柳田国男が椎葉村の中瀬淳村長と出会って民俗学が始まった
私の生まれた椎葉村は、昔も今も狩猟が盛んな土地です。
民俗学の創始者の柳田国男は、内閣法制局の官僚時代に、九州地方を視察しています。
宮崎県知事などから平家落人伝説のある椎葉村の話を聞いて興味を持ち、視察することになりました。
柳田国男が椎葉村を訪れたのは1908(明治41)年7月13日から一週間です。
椎葉村滞在中は、中瀬淳村長が対応しました。
村長から聞いたイノシシ狩りなどの話や資料をまとめて、「後狩詞記」という本を自費出版しました。
これが日本民俗学の始まりとされており、椎葉村小崎にある中瀬村長の実家の庭に、「日本民俗学発祥の地」という碑が建っています。
柳田国男が、中瀬村長に贈った歌です。
立ちかえり又みみ川のみなかみに
いほりせん日は夢ならでいつ
柳田国男が、耳川の上流にある椎葉村に来ることはありませんでしたが、村長との手紙のやりとりはその後も続きました。
この村長の息子が、都城中学に進み、海軍兵学校に入学しています。
後に戦艦「伊勢」の艦長としてレイテ沖海戦に出撃しました。
米軍機から猛攻を受けますが、奇跡的に一発の爆弾も魚雷も当たりませんでした。
米海軍のパイロットは、伊勢を「魔法の艦」と言いました。
戦艦伊勢を沈めることができなかった米国海軍のハルゼー提督は、戦後に伊勢艦長の操艦技術を褒めています。
中瀬村長の実家の入り口には、伊勢艦長の碑も建っています。
仮面ライダーの藤岡弘さんが、見学に来たこともあるそうです。
戦艦伊勢は、戦艦日向とともに、飛行甲板のある航空戦艦として有名です。

現在の海上自衛隊では、これらの名前をひきついだ護衛艦「いせ」と「ひゅうが」があり、ヘリコプターを乗せる空母のような姿をしています。
手術室や病室もそなえており、病院船の役割も担っています。

