石村嘉成さんの描く動物に見つめられて動けなくなり一休さんに助けを求めたくなった
宮崎県立美術館で開催されている「動物画家石村嘉成展~命の色彩~」を見に行きました。
私が行ったのは最終日で、多くの人が入り口に並んでいました。
実のところ、動物画家の石村嘉成さんのことは全く知りませんでした。
石村嘉成さんは、1994年に愛媛県の新居浜市で生まれました。
生後2歳で自閉症による発達障害と確定診断されます。
両親の愛情と努力、療育センターでの指導などを受け成長し、高校は一般受験で入学しました。
高校3年生の授業で描いた版画が評価され、創作活動を始めました。
2013年に第2回新エコールドパリ浮世・絵画・ドローイング部門にて優秀賞を受賞します。
以降、各地で個展を開くたびに入場者数記録を塗り替え、メディアでも多数取り上げられています。

石村さん制作の圧倒的な動物の絵や版画を見て衝撃を受けました。
一言でいえば、「目力」が凄い。
どの動物の目も凄くて、まさに目からビーム、毛穴からオーラ、指先からパワーなのです。
恐縮です。
伝説の振付師夏まゆみさんの言葉を拝借させていただきました。
多くの動物たちに見つめられてしまって、動けなくなりました。
屏風の中のトラを縄で縛ろうとした「一休さん」に、助けにきてもらいたくなりました。
うれしいことに、昆虫の絵がたくさんありました!
カマキリ、ゲンゴロウ、テントウムシ、ミツバチ、スズメバチ、アリ、キリギリス、バッタ……。

会場で売っていた「自閉症の画家が世界に羽ばたくまで 亡き母の想いを継いだ苦悩の子育て」(扶桑社)を買いました。
筆者は石村嘉成さんのご両親の石村和徳さんと有希子さんです。
帯にはこのような言葉が書かれてありました。
暴れる、泣きわめく、発語がない……
「療育」が花開いた感動の物語
11歳で死別した母が残した、胸を打つ子育て日記も
自閉症は〈障がい〉ではなくの人間のタイプのひとつ
1章 自閉症の宣告
「療育」での意識改革
2章 母の献身、付き添い授業
そして死別……
3章 父が背負った「療育」
変わった息子
4章 父と子でがんばる喜び
人生を変えた版画
5章 アートで自立の道
母の想いは永遠に
我が子を「暴君」にしない
「愛情あふれる、突き放し」

父親の石村和徳さんは、1960年生まれ。愛媛県新居浜市在住です。
2歳で自閉症と確定診断された嘉成さんの子育てに夫婦で取り組みました。
シングルファーザーとなってからは、会社経営の激務と両立させながら、嘉成さんが高校生のときには3年間無遅刻無欠席で一緒に自転車で登下校するなど、苦悩の「療育」を続けました。
現在は嘉成さんの個展の企画や、「療育」についての講演会にも取り組んでいらっしゃいます。

母親の石村有希子さんは、1965年生まれです
幼児期に「話せない、暴れる」など自閉症の症状が出始めた息子を、どうやってしっかりと社会に送り出せるか、心を鬼にして「愛にあふれた、突き放し」で接するなど、献身的に「療育」に挑み、多数のレポートを残しました。
小学校では毎日教室で授業に付き添うなどしていましたが、嘉成さんが11歳の2005年に、がんで他界します。

有希子さんの手記が残されています。
この子はどうなるのだろう
血のにじむ様な努力を重ね療育してきて、やっと行動が落ちつき、少しずつ物事がわかりかけて来たのに……
私のいない環境の中でまた元の野生児状態にもどってしまうのでは
自分の病よりそちらの方が怖かった
私が1963年生まれなので、同世代としての感情移入は半端なかったです。
読みながら、涙がこぼれました。

自閉症の子どもを持ったご両親は、四国じゅうの「拝み屋」を回りました。
病院やクリニック、保健所などさまざまな専門機関をめぐっても、納得のいく的を得たアドバイスが得られません。
そんな中で、地元新居浜市に「トモニ療育センター」という施設があり、施設を主宰する小児科医の川島淳子先生にめぐりあいます。
川島先生は、自閉症児の「療育」に携わっていたのです。
川島先生からは、自分たちのこれまでの子育てが全否定されました。
「両親を奴隷にする子にしてはいけない」と言われます。

3歳の頃に、どうやら息子は動物が好きらしいと、嘉成さんをちょくちょく動物園に連れ出しました。
車で1時間くらいのところにある「とべ動物園」に連れて行くと、暴れん坊の嘉成さんが別人のように落ち着き、じーっと動物を見つめていました。
有希子さんは、生き物は嘉成さんの療育にいいと思い、書店で動物の絵本や図鑑を買い込んで読み聞かせ、テレビで生きものについての番組が放送されると欠かさず録画して見せました。
こうした図鑑や生きものの番組を見る習慣は、いまでも続いています。
有希子さんは、画家として活躍する嘉成さんの姿を見ることなく旅立ちましたが、嘉成さんの道を切り拓いたことは確かだ、と和徳さんは言っています。

高校3年生のときに転機が訪れました。
美術の寺尾いずみ先生との出会いです。
アクリル絵具で絵を描きましたが、発展性が感じられなかったので、寺尾先生は版画をやってみるように勧めました。
こうして、後に学園祭で出品して評判となるカマキリやアリの作品ができあがりました。
愛媛県のデザイン専門学校主催の作品展に出品され、入選を果たします。さらに愛媛県美術館に展示されました。
嘉成さんは学校の集会で表彰され、壇上に上がって賞状を受け取るこになりました。
人生ではじめてみんなに褒められることを知ったのです。
この日、全校集会で壇上に立った瞬間から、嘉成さんは大きく変わりました。
なんだか知らないけど、みんながぼくの作品のことで喜んでいるぞ!
調子に乗った息子は、以来じゃんじゃん絵を描き始めた、と和徳さんは言っています。

この本を読んで、会場の入り口で出迎えて大きな声をかけていた人が石村嘉成さんご本人であり、初老の男性が父親の石村和徳さんであり、着物姿の女性が美術の寺尾いずみ先生だったとわかりました。
正直、絵を見て、これほど感動したことはありません。
パリのルーブル美術館に行ったときよりも、宮崎県立美術館の方が感動しました。
石村嘉成さんの絵が欲しくなりました!
もちろん昆虫の絵です。
できれば「ハベレオ(蛾・蝶)」の絵がいいかも。
英語だと、Have Leo ですのでライオンでもいいですね。

いつか、石村嘉成さんの絵をゲットする!
私の人生の目標の一つにしたいと思います。
