緑十字の旗は、昭和2年の内務省社会局の全国工場監督主任会議において、国として安全運動のシンボルとなった
結核予防会の旗は「複十字旗」と言われ、
赤い十字が二つあります。
カタカナの「キ」という字に似ています。
知っている人は知っているのですが、
知らない人は全く知りません(当然か)。
知っている人は、
結核療養所に勤務したことがある方、
結核予防婦人会の方、
保健所で結核を担当したことがある職員
といった限られた範囲の人だけかもしれません。
私も、外では見かけたことがありません。
そんな中で、
緑十字の「安全旗」は、
県内どこの建設現場にもあり、
見たことがある人が多いと思います。
日本三大秘境と言われている椎葉村内にも、
はためいております。
たぶん、日本に住んでいて、
これまで見たことがない人はいないでしょう。
この安全旗は、
大正8(1919)年にできたものです。
我が国発祥で、
初めて開催する「安全週間」を
成功させるために、
安全週間のシンボルマークを何にするか、
官界、実業界、学会、教育界、婦人団体などの
指導者約300人が発起人会に集まりました。
緑十字のデザインの提案者は、蒲生俊文です。
東京帝国大学卒業後、
東京電気(のちの東芝)に入社します。
庶務課長時代に、
感電事故で亡くなった
若い社員とその妻の泣き叫ぶ姿を
見たことをきっかけに、
社内で安全活動を始めました。
しかしながら、
蒲生課長の安全点検の活動は、
現場からは評判が悪く、
「アラ探し」だと警戒されました。
点検結果は、
現場の幹部から握りつぶされました。
社内では蒲生課長は、
「安全狂」と揶揄されました。
しかし、
上司の部長は蒲生課長の活動を理解して、
「日本一の模範工場にするなら、
いくら金がかかってもいい」
と励ましました。
この上司は、後に社長になっています。
トップに立つ人は、安全衛生を知っています。

発起人会で、蒲生は説明しました。
「十字は西洋では仁愛で、東洋では福徳の集まるところを意味します」
この「仁愛福徳」の言葉で、
参加者一同が賛成し、
緑十字の採用が決まりました。
その後、昭和2(1927)年、
内務省社会局の全国工場監督主任会議において、国として安全運動のシンボルマークとすることが了承されました。
また、国としての安全週間の取り組みも開始されました。
日本の安全週間は、
国際労働機関(ILO)から好事例だと
評価されました。
7月1日からの1週間の安全週間の活動は、
戦時中も中断されることなく継続されて、
今日に至っています。
安全週間では、
日本全国で緑十字の旗がはためきます。
「安全週間」、「緑十字の安全旗」、「ゼロ災運動」は、我が国発祥の安全活動の取り組みです。

ちなみに「ご安全に」という挨拶は、
福岡県の筑豊の炭鉱から始まったもので、
その後全国的に用いられるようになりました。
ちなみに、
韓国語で挨拶に使われる「アンニョン・ハセヨ」のアンニョンは、漢字では「安寧」です。
日本国憲法の前文に使われており、
その意味するところは、
「社会が穏やかで平和なこと」です。

日本人は、
事故にあわないように、
病気にならないように、
安産になるように、
お乳がでるように、
などなどの理由で神社に参ります。
もしかして、神社は公衆衛生の第一線機関として昔から機能していたのかも。
実は、神社は公衆衛生だった?

