メドトロニック社のような病院の現場のニーズを吸い上げる町工場的な会社がないか探していたら宮崎県にあった
宮崎のMRTのFMで日曜夕方六時から「サンデーラジオ大学」という番組があります。
この番組は、なかなかためになります。
この番組で、亡くなった中島弘明氏のインタビューがありました。
「メディキット」という医療機器の会社の
創業者です。
私は、厚労省の医政局で研究開発振興課長という医薬品や医療機器の開発の担当課長をしておりました。
が、すいません。
「メディキット」という宮崎県発祥の医療機器メーカーのことを全く知りませんでした。
猛省しております。
恐縮です。
今日のハベレオ通信では、
メディキッドの創業者の中島さんを、
罪滅ぼし的に紹介させていただきます。

中島氏は日向市東郷町の出身で、小学校二年の頃から東郷町に住んでいました。
富島高校から中央大学に進んでいます。
大学は文系で、
勉強せずにアルバイトばかりしていました。
資本主義が全てだと思って、
卒業後は証券会社に就職しました。
六年間証券マンとして働きましたが、
「株式相場というのは難しく、自分には合わない」
と会社を辞める決意をしました。
知り合いの会社の重役な方から
「注射針の会社の手伝いをしてくれないか」
と頼まれました。
その会社の営業マンとして就職し、
北から南まで全国の大学病院を回って、
医師の話を聞きました。
米国留学の経験のある医師から、
米国製の医療機器は使いずらい。
日本人の器用さをいかした、
細やかな医療機器が作れないものか
と言われました。
米国の医療機器とはどんなものなのか、
視察してみようと決心します。
米国に行ってみると広大な国で、
高速道路の車線が六つあり、
よくぞまあこんな国と戦争をしたものだ
と驚きます。
医療機器の工場は、山の中にありました。
空気が綺麗な場所に立地しており、
いわば自然のクリーンルームでした。
心臓弁をつくる工場を視察しました。
本来ならは、企業秘密でしたが、
当時はおおらかな時代で、
日本から来た輩にも、
自由に見学させてくれました。
現在では、絶対に見せてくれません。
中島さんは、
米国の医療機器メーカーの各工場を視察して
帰国しました。
そして、「創業するなら医療機器しかない!」
と決断します。

一九七三年に、宮崎県の東郷町で創業しました。
金属の注射針をプラスチック製に変えようと、
研究開発に没頭しました。
金属は、アレルギーもあり、
長く留置すると血管を破損したり、
血球が壊れて、詰まることがありました。
金属製の針をプラッスチック製に変えることで、
こうした臨床上の問題を解決することができる
と考えました。
米国のデュポンという化学会社から、
ある樹脂が使える、
といわれました。
元日本陸軍の技術将校からは、
太いチューブを、小さくすることで
製品化が可能かもしれない
とアドバイスをもらいました。
それから八年後に、
プラスチック製の針が完成し、
金属の注射針と一体型の製品を
市場に提供することができました。
金属針を血管内に刺して、
金属の針を抜くと、
プラスチック製の針が血管内に残る
という画期的なものでした。
血液が固まらないので、三日ほど血管内に留置することができました。
私も病院勤務のときに、使ったことがあります。
逆流防止のゴムも付けたので、
医療現場の看護師がそれまでは
手で止めていたのが両手が使えるようになった
と喜びました。
この新製品は世界初のイノベーションで、
飛ぶように売れました。

パナソニックの創業者の松下幸之助さんは、
「自分は失敗したことがない」
と言いました。
それは「成功するまでずっと続けたから」です。
成功するまでやり抜くことが大事。
新奇性が大事で、
そっくりのものをつくるのは、いけない。
社員には、
「新しいものを作るためには、まず現場に行け」
と言いました。
臨床の現場を回って、
「先生、何か困っていることがありませんか?」
と聞いて、
現場のニーズをつかむ、
これが、いちばん大事だと指導しました。
開発を三年やったら、
次は営業に回す人事をしました。
営業となって
病院の医師に現場のニーズを聞く
それから開発が始まる
まさに、顧客ベースです!
新しいものは楽しい。
一回二回成功体験があると、もっと楽しくなる。
世の中の製品は、改善・改良で生まれる。
ノーベル賞から生まれるものではない。
三分間でも医師のアポをとり、
歩きながらでも、
心臓カテーテルの
どこを改善すればいいのか聞いて、
医師のいうとおりのものを作って持っていく。
この繰り返しで新製品が生まれる。
トップこそ率先垂範せよ!
国内だけではなく、
米国・ヨーロッパにも販路を拡大したい。
現在は三五カ国に輸出しているが、
いずれは国際的な企業にしたい。
好きな言葉は「脚下照顧」
禅の言葉で、
自分の足下をみて、自分のことをよく考えよ、
という意味です。
暗い夜道でも、
自分の足下を提灯で照らせば、
歩いて行ける。

米国の世界的な心臓ペースメーカーの企業である
メドトロニック社を思い出しました。
もともとは、
ミネソタ大学病院の近くにあった修理工場です。
大学病院の医師から、
壊れた医療機器の修理を頼まれているうちに、
心臓ペースメーカーの開発に乗り出して、
世界的なメーカーへと成長していきました。
「ガレージから世界へ」
という、まさにアメリカンドリームの実現です。
研究開発振興課長のときに、
日本にもメドトロニック社のような
病院の現場のニーズを吸い上げる
町工場的な会社がないものか、
探していました。
まさか、自分の足下にあったとは。
「脚下照顧」の教えは、本当です。
創業者が集めた美術品を展示している
日向市東郷町にある中島美術館もおすすめです。
今日の写真は、全てが中島美術館です。
椎葉村への道の途中に、ピカソがあります!
椎葉に来るときに、是非お立ち寄り下さい。

