど、巫女様が盛った神聖な土の上に、榊の枝を挿しただけでしょ?そんなの普通、枯れるに決まってるじゃない」
「……まあ、普通は枯れると思う」

「でしょう?ああいうのって、なんていうんだっけ?
━━ひも…ひもぎ?」

神籬ひもろぎよ」

 突然、御厨の入り口から女の声が響いた。

 御厨みくりやの侍女と下働き。二人の少女は、文字通り飛び上がった。

「ひ、久依ひさより様…」

 久依と呼ばれた年嵩の女は、少女達をじろりと睨んだ。

「ひ、も、ろ、ぎ」

 女は、二人の前に立つと、一音一音区切るように言葉を発した。

「あんた達も、いい加減この宮でお勤めしてるなら《神籬ひもろぎ》ぐらい憶えときなさい」

 その時、思い詰めたような表情で真菰が口を開いた。

「あの、久依様、前から聞きたかったんですが、神籬ひもろぎってなんなんですか?」

 久依は真菰の質問にすぐには答えず、剥きたての里芋と山芋がたっぷりと入ったかめの中をちらりと覗くと頷いた。

「だいぶ皮剥きが上達したじゃない、真菰。こっちのかめは狭苗だとしても、こっちの甕の里芋は全部お前が剥いたんでしょ」

 真菰は驚いたように久依を見た。
 御厨みくりやでは、普段怒られることはあっても、褒められるということがほとんどなかったのだ。

 真菰の心に、もう何年も前に妹姫•豊足姫とよたりひめと共に、女の童として宮中を駆け回り、侍女頭の久依を散々困らせた記憶が、遠い夢のようによぎった。

 久依は、真菰の様子をじっと見ていたが、両腕を胸の前で組むと話し始めた。

「━━神籬って言うのはね、お姿の見えない神様に降りていただく《居場所》、依り代のことよ。年古った岩とか木とか……まあさかきなんかも使うことが多いわね」

「あの……久依様のご実家は、三輪の古い巫女様の家系だとお聞きしました」

 狭苗が、緊張した面持ちで侍女頭に話しかけた。

「あの、今日、私たまたま豊鉏とよすき様のお姿を見てしまったんです……本当に女神様のように輝いていらっしゃって!」

 狭苗は緊張しながらもそこまで言うと、うっとりとした表情で両手を組んだ。

「もう姫様のお立てになったひもろぎが、水を遣らずともずっと青々と茂ってらっしゃるって聞きました。あの、これって、豊鉏とよすき様が天の神様に選ばれた、ということですよね?」

「……ええ。豊鉏様はまさしく天に選ばれし方でいらっしゃるのでしょう」

 そう言う侍女頭の目には、一瞬複雑な色が浮かんだのだが、すぐに有能な官女の顔に戻った。

「さ、もう姉姫様はお帰りになられたけれど、宴会は今からよ。もう今日は夜中まで大忙しよ。━━真菰、お前はちょっとその汚い前垂れを外して給仕の手伝いをしてちょうだい。狭苗はこの甕の中の芋を、全部膳手かしわでの長の下へ運んでちょうだい」

 そして、急かすようにパンパンと手を打つと、ぼんやりした様子の真菰を引っ立てるようにして、煮炊き場の小屋から連れ出した。


「…久依様」

 宴会が開かれる棟へ、足早に進む侍女頭の後を追いながら、真菰は硬い声で呼びかけた。

「なに?」

 久依は振り返りもせずに答えた。

「……神籬ひもろぎの榊が枯れてしまうということは、神様が怒っていらっしゃるからですか?」

 いつもは何があってもめげない、山のウリ坊みたいな侍女だと膳手の長から評される、小さな侍女の声は、硬く暗かった。

「……知らない」

 久依は足を止めず、やけにそっけない口調で言った。

「どうしてですか!久依様のご実家は古い巫女のお家だって!」

 真菰は、屋形の棟を繋ぐ、細い板張りの渡の真ん中で立ち止まって大声を上げた。
 周囲は暗くなり、宴のための篝火かがりびの、爆ぜる音がそこかしこで鳴り始めていた。
 ようやく久依は振り返った。

「そうよ。蛇の抜け殻みたいな古ーいお家よ」

 立ち止まって動かない、この元妹姫の女の童だった少女の元へ、つかつかと歩み寄った。
 二人は睨み合うようにお互いを見た。

「じゃあ、古ーいお家の出の私が教えてあげるわ、真菰。
━━神に選ばれるだとか、選ばれないだとか、そんな榊が枯れたとか枯れないとか、本当はそんな簡単なもんじゃないのよ。
榊が枯れないでずっと茂ってる?
だからどうだって言うの?
それでも日照りはくるし長雨は来るのよ。
お前がそこで突っ立って大声を上げたって、豊足姫様がお元気になるわけじゃないわよ」

「……っ」

 真菰は顔を歪めて何か言い返そうとした。

 その時、冷ややかな声が二人の耳を打った。

「久依様! もう宴が始まりますわよ」

 その声の主は、庭で爆ぜる篝火かがりびと、わたりの端に並べられた高坏たかつきの油皿、そのいくつもの灯に照らされた、険しい表情を浮かべている若い采女うねめだった。
 高く結い上げた髪に挿された朱塗りの櫛が、宴の炎を吸い込むように赤く煌めいた。

於比おびだわ」

 久依は、面倒な奴に見つかった、と言わんばかりに軽く頭を下げると、素早く真菰の手を取った。
 真菰はまだ何か言いたそうにしていたが、久依にその手を引っ張っぱられ下がっていった。

「全く…」

 妹姫(豊足姫)付きの采女・於比おびはそっとため息をつき、細い渡りの奥、主人がいる暗く沈んだ別殿を心配そうに見遣った。

 ━━宴の夜は、今宵始まったばかりだった。



次話 


作者より
この度以前の第一話を、分割して二つに分け、修正しました。
他の回も、以前のものを修正中です。
また少しでも楽しんでいただけたら、嬉しいです😆

前話 序章

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