市ヶ谷の陸軍大臣室はもともと士官学校の校長室で、戦後は自衛隊の東方総監の部屋となり三島由紀夫が入って総監を縛って窓を開けて外に出て演説をした
防衛省から離れる前に記念館と地下壕を見学させていただきました。
大講堂は極東軍事裁判が行われた場所です。

米軍は眩いほどのライトを天井に備え付けました。
5月3日に開始された裁判所は暑くて、ウエップ裁判長は、「冷房を付けるまで閉廷」を宣言しました。
大講堂の床は少し斜めになっています。
もともと士官学校だったので、後ろに並んだ学生でも、玉座にいる天皇陛下が見えるように設計されています。

2階の陸軍大臣室に行きました。
もとは士官学校の校長室でした。
戦後は自衛隊の東方総監の部屋となります。

三島由紀夫が入って総監を縛って、窓を開けて外に出て演説をしました。
部屋には日本刀で切りつけた刀傷も残っています。

大本営の地下壕は、圧巻でした。
米軍の500キロ爆弾にも耐えられるように設計されていましたが、一発も落ちませんでした。
もともと、米軍は日本を占領したら使うつもりだったことから爆弾を落とさなかったそうです。

防衛省のある市ヶ谷台は、海抜32メールの標高があります。
伊達政宗が徳川家康にゆずってくれと頼みますが、謀反の恐れのある正宗には与えませんでした。
尾張の徳川家がこの高台の主となります。

防衛省の事務次官に、異動する前に、椎葉村出身の戦艦伊勢の中瀬艦長の話をしたところ、防衛研究所で資料を探しておきますと返事がありました。
異動日に、防衛研究所の人たちがやってきて、中瀬少将の記録について説明を受け、資料と写真をまとめた額をプレゼントしてくれたました。
本当にありがたいと思いました。

戦艦伊勢の中瀬艦長の父は、柳田國男が椎葉村に来たときに、村内を案内した村長で、村に伝わる猪狩の書き物を柳田國男に送った人です。
いわば民俗学の生みの親です。
椎葉村に生家があります。
防衛省から異動するときにいただいた中瀬少将の資料は、ここに届けております。
